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多国籍家族の聖地巡礼記ミャンマー編⑧

2020年ミャンマーに中学校の娘を連れて
家族でバックパッカー旅をした話

僕らは上海に住む3人家族です。

僕;日本人
妻;上海人(劉さん)
娘;中学生(当時)→神に興味なし   

※軍事クーデターにより混乱したミャンマーに
静穏な日々が早く戻る事を願いつつ
魅力あるミャンマーの聖地巡礼記を
書き残したいと思います。

2020年1月31日

WHO緊急事態宣言 感染者数9692人 
死亡者213人
新型コロナウイルスニュースは世界を駆け巡る
ミャンマー経済の中心ヤンゴンに着いた僕らは
ニュースの広がりを感じていた
徐々にマスクをする人がチラホラ見え出した
ここ数日で世界は変わりつつあるのを
ここミャンマーでも感じた

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ヤンゴンの空港に着き空港の近くで宿をとる
本来なら今夜の深夜に中国へ戻るはずだった

僕らは明日の朝にバンコクへ向かう

ホテルから市内へ向かう為のルートを探る
空港は市内の北に位置してるので
市内までは距離がある
バス、タクシーが主な交通手段になるが
ホテルの近くに駅があると受付で聞き
駅に向かう事にした

ホテルからタクシーで10分の位置でタクシーを降り
茂みの中を進むと線路がでてきた
線路沿いに長い長いプラットホームがあった
プラットホームと言っても
地面より1段高くなったレベルで
雑草も生えガタガタの表面のホームを
南方向へ歩くと改札らしき建物がでてきた

どうやら、ここで切符を買うらしく
市内の行きたい駅を伝え切符を購入
いつ来るかよくわからないが
黒板に時刻表らしき文字があるが見ずに待つ

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ヤンゴンの気温は夏のように暑く
汗が出て喉がかわく
30分ほど待ったら電車が入ってきた
そこで思わず驚くのが
なんと入ってきた電車が日本のJRの電車だった

しかも先頭車両の頭には「試運転」の文字
でも人が沢山のってるし窓も全開
窓だけじゃなくドアも全開
完全に電車が止まる前に低いプラットホームから
次々と人が乗り込む

僕らも慌てて乗り込む
社内はどこか日本風
日本で役目を終えた電車がミャンマーに移り
現役でミャンマーで第二の人生を迎える電車
定年退職して海外で働く日本人のようにも見え
日本では戦力外通告を受けても海外では
受け入れられ活躍している

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国の外交の一環として支援しているような
日本語の刻印された板がついていた
日本から中古で手に入れた電車をカスタムせずに
そのまま使っている感じで至る所に日本語があり
さほど手を付けずに再利用している様子

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ミャンマーでまさか日本のJR車両が活躍
日本語も至る所に書いててミャンマー人も
日本からの贈り物と認知もあり、なんか嬉しくなる
中国とはえらい違いだな(笑)
こうやって誰かの役にたっている
多くのミャンマー人達の生活を支えてる事を知る

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そして電車マニアにはたまらない光景だと思う

僕らは市内に到着しウロウロ
ミャンマーに来て初めて都会を感じ
ショッピングモールに入った

今まで近代的なモールのある都市はなかった
それだけヤンゴンと他の都市との差も感じていた
ショッピングモールに来た目的は昼食だった
ヤンゴンに着くなり検索していたようで
この店に来る事を決めていたようだ

僕も最後のヤンゴン
最後のミャンマー最後の晩餐だー!と
思いミャンマー料理を食べようと
考えていたけどレストランに着いたら
なんと香港料理の飲茶店だった。

どうしても中華食いたいんだね?
何回ミャンマーで中華食った?

娘と妻は大喜びで飲茶メニューを見てる
確かに美味しいけどさ・・・
久々だし中華食いたい気持ちもわかるけど(笑)

僕ら今回の旅でミャンマー料理食べたかな~と
古い記憶を思い返す

そして、ずっと続いていた 
これから家族は どこ行く問題

僕らコロナ難民家族!

そんなテーマで僕らは
マンダレーから常に議論してきた
刻一刻と変わる世界情勢
この状況で中国に戻るのか?戻れるのか?
第三国に避難するのか?出来るのか?

散々家族会議をしていたと思う

マンダレーから変わらないのは
劉さんと娘は日本に行く
僕の実家へ向かという強い意志

劉さんは、

仕事はすでに2週間の延期が決定
中国に戻らない方がいいと皆に言われる

コロナと関係なかった上海で
渡航禁止になる前に出国できた僕ら
中国に戻ると、再出国は不可能になる
この先酷くなる可能性を皆危惧して
そうアドバイスしてくれた

第三国で長期滞在を考えた場合
日本なら住む場所確保ができ
助けてもらえる
いつ中国に戻れるかは未定だった為
長期化するか短期化か 判らない状況
日本へ一時避難+僕の親にもあえる

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反抗期寸前の娘も

学校の再校も延期
いつ再開するか未定(一月は延期が決定してる)
とにかく日本に行って遊びたい

僕は

まだ会社から正確なアナウンスは無し
政府が許可しない限り営業再開は出来ないが
どのような状況なのか混乱中
ただ当初予定していた旧正月明けに会社は
動けないだけ分かってる

いつ再開?どこまで再開できる?
事務職は可能?工場は?外部業者は?
物は入荷する?出荷できる?など
判らない事だらけ
自分自身の仕事処理も溜まってる

日本に戻っても
上海の自宅にあるノートパソコンを持ってるなら
最悪日本でも処理できるかもしれないが
このまま日本に戻っても仕事が出来る環境がない
僕はどのみち仕事の観点から
上海にある自宅に戻らないと困る
工場がSTOPしても
日本とのやり取りは常に起きる
第三国で呑気に放浪はできない

僕は心の中では決めていた
僕は中国へ戻ると!

家族に説得して戻ろうと思ったけど・・・
横を見ても娘と嫁は
もう日本で何する話しか してないし(笑)

何より中国へ戻るというのは
戦場に向かう!という状況だったので
そこに僕の我がままで妻と娘を連れて行くのも 
どうかと思いだす

安全な場所へ避難してもらい
安全になれば上海へ戻ってくる
それが一番いい選択かなと決心した

僕は妻と娘に じゃ僕だけ上海にもどるよ
僕は仕事あるからさ
二人は日本に行って暫く様子みてから
上海に戻ってきなよ(優しいパパの発言!)

えっ!パパは日本に来ないの?
中国戻ると死ぬよ!
 と
久々にパパを気遣うやさしい娘
ってか 死ぬとか発言が極端なんだよ!

パパは中国で皆と共に団結し戦うよ!っていうか
本来これお前のセリフだからね

娘と妻が口を揃えて! 
パパ中国好きだね~!と感心

いやいや、嫌いじゃないけど、
そこまで好きじゃない!と断言!(笑)
しかも死ぬときは畳の上と決めてるからさ!

ただ仕事の関係で放浪できないだけだよ
じゃ上海に戻りノートパソコン持って日本に行く?
それも大変でしょ

まぁいいよ
これが武漢に戻るなら流石に考えるけどさ
上海だからさ大丈夫でしょと楽観的だった
何より、この時点で日本の本社は、
まだコロナで上海が止まってるとか
よく解ってない。日本はまだ楽観的だった

旧正月もあり情報の混乱もあり
武漢の話で上海の話ではない為
上海に影響してないと思っていたし
もし第三国に避難しに行くなんて言うと
なんて大げさな!
と笑われるようなニュアンスだったので
会社には、避難するとは言えなかった

そして僕ら家族は別々のチケットを購入した

バンコクに行き 
その日の深夜で僕一人上海へ戻る
嫁と娘は更に2日後に日本へ行く

ちゃっかりバンコク満喫する計画で日本へ
何度か、嫁から本当にいいの?
一緒に日本行く方がいいんじゃない!と
聞かれたけど
僕は、もう意地になってた
もう上海に戻るって決めたしさ!
あなた中国の為に戦う日本人ね!(笑)

だから 本来立場逆だってば!(笑)
僕だけ日本でしょ!普通!

まあそんな冗談ばかり言いながら
食事も終え
娘に約束のタピオカミルクティー屋へ連れて行く
ヤンゴンで見つけたタピオカミルクティー店

娘にとっては、ようやく汚く辛い旅が終わり
お洒落な旅に映え写真ようやく撮れると喜び
ミャンマーの旅第2章の始まりを興奮していた

汚い顔して汚れた服着てミャンマーで
バックパッカー旅写真をUPしてると友達に
どこ行ってるのよ~と笑われるんだからさ~と
インドよりマシだろ!(笑)

娘には娘の人間関係の世界があり
その世界で彼女も生きている
中学生でバックパッカーで旅する友達は
流石に中国でも少なく
この春節は皆 親戚周りでお年玉沢山もらいを
ショッピングに出かけ服や玩具を買ってもらったり
美味しい料理食べて楽しんでる写真をUPしてる

娘は寝台バスで夜中にたたき起こされ移動し
寒さに耐えて知らない土地をドタバタと親に
連れまわされ興味のない仏像を
永遠と見て駆け巡る旅をUPしてる(笑)

パパはそんな娘の方が楽しそうだけどね~と
励ますが
次は行く場所、ちゃんと教えて!と 
言えば来ないでしょ!
こんな旅だから楽しいんじゃん!
と無理やり連れまわす 

でもこんな旅できるのも
そろそろ年齢的にも残り少ないね
次は友達と行けばいいさ。

これは娘の為の旅というより
僕ら親が我が子と楽しむ 親の為の旅なんだ!

きっと子供は、ミャンマーを政治的に
経済的にも観光的にも理解してないし
知識も薄いし興味もさほどない

でも僕らにとって場所より重要なのは
子供と旅する事だった
親が子供と旅できるのも 
そう多くない気がしていたし
元気なうちに沢山思い出作り

世界は広いという事を漠然とでも知るだけでいい
歳をとれば僕は忘れているであろう旅の話を
子供としてみたい
そんな親の我がままな気がした
まあ今のこの娘には理解不能(笑)だね。

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ショッピングモールを出て
アウンサン市場に行き夕刻に向けて歩いて
ミャンマー三大聖地巡礼地の最後のパゴタに向かう

パゴタ コンプリートだ!ミャンマー制覇だ!

ここは今までみたパゴタの中では
確かに一番見ごたえもあり
綺麗で仏像も多く信仰者も多く賑やかだった
相変わらず娘は巨大なベルと言ってた

中央に位置する巨大なヤンゴン・パゴタの重力に
引き寄せられるかのようにパゴタの周りには
細かく沢山の仏像エリアがあり 
その一つ一つで世界が異なり
小さな銀河を形成する世界観がある
そして、この時空は宇宙を形成するかのような
信仰心の強いパワーを放出している

僕は自分の旅のルートを見直して
最後にここに来たことを大正解だったと感じた
このパゴタから始まる旅も考えたけど
このパゴタの凄さは最後に見たからこそ
気が付くものかもしれない

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バゴーのジャングルに埋もれた涅槃像から始まり
ゴールデンロックに行き
インレー湖で無数の小さな仏塔に座る仏にあい
マンダレーでマハムニ像を拝み、
白亜の須弥山で世の中の真理を感じ
バガンで失われた都遺跡を周り
最後のミャンマー聖地巡礼地としてふさわしい
最高のパゴタをみれた

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僕のミャンマー聖地巡礼は ここで終わる

はずだった・・・出発する前は

ここから僕は行く予定のなかった
神の国タイのバンコクへ向かう

その後一人戦地 中国へと戻る。
この選択は果たして正解か
何度も自問自答していたけど答えはでなかった

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後から判った事だけど
仕事と命どちらが大事かという事
妻は僕に言っていた
リアルにその思いは、
その時の僕の心には刺さらなかった
きっと意地になってたから

2020年2月頭
得体のしれないウイルスが蔓延しだしている中国に
行くという馬鹿な外国人は少なかったはずだ

⑨へ続く

聖地巡礼記 ミャンマー編↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

聖地巡礼記 インド編↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


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