健者

生と性に向き合う。

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恋愛・結婚で極楽浄土は現れない。

最近、ネット上でよく見かける言葉。 「弱者男性」 なぜか恋愛・結婚の文脈で使われることが多い。 いつもそこに通底する価値観がある。 「恋愛」「結婚」している人生の方が絶対に上、というもの。 だから、「恋愛」「結婚」できない自分の人生は下に位置していてダメ、という思考になるのだろう。 恋愛・結婚はただ、恋愛・結婚としてただそこにあるだけで、実は「人生」とあまり関係ない。 「人生」は「人生」の問題であり、「恋愛」は「恋愛」の、「結婚」は「結婚」の問題がある。 恋愛も結婚

    • 人生すごろく。

      人生のすごろく。 人は、それを生きてることにも気づかない。 あれしてこれして、幸せな人生が待っていると思っている。 何かを組み立てるマニュアルのように人生が進んでいくと思っている。 階級のようなものを昇っていくことで、人生の何かしらの境地に辿り着けるって。 でも、すごろくをいくら進んでも、何かが足りないと思っている。 「毎日楽しいよ。」 と知人に話していても、ふと「人生何なのだろう」と感じたりもするが、そんなことは「気の迷い」になってしまう。 そういう人は、彼らのすご

      • 「自分がそうだからら、相手もそうだ」 この前提に基づく記事をよく見かける。とりわけ、どんな人生がいいかに関して。

        • 独身、結婚どちらかが勝ちの二元論。

          独身の方がいいとか、結婚した方がいいとかの言説をよく見かける。 人生どちらかしかないと思い込んでしまっている。 確かに結婚制度という概念が存在する土地なら、結婚しているか独身かの2種類しかない。 つまり、「人間には2種類しかいない。結婚しているか、していない(独身)かだ。」ということになる。 「その通りだ、私は〇〇側で、あの人は⬜︎⬜︎側で...」と感じただろうか。 別の例をいくつか出してみる。 「人間には2種類しかいない。公務員かそうでないか。」 「人間には2種類し

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        恋愛・結婚で極楽浄土は現れない。

        • 人生すごろく。

        • 「自分がそうだからら、相手もそうだ」 この前提に基づく記事をよく見かける。とりわけ、どんな人生がいいかに関して。

        • 独身、結婚どちらかが勝ちの二元論。

          ロマンチックな何かを求めてカップルを眺める。

          久々に恋愛関連の記事を書く。 人が「恋人が欲しい」と言うとき、だいたいロマンチックな何か、性的な何か、人との繋がり的な何かであることが多い。 「彼氏がいたらこんなところに一緒に行きたいな」 これはロマンチックな何かを求めている。 今回はこのロマンチックな何かに焦点を当てる。 最近はあまり感じないけれど、私にもこの感覚が分かるには分かる。特に5〜6年くらい前はよく感じた。 これはロマンチックな「雰囲気」を求めていて、自身がその中にいなくても実はいい。 何かしらそういっ

          ロマンチックな何かを求めてカップルを眺める。

          社会問題に対する態度の共通点。

          noteには多くの社会問題について述べている記事がある。 ほとんどの記事に共通することがある。 「〇〇がいけない、悪い。もちろん私は〇〇ではないし、〇〇を要素として持っていない。」 〇〇はある集団や、システム、現象のこともある。 自分自身が社会問題の原因と捉える記事をほとんど見たことがない。 「私」はいつも離れたところから、社会を見ていて、「私」が悪になることはない。 「悪」を外部に求める傾向が人にはある。 これさえ排除すれば、平和が取り戻されるのに、と。 悪をあ

          社会問題に対する態度の共通点。

          話す内容と、話す行為それ自体② 「SNSでよく見る論争」

          前回「話す内容と、話す行為それ自体①」の続き。 「その発話で何をしようとしているのか」 この視点が抜けると、発話の内容・意味に捉われて堂々巡りになってしまうことがある。 例えば、SNSやコメント欄で良く見かける。 「これは〇〇だ」という発言があるとする。 「いや、〇〇というのはただの決めつけだ」 と「論争」になる。果てには、幼稚な言い合いになったりしている。 そもそも、その人が「これは〇〇だ」という発言をそのコメント欄でしたのはどういうことだろう、という視点。 「これは

          話す内容と、話す行為それ自体② 「SNSでよく見る論争」

          話す内容と、話す行為それ自体①

          人が話すのを聴いているとき、その内容と意味を理解しようとする。 人の文章を読んでいるとき、書かれている内容と意味を理解しようとする。 それ以外に何を理解するのか? 話している・書いている行為そのものの理解だ。 話されている・書かれていることに反応して、気を取られて、話している・書いている行為そのものには関心を向けていなかったりする。 発話内容は当然ながら、発話行為そのものを見る必要もあると思う。 「それを話すことでその人は何をしようとしているのか」という問い。 こ

          話す内容と、話す行為それ自体①

          異性を憎み、異性から愛されたい人たち。

          ※シス、ヘテロセク(と思われる)の人たちについてです。 「女/男は〇〇だ」と蔑視とも十分取れるような発言をする人たちを見かける。オンラインでは特に良く見る。 そういう人たちの他の発言からしても、異性を憎んでいるようにしか見えない。 憎んでいるにもかかわらず、次の発言ではマッチングアプリで相手を探しているとか、パートナーが欲しいとか、婚活とかのワードが出てくる。 憎んでいると同時に、愛されもしたいのだ。 憎まないで済む異性の理想型、例外がどこかにいると信じているのだろ

          異性を憎み、異性から愛されたい人たち。

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 2

          前回の続き。 Pt. 1とは別の知人との話を紹介したい。 私「最近はただ座っていても充実感があるんだよね。将来の心配とかはゼロではないけど、それは『人生の問題』じゃないし。だから『人生』としては基本的に毎日楽しい感じで過ごしてる。」 知人「でも、キャリアとか結婚とかやばくない?そうやって楽しいって思い込もうとしてるんだろ。まあ〇〇は実際楽しそうに見えるけど。でも非常に危険な状態ですね、これは。(中略、というより中間部はあまり覚えていない。)また彼女作れば満足するよきっと

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 2

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 1

          先日、散歩してカフェに寄って帰ってきた。 ただ歩いているだけなのに、嬉しくて充実感がある。 これは家でただ座っていても感じることではあるけれど、散歩は散歩でそれなりの嬉しさと充実感がある。 同世代の知人に先日散歩をしてカフェに入ったら、様々な人を観察できて嬉しくて、楽しかったという話をした。こちらはしているつもりだった。 でも、あることを話しているときに彼は以下のことを言った。 私「カフェに入って、真剣な面持ちのPCを眺めるスーツの男性、70代くらいの賑やかな女性のグ

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 1

          あるべきところにそれがないから寂しい。

          「寂しさ」の一つのケース。 あるべきところにそれがない。だから寂しい。 あるべきだと信じているところにそれがない、と言った方がいいか。 それがただ「ない」だけでは、寂しさはない。 親がいるべきなのに、いない。 恋人がいるべきなのに、いない。 友達がいるべきなのに、いない。 部屋に家具があるべきなのに、ない。 ある・いることを前提としているから、寂しい。 ある・いる状態が「普通」だったから、そして今それがない、いるべきなのにいない、だから寂しい。 ある・いることが「当

          あるべきところにそれがないから寂しい。

          婚活をして「幸せ」なろうとする男性。

          noteのおすすめで出てくる婚活関連の記事を読んでいて思ったことがある。 特に男性(シスヘテロセク男性)が書く婚活日記系の多くには、共通する傾向がある。 まず、場を婚活「市場」として捉えている。 カードゲームのように男女それぞれの能力・数値を想定しているため、婚活における人の優劣の認識が大きくなる。 彼らには、ゲームに"勝つため"の「戦略」が必要になる。まるで「戦場」のようだ。そこには必ず「競争」の概念を入れたがる。 何のために勝ちたいのか。 「幸せを掴むため」 彼らの

          婚活をして「幸せ」なろうとする男性。

          異性に対する決めつけ。

          「女ってのはみんな〇〇」 「男ってのはみんな〇〇」 という記事をちらほら見かける。 傾向としてこういうものがある・感じる、という書き方ではなく、断定するように公然の事実であるかのように書く。 そうじゃない女性も男性も私の周りには結構いるなと感じることが多い。 このような記事を書く人はそういう男女を知らないのかなと思ってしまう。 おそらくいたとしても、彼らの既存の「男」「女」枠から外れているためにカウントされないのだろう、きっと。 そうやってカウントしていない数が、実はカウ

          異性に対する決めつけ。

          「普通」から外れる覚悟を持て。

          まず、「普通」の人なんてのはいない。 平均の「数値」はあっても、それは個人ではない。 たいていの人の頭の中にある「普通」は、厳密な数値的平均ではない。 その上、人それぞれの「普通」の概念がある。でも、共通の「普通」があると思い込んでいる。 当然、要素分解すれば重なる部分も多くある。でも、それぞれが持つ「普通」という印象・感覚・体感は、必ず異なる。 「普通」を基準にして人生が過ぎていく。 たいてい問題となるのは、その「普通」から外れている、あるいは外れそうになった時。

          「普通」から外れる覚悟を持て。

          偏見と理解と体感と。

          ある属性の人がすべて〇〇ではない、例外もいる、というのは頭で完全に理解していても、心が理解していない場合が多い。 頭ではわかっているのに、「体感」がそれについて来ていない。 ある属性の人に関して、何かとても嫌なことがあると、その属性全体が嫌に感じることがある。 頭ではわかっている。 全員がそういうわけではない。 しかし、先日そういった嫌な経験をして、この偏見が自然と取れるまでに1、2日くらいかかった。 例えば7、8年前であれば、この心の動きにそもそも大して気づくこともな

          偏見と理解と体感と。