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子供の頃「男の子らしく」① 〜女子との関わりの中で〜

私の母も父も、どちらも「不思議ちゃん」と呼ばれるような部分が結構ある人たちだった。特に母は。

私が小学校高学年になるまで、うちは表面上は典型的な一昔前の日本家庭だった。
母は専業主婦、父は一つの企業でずっと働いていた。
小学生になるまでは、国内外において引っ越しが多かった。

ただ、小さい頃から「男はこうだ」「男らしくしなさい」「女性にはこう接しなさい」といったことは特に"指導"されずに育った。
また、ジェンダーに関するものだけでなく、「将来こうなって欲しい」といった希望も親からは特になかった。考えてもいなかったらしい。

そもそも母は子育てに興味がない。「母親」という役割が嫌で仕方ない。だから、子供に将来どうなって欲しいなどということは特になく、早くこの苦行が終わって欲しい、という気持ちが強かった、という。
母から「男の子なんだから」という類のことを言われた記憶はない。

父からもわかりやすい形で言われたことはない。
それでも、「男らしく強くあれ」ということを暗示していた時はあったかもしれない。
父は私と遊んでいる時、意識がその場にないような挙動で空を見つめていることが多かった。

父も母も、よくある「家族」の形から外れて意識が飛んでいる時間が多かったような気がする。
それが私にとっては、親の本当の姿を見ているようで、薄気味悪くグロテスクでもあり、同時に心地良く、不思議な感覚だった。

親はどちらもアル中気味ではあったし、暴力も多数あった。母は確実に鬱病だった。それでも金銭的には申し分なく支えてくれたことはとても感謝している。

ここからが本題だ。

小学生になると、別の家庭に遊びに行くこと機会が多く出てきた。
女の子の友達の家に行った時のことだ。
テレビーゲームか何かで遊んでいたんだと思う。私がゲームで勝った時に、その女の子の友達は泣き出した。
女の子の母親が来て、こう言った。
「〇〇ちゃん(私の名前)は男の子でしょ。女の子を相手にしてるんだから、手加減しないと。男の子が女の子泣かせて...。」
その母親は呆れた表情をしていたことをよく覚えている。

これは衝撃的だった。
こんなことを言われるとは全然予想をしていなかった。
私自身の親からこういったことで叱られた、あるいは"指導"を受けたことがない。だから、何が問題なのかまったく理解できなかった。
幼稚園の頃にもこういう出来事はあったとは思うが、衝撃的なものとして覚えているのは小学生の時のこの出来事。
衝撃的でもあり、ずっとモヤモヤが残るものだった。

これ一度だけではない。他にも多くあった。

小学校の休憩時間に、ある女子が唐突に私に悪口を言ってきた。
私はなんでそういうことを言うの、と強めに言った。それでもその女子は笑いながら悪口を言うのをやめず、別の女子も面白がってそれに加わってきた。
私が「やめろよ!」から始めて、対抗して悪口を言い始めた瞬間、教師やって来た。
教師は私に弁明をする隙も与えず、「男子は女子に優しくしなさい!」と私にだけ怒鳴った。

この時も衝撃的で思考が停止した。
状況が理解できなかった。弁明もできるわけがない。
なぜ私が怒られたのか理解不能だった。
一番よくわからなかったのは、そこに「男の子」「女の子」という区別が急に出てきたことだ。

しかし、こういった"洗礼"を親以外から多数受けてきて、中学生の頃にはすでに「一般的な」ジェンダー観が少し"身についていた"と思う。

当時、こういったことが起きると、モヤモヤしてそれが何かもわからないまま抑圧していた。

ジェンダー観以外においても、私は「一般的な」感覚からズレていることが多かったと思う。特に学生生活においてはそれが顕著に現れる。

それでも、私は「不思議ちゃん」な親で良かったと思う。
「一般」からのズレのおかげで、いろいろと感じ考える礎ができたから。

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