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それは発達障碍ではなく、とんでもない才能なのでは?

現代の精神病と呼ばれるものがある。

ADHDやASD、アスペルガー症候群など。

これらは以前までは注目されてこなかった所から、気がついたら大きな話題となっていたりする。

そしてそれらは治療しなくてはならないもの、社会不適合ということで、隔離されたりする。

それを病気として、減らす事が必要なものとして扱うのが現代社会。

そして親としては、子供がそうであると悲しい、不幸などと考える事があるかもしれない。

自分の子供が周りに迷惑をかけていないかどうか、とても気にする事が多いかもしれない。

だが、本当にその考えは正しいのか。






そもそも何が正しいのかという基準は、とても曖昧なもの。

生きる時代や背景によって、その人の扱われ方や才能の発揮の仕方は変わってくる。

平和な時代には戦いに強い人は役に立つ場面は多くはないが、社会が混乱状態や戦争中である時にはとても必要とされる。

農耕が主だった時代には、土いじりが得意な人は役に立つが、その時代にAI研究者が行っても活躍できない。

学生の時に先生に逆らって成績が悪かった人が、社会に出ると有名な経営者として活躍しているかもしれない。

大企業で偉い役割の人がベンチャーでは役に立たないことや、ベンチャーの行動力が大企業では邪魔になることもあったりする。

このように、その人が持つ才能が環境次第で発揮されるかどうかは大きく左右されるように感じる。






ADHDやアスペルガー症候群、ASDはどうなのか。

いずれも枠をはみ出している存在であることは間違いない。

そしてそれらは見方によっては、誰も真似できない才能のように見て取れる。

ADHDは他の人が気がつきえない様々なところに注目する事ができる鋭い才能の持ち主。

そしてフットワークの軽さや多動力を当たり前のように発揮して、いわゆる普通の人よりも多くの経験をする事ができる。

アスペルガーやASDではこだわりが半端なく強い完璧主義を極める事ができる。

99.9のものでこれ以上完璧に出来る余地がないと一般の人が考えるところを、99.9999まで高めるだけのポテンシャルを秘めている。

上記は一部の例に過ぎないが、他の現在では病気とされることでも見方を変えると、実は現代人には理解できていない才能にただレッテルを貼っているだけに過ぎないような気がする。








精神病とされている人は、たまたま今の社会に当てはまりにくい人や特徴を指しているに過ぎない。

欠点とされている部分がたまたま目立ってしまっているだけ。

そしてそのことで周囲が合わせようとする余裕のある心が不足、もしくは理解できていないだけなのかもしれない。

理解できないような本当にすごいことというのは、通常の枠から飛び出しているということ。

枠から飛び出しているということは、それだけ可能性に溢れているということ。

そして、おそらくこの才能を持った人が次の時代を作っていくに違いない。

一般人では到達できる世界を遥かに超えた所まで辿り着ける可能性のある人、そのような人こそが今の時代必要とされている。

だからこそその人が生まれてきたと言っても間違いないのかもしれない。

病気なんかではない、それは誰も真似できない素晴らしい才能。

その才能をさらに伸ばしていく環境を整えるとともに、少しでもその人が苦手部分を支えられる存在でありたい。

真の意味の共生が達成されるために。






ありがとうございました。

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