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認知している課題と、受け入れている課題

個人の課題には2つあると思います。「認知している課題」と「受け入れている課題」です。詳しく書いていきます。




1. 課題を受け入れる辛さ

課題を受け入れるとは「現状認知している課題に対し改善を試みようとしている」と換言します。1認知 + 2改善心。2の有無は大きな差があります。

できない自分を受け入れること。それは「できないです」という看板を掲げること。恥ずかしい。辛い。認めたくない。

しかし、受け入れるよう意識します。なぜなら、何が足りないのか、どのくらいやるのか、誰に相談すべきか。それらを知る必要があるからです。


2. 成長のスタートラインに立つ

メタ認知・メタ思考などの言葉をよく耳にします。自分が現在どのような状態か。自己を俯瞰的に把握し言語化できなければ、次の目標・思考・行動へ移行できない。成長のスタートラインに立てないのです。

自分と真摯に向き合い「変わりたい」と強く思わなければ、行動は変わらないでしょう。他人の言葉も受け入れることはできない。なぜなら、言葉を受け入れる準備ができていないのです。できれば、自分の聞きたい話だけを聞いていたいですよね。

つまり他人からの「やったほうがいいよ」という提案は、受け入れ難い仕組みになっています。よってこれは「自ら気付くしかない」という一義的且つおそろしい事実です。


3. 桜木が課題を受け入れたとき

もーちょっと ボールは高く上げた方がいいかな…
明日オヤジに聞いてみよう

『SLAM DUNK』桜木花道

桜木花道がシュート2万本合宿にて、録画された自身のフォームを確認するシーンです。桜木はバスケを始めてからこの合宿までの期間、確実に成長してきました。しかし、ポテンシャルに拠るものが大きかったのではないかと勝手に推測します。

リバウンドやスクリーンアウト等のスキルは、元々身体能力が高い桜木にとってはさほど練習量を必要としなかった。自分が未熟だと認知はしつつも、受け入れてはいなかった。しかし、ジャンプシュートは他スキルと異なり、力を抜く、膝を使う等、習得困難な技だったと思います。

この合宿時の桜木は、自分の課題を受け入れています。神奈川予選時とは明らかに変容し「素直さ」が垣間見えたシーンでした。


4. 書き留めるという哲学

私は「悩んでいます」という状態をそのまま文章にしています。その瞬間をただ鮮明に言葉にしてnoteに書き留めます。

それは「分からない」という恥ずかしい状態、考えている途中、答えに辿り着いていない状態を言葉にしているということ。分からないという自分を受け入れています。勿論、完璧な文章ではありません。

自分の考えを他者へ披露することはとても怖い。しかし、都度言葉にして公開してみる。小さな挑戦をしてみる。おそらく私は、noteユーザーさんとの「無言の対話」によって成長しているのだと思います。


まとめ

課題を受け入れるために自分と対話をしています。書くことは、自分を認識すること。「課題を受け入れる状態」が形成されていきます。

分からない、完璧ではない、だからこそ探究し続けていく。むしろ、正解に辿り着かない状態を保ちたい。そうすれば思考が止まることなく挑戦と成長を繰り返していけると信じています。




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