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【自責の声】心より深くに刻まれた“記憶“

「大丈夫なフリ」ができなくなって、鬱になりかけて、上司に相談をして昨日は半日で帰らせてもらった。
今日も一日休みをもらうことにした。

業務はこっちでやっておくから気にしないで。
どこか美味しいもの食べに行ってもいいし、ドラム叩きに行ってもいいし、リフレッシュしてきて。
けんごくんは大事な仲間だからね。無理しないで今日明日はゆっくり休んでね。

温かい言葉をもらって、本当に助かった。
心が救われた。
勇気を出して相談して本当に良かった。


それなのに…


昨日の夜、いつも通り自分の気持ちをノートに書き出していた。
書いていたら、気づいたら「自分を責めるような言葉」になっていた。

※きつめの言葉もそのまま載せてるので、メンタル弱ってる方などは注意して読んでくださいね。

休んだんだからそれなりの結果示せよ。
休んだ分取り返せよ。
みんな休みたくても休まずに頑張ってんだぞ?
何おまえだけ休んでんだ?

不思議なほどスラスラと書いていた。

この数年で自分を責めることがなくなってきたと思って喜んでいたけど、心より深いところに刻まれた記憶が、ぶわっと溢れてくるようだった。

気づいてないだけで、自分を責める声は、心の奥に隠れてたんだ。

この声のせいで、上司や先輩からも責められる不安がいつもつきまっとていたんだ。(心理学的に言う「投影」)

この声のせいで、仲間のはずの上司や先輩や同僚が、まるで「敵」みたいに思えて怖かったんだ。


頭ではわかってる。
でも腹の底には「自責の声」が潜んでる。

頭で抑えられるのは、それなりに元気なときだけで、「できてるとき」だけだ。


「自分を責める声」は、自分に厳しい。

「もっと頑張れ」
「まだできるだろ?」

その声が僕を奮い立たせて、勉強や仕事を頑張ってこれた面もきっとある。
その声が努力を促してくれたこともきっとある。

だから、悪いことばかりじゃない。
頑張らせてくれてありがとう。
そしてよく頑張ってきたね。


でもね、

きっと自分を責めなくてもできるよ。

自分に厳しくして奮い立たせなくたって、自分の意志でできるよ。
それがやりたいことなら。

できる範囲でやったらいいんだからさ。
できないことまでやろうとして、やらなきゃと思って苦しかったかもしれないんだ。

誰かの基準に合わせて生きるときゅうくつでしんどいよ。


できる範囲でやればいいよ。

自分のやりたいことをやればいいんだよ。

やりたいことしか、やれるようにしか、結局のところ続かないよ。

できる範囲でやればいいよ。

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