無意識な依存。

あなたは「依存」と聞いて何を思いますか?

ほとんどの人は依存という言葉にいいイメージはないと思う。そして多くの人が自分は依存していないと認識している。この言葉のイメージが大きくなりすぎていることも原因の一つかもしれない。ちなみに私も依存している一人だ。
そして依存を少しかみ砕いて説明するが、まず依存の意味は:他に頼って在ること、生きること。そう。依存で一番イメージしやすいことはアルコール依存や薬物依存。今回は趣旨がズレるのでアルコールや薬物については置いておくことにして、今回のテーマとして取り上げた内容の一番わかりやすい例は「親への依存」これはとても分かりやすい例だと思う。

そして【依存】の中でも無意識に依存していることが「親」「親族」「家族」「家庭」「友人」「知人」「会社」「家」「地域」などであり、私たちの身の回りにあるもののどれかには必ず依存している。
家があること、朝ごはんがあること、会社で仕事をすること、友人と遊ぶこと、実はすべてが当たり前ではない。

だからこそ今あげたものがいつなくなってもいい覚悟はあるか。
ずっとあり続けるものではないことをまず認識しよう。このブログで必要なことを先にお伝えすると依存しないことが大切なのではなく、まずは依存しているという自覚を持つこと。最終的には依存しないことが一番いい。

人間はひとりで生きていけないという言葉が出てくると思う。もちろん私もそう思う。絶対に一人では生きていけない。しかし私は「依存するな」と伝えたい。助け合って生きていくことと依存することはまったくの別物だ。
少し考え方を変えて話をすると。依存するのではなく、生きていく上で、生きていく環境としての各々の「役割」という言葉にすれば少しわかりやすいと思う。
『家族も会社内も地域内も全ては役割』で成り立っていて上下関係という概念が今の時代には合わないと思う。

ここまで依存するなと伝えてきたが、ここまで書いた内容に共感して実践して頂いた方には、依存しているものが、いつなくなってもいい覚悟でめちゃくちゃ依存すればいいと考えてる。

私はいつなくなってもいい覚悟で依存している。仕事でも同じだと思う。すべて自分で背負ってこなすことのほうが自分の実力を知っている以上、結果を予想しやすい。
よくビジネス書にのっているが一人でこなしているうちは2流。
全てを自分一人でやれることも限界があるからこそ、任せたうえですべての結果に対して責任を負う覚悟ができるかどうか。

「自分に依存している人間はいるか」
依存することや依存されていることを「家族の為に」とか「会社の為に」と捉え動くことはよろしくない。自分を制限していることに気づいているか。
冷たい言い方をすると周りの人間は自分が思っている以上に自分に依存していない。例えば誰かが会社を辞めても会社がつぶれることはないし、家族の誰かが家を出て行っても家がなくなることもない。
自分の居場所をつくろうとした結果が「〇〇の為にやらなければ」という考えをつくってしまっている。これって実は相手への押し付けに過ぎない。
この考えを持つことは自分を動かす原動力として考えるのであればとても重要な考えだが、やはり相手に押し付けてはいけないのだ。

だからこそ依存していると自覚を持ったうえでお互いに頼りあって生きていけばいいのではないだろうか。
もっと自分の人生なんだから自分の自由に生きればいい。
自分の人生は「家族」や「子供」「会社」ましてや「親」の為の人生ではない。【自分の人生の中心には常に自分がいる】
相手に主導権を握らせるようなことはしないほうがいい。だからと言って相手の主導権を握ろうとしてもいけない。

自分と周りが豊かになるにはお互いがお互いに【自立】しなくてはいけない。

自分は自立いているのか常に考えながら依存しまくっている まつでした。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?