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徳川家康とスマホとタピオカを持つ若者に学ぶ

皆さん、おはようございます。

もし、徳川家康が、右手にスマホ、左手にタピオカを持っている今の若者を見たら、何をしているのか理解できないだろう。
それはそうだ。
徳川家康の時代にはスマホもタピオカもなかったのだから。
こういうと、おそらく、多くの人は理解できると思います。

しかし、自分が、今の若者を見る時、自分自身も徳川家康だということには気づかないのです。

テクノロジーや文化などといったものは、後に生まれれば生まれるほど、新しいものに触れ合えるのです。
今日生まれた赤ちゃんは、生まれながらに、スマホがあり、VRがあり、電子マネーがあります。
これが当たり前なこととして、この赤ちゃんは育っていきます。
それをもとに、今の大人にはない新しい発想をするわけです。
しかし、多くの大人はこの新しい発想を受け入れられないのです。
自分自身が、徳川家康のように遠い昔の人だと思わないから。

まだまだ、自分の時代だと思っているのである。

今の若いものは何を考えているんだ、まだまだあいつは青臭いなどと、新しい発想を拒否するのです。
それは、無知からくる論理性のない自己保身のためのくだらない拒否である。
確かに、若者には、経験や実績というものは、少ないのかもしれない。
だからといって、若者の意見や発想が悪いということにはならない。むしろ、経験や実績のある大人達より、価値のある新しい価値を生み出しているのではないだろうか。
だから、僕は、自分も徳川家康のように昔の人なんだと思い、現代社会に適応できるように、若者の意見や発想を尊重し、耳を傾けるのである。


もう自分の時代は終わっている。
今は、若者の時代である。


若者の時代になったことが悲劇ではない、今も自分の時代だと思っていることが悲劇なのだ。


次回は、僕が読書の時にしていることのお話です。


それでは、いい1日を。

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