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上海生まれの娘と僕は三角関係⑦

僕の娘は上海生まれ。

妻は親不孝者だと言われていた。

劉さんの両親は孫の事が異常に大好きで
毎日、会いに来る

両親は少し異常じゃないかという程、孫の事しか見ていない。そして娘が何をしても笑顔で顔が柔らかくなる。その気持ちの入れようから、微妙に僕や妻の劉さんには冷たくなっていく。孫を持つと自分もそうなるの?
よく聞く話ではあるが、それにしても・・・ 
と思っていた。

僕達は娘が生まれて暫くしてから
引っ越しをしていた。

引っ越し先は実家より歩いては通えない場所になり地下鉄で3駅離れていて駅から、また歩く。家に通うには少し遠くなる。両親は車移動はできないので家に来るにも時間をかけて電動バイクか公共乗り物になる。


出産後の30日間、安静にし免疫を回復する期間に両親が家に住み込み娘と生活をしていた後、娘を実家に連れて帰ると言い出し時には必死で断った。

その時の事もあり、 
僕は少し距離を置く思いもあった。

場所が離れれば会うペースが2日、3日に1回と減るかなと思ってたけど、

そうはいかない!
両親は遠いけど毎日 会いに来る。

そして引っ越してから間もない頃に両親も毎日通うのが流石に厳しいという状況から
週末は私たちに預けなさい
という話を持ち出してきた。

僕らは悩んだ

確かに週末だけ娘を預ければ、
僕らも少し楽になる

金曜日の昼間に娘は実家に行き
日曜日の夜に引取に行くという話。

金曜日仕事帰りも寄り道ができるし土曜日、日曜日の夕方までは自由時間を確保できる。少し子育てにも疲れていた部分もあり両親の提案は悪くはないんだけど、何か僕にはしっくりいかない。

僕らは両親の説得を誤魔化しながら
拒否をしていた。

確かに子育ては大変だけど僕にとっても週末は朝から夜まで子供と共にできる貴重な時間。この時間はとっても大事で子供と長時間遊べるので言葉や成長やしぐさなど、娘を観察する事が楽しい時間でもあった。

たまには両親に助けてもらいたいとは思うが毎週末となれば、その時間が基本無くなる事になる。必ず毎週!という暗黙のルールにはなりそうで、腑に落ちない。

土曜日の朝はパパと二人で公園に行き遊んで、ショッピングモールでウロウロ。そんな感じで散歩が僕の楽しみだったけど、それも出来なくなる

丁度 保育園に通いだした頃で、色んなものに興味を持ち言葉もぐんぐん覚えだして成長を感じる時期。表情も変わるし、色んな笑顔を見せてくれている。両親は今週から、今週からと今でも連れて帰りたい。

困ってるのは劉さんになる

できれば預けたくないけど、
両親の想いも理解してる。

自分も少し楽したいし、

そんな僕らの弱みをドンドン踏み込み
圧力をかけてくる。

両親の世代は孫を面倒を見るのが楽しみ一つ。
孫を連れて公園デビューするのが夢の両親達の世代。それは孫自慢をする為で公園仲間に孫を自慢させられてきたから次は自分の番だという思い。メンツを大事にする劉さんのお父さんは可愛い孫を兎に角 自慢したい。

そんな文化も劉さんは理解もしつつ楽しみを奪うのもよくないという思いもあり、そんな話を聞かされ、両親の強い押しにも負け、承諾する事になる。

僕らは、両親に助けてもらう事で、体力や精神的に少しは楽になった。

金曜の朝、仕事行く前に娘と別れ、
日曜日の夕方に両親の家に行き娘を連れて戻る。

丸2日間は娘と接しない時間がある。
僕しか日本語、日本文化を教える人は居ないので休みの日が貴重ではあったけど、仕方なく諦める事になる。

一応、しまじろう のDVDや本も実家に置いて1日に何回かDVDを見せたり本を見せたりと意識してほしいと伝えた。

両親からしたら僕が日本文化や日本語を教えないといけないという焦りとは無縁で気にもしていないし、そんな僕の心情はきっと解らない。

娘を週末あずけ、楽になったな~という思いもあったけど、次第に、会いたいけど会えないみたいな毎週末に変わる

来週の週末は家にもどれないかな〜と言っても 中々 両親はOKでしてくれないらしい。
僕も、その辺は劉さんにお任せして両親と仲良く上手く付き合ってほしいので、僕は極端な口出しはしていない。

心では色々葛藤はあるけど中国の文化や習慣もあるし変な波風を絶たないように家族関係を築きたい事もある。独り占めしたいとか預けたくないとか、そんな感情じゃない。出来れば両親には助けて欲しいし協力してほしい。

でも、なんというか少しニュアンスが違う。

僕が抱いた印象は、奪われる。
という印象だったから気が乗らなかった。

少しモヤモヤもありつつ数か月が過ぎ、それにしても両親の娘への執着が凄いよねと〜話ている時に妻は、両親から 僕らが拒否し続けていた時期に

「孫を親に預けないヤツは親不孝者だ」と怒られていたらしい。そんな事があった事を僕は今になり知る。だから承諾したんだね。と あの時の心変わりを察した。

言葉が解らない僕は劉さんと劉さんの両親が話す会話は正確には解らない。きっと電話や家に来た時のやり取りで、それらしい話はあったんだろうけど、説明してくれない限り僕も深く知る事もない。

同じ日本語同士なら直接関係ない会話でも横で話している事は理解して状況をくみ取ることができる。しかし僕の場合、劉さんと親が何か言い合いしていても具体的には理解していない。何で、そんなに言い合いしてるの?と聞いても、ややこしくなるので言いたがらない事もある。なので 僕もそんな事が続くと自分から聞かず、そっとしている。親との揉め事は、かなり後になり熱が冷めた時期になって過去の事として聞く事も多い。確かに、いちいち通訳してられないし怒ってる時に事情を説明するような冷静な会話は難しい。僕は時折、劉さんのお母さんが劉さんと言い合いになりながらも僕に笑顔を見せてニコリとしてくるので、僕もニコリとして返す。

しかし、その裏では壮絶なやり取りをしているのかもしれない。

妻は親不孝者だと言われていた。

上海生まれの娘は、そんな両親とやり取りがあった事も知らず
金曜日は家に帰って来ない。きっと実家で楽しく しまじろうを見てる。

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