ポプリの葉噛み締めてみて苦味かな
毎朝早く起きるだけで随分といい時間が過ぎてしまうわけで、最初の一言が誰かの言葉だからと言ってどうにもならない現実はあり、であるのならば、必要なのはやはり課程ということになる。
結果ばかりを好んでいるうちは今日の晩御飯のことしか考えなくなってしまうので、さりとて幸せであるということを否定的に考えなくても良いのではという気分にもなっている。
けれど、現実的に考えて概念的生殖という問題が一体何に起因するかを改めて考えるべきだ。
生殖というと確かにsexを連想させる。
生殖は子宮に精子が届いて行われる自己複製で生命の定義の一つではある。
だが、sexに必ずしもこの受胎行為が必要であるかと言われると当然ながらそうではない。
快楽によってのみお互いの価値を確かめ合うというのは若者であるが故んだ。
あ
まあ、歳をとるとともにそういった営みに嫌悪感を感じてしまうのは確かだが、それでも生きるという前提や私であるという事態に遭遇する場合性交渉は必要不可欠とは考えられる。
あなたの存在によって私は病を肯定できるというべきだろうか。
暗闇に塗れてしまうことを恐れているたびに現実は反転しないようにだけ苦しみを与える。
月並みな言葉で言えば、私は幾分か私を逸脱してしまう瞬間があるのだ。
ところで、音楽を作る側と音楽というものに二つの人格を与えたとしよう。
音楽そのものは果たして男性であるのか女性であるのか。
そして音楽を聴く側と音楽を作る側に分けたとしよう。
当然ながら前者は女性、受け身側だと想定できる。
女性同士の性交渉は可能だ。
だが、生殖行為に関しては実現出来るだろうか。
子供を産む為には生物学的定義に基づいた手順が必要だが、セックスつまり快楽欲求の充足にはそう言った事態は必要とされない。
そう考えて発展させていくと、当然ながら男性と男性、もしくは見た目や環境に基づいた相手との性交渉。
こういった手段に基づいて私を考えていくと、この先に明るさは灯っているのだろうかと考える。
はしたなく考え続けたとしても、嘘は肯定できない。
真っ直ぐに前を向く手段を放物線を描くようにして放り投げても解決はしない。
まあ、記憶はどこまでも分断されることなく空を飛んでいる。
限界地点では適正値が補正された瞬間に夢を見ている。
あぁ、そう考えた瞬間にオイディプスではないことを知ってしまう。
金属バットについた血の匂いがまだ頭にこびりついている。
どうせ過去と現在を未来によって肯定できるのだとしても、瞬間の記憶は存在している。
一体自分がどこにいるのかわからなくなる。
年齢を重ねるという行為に私は自惚れているのかもしれない。
結局のところ、何もわからなかった。
後付けで誤魔化していても、儚さだけが希望を作る。
そういう繰り返しをいまだに生きている。ポプリの葉噛み締めてみて苦味かな
毎朝早く起きるだけで随分といい時間が過ぎてしまうわけで、最初の一言が誰かの言葉だからと言ってどうにもならない現実はあり、であるのならば、必要なのはやはり課程ということになる。
結果ばかりを好んでいるうちは今日の晩御飯のことしか考えなくなってしまうので、さりとて幸せであるということを否定的に考えなくても良いのではという気分にもなっている。
けれど、現実的に考えて概念的生殖という問題が一体何に起因するかを改めて考えるべきだ。
生殖というと確かにsexを連想させる。
生殖は子宮に精子が届いて行われる自己複製で生命の定義の一つではある。
だが、sexに必ずしもこの受胎行為が必要であるかと言われると当然ながらそうではない。
快楽によってのみお互いの価値を確かめ合うというのは若者であるが故んだ。
あ
まあ、歳をとるとともにそういった営みに嫌悪感を感じてしまうのは確かだが、それでも生きるという前提や私であるという事態に遭遇する場合性交渉は必要不可欠とは考えられる。
あなたの存在によって私は病を肯定できるというべきだろうか。
暗闇に塗れてしまうことを恐れているたびに現実は反転しないようにだけ苦しみを与える。
月並みな言葉で言えば、私は幾分か私を逸脱してしまう瞬間があるのだ。
ところで、音楽を作る側と音楽というものに二つの人格を与えたとしよう。
音楽そのものは果たして男性であるのか女性であるのか。
そして音楽を聴く側と音楽を作る側に分けたとしよう。
当然ながら前者は女性、受け身側だと想定できる。
女性同士の性交渉は可能だ。
だが、生殖行為に関しては実現出来るだろうか。
子供を産む為には生物学的定義に基づいた手順が必要だが、セックスつまり快楽欲求の充足にはそう言った事態は必要とされない。
そう考えて発展させていくと、当然ながら男性と男性、もしくは見た目や環境に基づいた相手との性交渉。
こういった手段に基づいて私を考えていくと、この先に明るさは灯っているのだろうかと考える。
はしたなく考え続けたとしても、嘘は肯定できない。
真っ直ぐに前を向く手段を放物線を描くようにして放り投げても解決はしない。
まあ、記憶はどこまでも分断されることなく空を飛んでいる。
限界地点では適正値が補正された瞬間に夢を見ている。
あぁ、そう考えた瞬間にオイディプスではないことを知ってしまう。
金属バットについた血の匂いがまだ頭にこびりついている。
どうせ過去と現在を未来によって肯定できるのだとしても、瞬間の記憶は存在している。
一体自分がどこにいるのかわからなくなる。
年齢を重ねるという行為に私は自惚れているのかもしれない。
結局のところ、何もわからなかった。
後付けで誤魔化していても、儚さだけが希望を作る。
そういう繰り返しをいまだに生きている。
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