赤羽雄ニさんの「ゼロ秒思考」を読んでみた

「冒頭ではまず思ったことを書き出そう。書き出すことで頭の中で何を思っているかを具体化させる」と書かれている。
確かにその通りで説明下手な人は自分が何を伝えたいか
どう言葉にしたいかを理解しできていないことが多い。
だからまず一番簡単な自分の感情を書き出しアウトプットの練習をさせて慣れさせようという考えなのだと思う。

全ては慣れなのだ。

「言葉の意味の揺らぎ」

この意味が少しわからなかったが読む中で納得した。
頑張るという言葉一つとっても人によって捉え方が違う。
いい意味に捉えられる人もいれば、悪い意味に捉える人もいる。
この捉え方の違いを揺らぎという表現をしている。
この揺らぎの幅を頭に入れてコミニュケーションを取らなければならない。
固定概念に縛られないということにも繋がると思う。
この「揺らぎ」は現代社会の中で考えると振れ幅がとても広くなっている実感がある。
そして言葉や文字にも先入観や固定概念がある為、自分の感覚で話しずらくなっているかもしれない。

また日本の教育(小学校〜大学)まで「深く考える訓練や真剣に本当に考える訓練が行われてこなかった」という現実。活字にされるまで、そのことにすら気づかなかった。
世の中のルールや一般常識について私は普通に疑問に思って生活していたし、疑問に思ったことは調べたり聞いていたと思う。そもそも理由がわからないことを理解できるほど物分りが良くなかった。
でも世の中にはそういうよくわからないルールや一般常識が多く存在している。理由を聞くと先生がそう言っているからとか先輩がやっているからとかみんながそうだから。
それって理由になっていないと思う。
物事の本質やコアとなる部分の考えを放棄してしまった人が世の中に多い。これも日本の教育が生んでしまったことだと思う。

「究極はゼロ秒思考」
迷っている時間すらない。物事が起きた瞬間に様々なことを考え判断して行動する。この感覚を持っていない人には直感とか感に見えるのだと思う。
また私の経験上、先延ばし来ても対して考えないし、今日の今日返事できない時点でいい返事なんてもらえないことのほうが多い。
やらなきゃいけないと思いついた時はやるべきときだからやったほうがいい。
思いついてやらないといいことはないと思う。
社会でよく見かけるのが「社内に持ち帰らせて頂きます。」確かに会社が決断しないと動けないのも分かる。しかしこれは責任の押し付け合いなのではないだろうか。
私の判断で失敗したら私が責任を負うしかない。だから社内で承認させよう。そうすれば責任が少し軽減する。みたいなニュアンス。
本当にやりたいと思うおならその場でオッケーだして社内を無理やり通すくらいの覚悟がほしい。
そして逆にそこまで説得できないのであればプレゼンする側の実力不足ともいえるかもしれない。

「メモを書くと、頭が整理される」
メモが取れない人は頭の中が整理できていない。というか頭の中が整理できない。
また自分だけでアウトプットとインプットを繰り返す効果もあると書かれているがその通り。活字にするからこそまとめられたり、活字を見るからこそ浮かぶアイディアもある。そしてメモのアウトプットを行うと頭の中が空になり頭の中が整理される。
これは私がSNS等に投稿することと近いと感じる。

私の意味での経験では、
メモを取れない人は会話や書類の要点を理解していないケースが多い。理解していないということは発言や調査なんかも的を得ていないことがほとんどである。
なのでメモを取れない人は仕事が遅い。いや、仕事が遅いのではなく目の前の作業をこなしているだけなので早くなることはない。
そして先日、聞いた話があり、日本人って5行以上の文章が読めないって事実。厳密もは読めるが理解できないらしい。だからTwitterが流行ったらしい。
だからこそ文章になれる癖をつけたい。

たかがメモ。されどメモ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?