賢者と健者

自身の生と性に向き合う。 セクシュアリティ/ジェンダー/精神分析/言語

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それは「彼氏/彼女」である必要があるのか。

「価値観が合って心を開いて会話をして、良い時間を共有するために彼女/彼氏が欲しい」という人たちがいる。 「カップル、彼氏/彼女を持つというステータスが欲しいのではない」「見せびらかすために欲しいのではない」と彼らは言う。 「価値観が合って、良い時間を共有したい」人が欲しいだけなのであれば、なぜそこに「彼氏/彼女」という、セクシュアリティの一致を一般的に前提とした「ステータス」が入り込んでくるのか。 価値観が合って良い時間を共有したい「人」ではなく「彼氏/彼女が欲しい」のだ

    • 恋心ってなんだ。

      この間、恋心に似ているかもしれない感情を久々に抱いた気がした。 でも、よくこの感覚を感じてみると、性欲と親しみ深さの混ざった、あるいはその拡張なだけな気がした。 これまでの恋心と思っていたものも、結局はただの性欲と親しみが混ざっただけのものなのかもしれない。 そもそも、「恋した」と強く思ったのは人生で1、2回だけれども。 人の話を聞いていても、この性欲と親しみ深さの混ざったものを、何か素敵なイメージに繋げて、「ロマンティック」でコーティングして想像を広げていき、「恋」

      • 「リアルなコミュニケーション」って時々見かけるけど、なんなんだろう...

        • 恋愛しないと深い関係は築けない?

          「恋愛しないと人間のディープな部分が見えてこない。」なんて話をよく聞く。 恋愛しないと深いところが見れないかというと全く違う。 恋愛しないと深い関係になれないのは、ある枠を通してそう思い込んでいるから。 そもそも深い関係って何なのか、考えたことがあるのか。 むしろ恋愛は幻想で覆われていたり、ただの表面的な依存だったり、実は深いところなど見えてないし、深いところで接することもできていないんじゃないかと思うこともある。 「恋愛をしていないと人生が浅い」とはならない。 もしそ

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        それは「彼氏/彼女」である必要があるのか。

          観念ではなく、身体に生きる。

          恋愛は観念。 結婚も観念。 ステータスだのキャリアだのも観念。 お金も観念。 「性欲」も観念。 人生という枠組みも観念。 言葉も観念。 言葉は社会的なもの。 今ブログを書いているというのも結局、文字を打っている指の動きの感覚。 今ここにあるのは、この瞬間の感覚とエネルギーでしかない。 そんなことを言っても、社会的に生まれ、社会的に生きてきたので、そういった部分を完全に無くすことはできない。無くす必要もない。 そもそも、こう生きるかああ生きるかのような、二者択一の

          観念ではなく、身体に生きる。

          よく見かける「本当のわたし」

          「本当の自分」「本当のわたし」 よく聞くフレーズだ。 これって、「どんな記号が自分に合うか」の選定のように思える。 でも、「わたし」は常に変わりゆくもの。 「本当のわたし」を見つけたと思っても、実はそれは一時的なものだったり。 ここに身体がある。 それはあなたの身体。 (実は身体は存在していない、みたいな哲学的な話は置いておく。) 「わたし」は何歳で、こんな見た目で、こんな性格で、こんな仕事をしていて、こんなことが好きで、、、などの「記号」の中だけを生きるのではな

          よく見かける「本当のわたし」

          恋愛に興味がない≠性に興味がない

          このブログを書き始めたときから言っていることではあるけれど、 恋愛に興味がない≠性に興味がない。 でも、恋愛と性は"世間"では、強固に結びついている。 そんな結びつきが自身の中にも確かに強くあった。 半年前でも、その結びつきの影響で凝り固まった部分がまだ少しあった。それにより、性に関する独特な不快感を形成していた。あるいは不快感に「悩んで」いた。 半年前と比べて今は、自分の中でその結びつきがほとんどなくなってきていることに気づいた。 コリがほぐれてきている。 頭で「理

          恋愛に興味がない≠性に興味がない

          どうしても私は恵まれていると感じる。

          Noteで様々なブログのポストを読んでいて思う。 生きづらさを感じる人の多さ。 日本という国の概念や制度に生きづらさを感じる人。 性に関連して生きづらさを感じる人。 学校や職場での生きづらさを感じる人。 キャリアについて生きづらさを感じる人。 家族関係で生じる生きづらさを感じる人。 恋愛で生きづらさを感じる人。 自身のステータスや立場について生きづらさを感じる人。 自身の性格について生きづらさを感じる人。 この世界や人生というものに対して漠然と生きづらさを感じる人。 これ

          どうしても私は恵まれていると感じる。

          人生に悩んでいる人なんているの?

          「たいていの人は人生に何かしら足りない、あるいはモヤモヤしたものを感じている。何かしっくりきていない。もしくは、人生に悩んでいる。」 これは、これまでの記事の多くの前提になっているもの。 どうだろう。 私の周りやオンラインの方々を見ていると、上の前提は、大きく間違っていないように感じてしまう。 しかし、私の周りやオンラインは「世界」ではない。それだけで決定してしまうのは、あまりに視野が狭すぎる。だからこそ、実はその逆の可能性も大いにあることを今回は考えたい。 意外と、ほ

          人生に悩んでいる人なんているの?

          相手の枠に当てはめられることには慣れた。

          今回の記事では、ラフな話を、ラフな感じで。 私が「日々を楽しく過ごしている」と言ってもさまざまな反応が返ってくる。 「そうやって自分に思い込ませてるだけでしょう。」 「今、恋人いないの?寂しいでしょう。かわいそうに。」 直接こういう言葉をかけてくる人もいれば、間接的に言われることもある。 (これらはただの一例。このブログは基本的に幅広い意味での「性」に関するものなので、恋人の例を取り上げた。) その時に思うのは、 「この人自身が楽しいと言う時は、そう自分に思い込ませて

          相手の枠に当てはめられることには慣れた。

          「子供は好きですか」という質問。

          「子供は好きですか」 いつも私の答えは「子供によります」。 というより、そんなこと考えない。 あなたは大人が好きですか? これまでの人生で、子供を持ちたいと思ったことがない。 そんなことを人に話すと、 「子供は好きですか?嫌いですか?」と質問されることがある。 (そもそも子供は育っていくので、「子供」のままではない。) 質問の意図としてはわからなくもない。 「子供」という概念、ぼんやりしたものに対して好印象は受けますか、ということなのだと思う。 その上、「小さい子供」

          「子供は好きですか」という質問。

          意味が感じられない、だからなんだというのだろう。目的がないからなんだ。どこに向かっているかわからない、だからなんだ。自分がわからない、だからなんだ。 何を感じ考えようと、「今」じゃないか。

          意味が感じられない、だからなんだというのだろう。目的がないからなんだ。どこに向かっているかわからない、だからなんだ。自分がわからない、だからなんだ。 何を感じ考えようと、「今」じゃないか。

          性欲が鬱陶しく「なくなって」きた。未知の方向へ。

          このブログを通して「性欲」「性」と向き合うことをこの半年以上してきた。 最近、投稿記事数が減ったのは、「性」から受けるモヤモヤを「言語化したい」という思いが減ってきたからだと思う。 経験は、言語化・記号化されることによって、牙を抜かれる。 言語化により、未知のものが既知になる、と思い込む(幻想を作り上げる)。 未知だとモヤモヤする。たいていの人は、モヤモヤを嫌うのでなんとか記号に当てはめて(言語化して)しまいたくなる。これは「悲しい」「楽しい」などの感情に当てはめる。ある

          性欲が鬱陶しく「なくなって」きた。未知の方向へ。

          カップル・子連れ家族への同世代たちの感情

          最近、同世代の友人などからよく聞く言葉がある。本当によく聞く。 「街で同世代の子連れ家族を見ると辛い」 「他のカップルを見ると、精神的にダメージを受ける」 もちろん、彼らに恋人、配偶者は現在いない。 私はそういう気持ちにならない(何年も前であればなったかもしれない)。 そういう気持ちにならないから良い・悪いという話ではない。 何が彼らをそういう気持ちにさせているのか気になる。 彼らに質問すると出てくる答えがいくつかあった。まとめると以下のようになる。 ・羨ましさ、妬

          カップル・子連れ家族への同世代たちの感情

          恋愛、結婚や子供の話の違和感

          タイトルの通り、何かモヤっとしたものを感じる時がある。 恋愛、結婚、妊娠、子供のトピックがモヤっとした感覚を引き起こすのではない。 「周りのことなどどうでも良い、そのことで頭がいっぱい」という感じで話されると、モヤッとすることがあるという話。8割方は微笑ましく感じるが、あとの2割はそうではない。その違いはわからない。 あなたの話をあまり聞かれずに、あるアイドルの話ばかりされた時を考えて欲しい。 そのアイドルにあなたは全く興味もない。 「どう?いいでしょう?」とよく知らな

          恋愛、結婚や子供の話の違和感

          人生観の乖離、恋愛、結婚。

          「結婚において人生観の一致・類似は重要だ」 これに賛同する人はまあまあいると思う。ほとんどの人はそうではないだろうか。 そもそも人生観の枠組みにおいて、私は多くの人と異なる気がしている。 私と他人の人生観の類似、ましてや一致など起きることなどほぼない。 「生活を互いに助け合っていく人たち」であれば、いると思う。人生観の一致はそこには必ずしも必要ない。 (ただ、互いに「他者に開いた人」でないと、双方ともにストレスが溜まっていくことは避けられない。) しかし、人々は言う。

          人生観の乖離、恋愛、結婚。