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フランシス・ベーコンの絵画を見るために日本の美術館を巡った話

フランシス・ベーコン(1909~1992年)はアイルランドのダブリン出身で、イギリス人の両親のもとに生まれた画家です。

その生涯は20世紀とともにあり、第一次世界大戦、第二次世界大戦、米ソの冷戦など激動の時代を、ロンドン、パリ、ニューヨークなど各地を転々としながら活躍しました。

抽象画が大きな盛り上がりを見せていた当時、それに対してベーコンはほぼ一貫して人物画を描くことにこだわり、単に写実的ではない歪んだ図像で、人間の本質的な部分を抉りだすかのような絵画を生み出しました。

自画像のための2つの習作(1970)

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© The Estate of Francis Bacon. All rights reserved.

神奈川

2020年2月、私は初めてベーコンの絵画を神奈川県の横浜美術館で見ることになります。

自宅から横浜に向かう電車の中で、ちくま学芸文庫の『フランシス・ベイコン・インタヴュー』を読み終え、ベーコンの波乱に満ちた人生と、その中で描いてきたあまりにも生々しい絵画に対する理解を深めた状態でした。

※以下読み飛ばし可

鬱屈とした青年時代。父親からの勘当。生来の内向から選択的外向へ。絵画技術は基本独学。具象と抽象の綱渡り。神経組織へ直接的な刺激を与え、感情のヴァルヴを解放させる絵画の追求。同性愛。パートナーの度重なる死。肉塊への偏愛。ベラスケス、ドガ、ゴッホ、ピカソなど他の画家からの影響。ニーチェ哲学への傾倒。アイスキュロス、ボードレール、プルースト、TSエリオットなど文学からの影響。画布の裏地に描く。砂や埃の利用。投げつけられた絵の具。極めて乱雑なアトリエ。酒場から酒場へ連日渡り歩く。ギャンブルを好む。写真を利用した人物画。マイブリッジの連続写真。開かれた口への執着。ポチョムキンの乳母。教皇インノケンティウス10世。歪んだ図像。トリプティク(三連画)。宗教的意味づけのない磔刑。物語性の排除。

横浜美術館に足を踏み入れ、所蔵作品の展示を見ていきます。

テーマごとに展示が区切られており、中でもエルンストやキリコなどのシュルレアリスムに分類される絵画に興味をそそられます。

館内の最終地点、余裕のある円形の空間に、ダリやピカソなど、名だたる画家たちの絵画と並ぶ『座像(1961)』が視界の端にチラと映り込みましたが、最後に取っておこうとあえて目をそらし、他の絵画を見ていきました。

満を持してベーコンの『座像(1961)』の正面に立ち、視界一杯を絵画で満たしました。

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その時の衝撃は計り知れません。

あまりにも純粋な感想ですが、まず「本物だ...」と思いました。

歪んだ顔面の中でひときわ目立つ。憂いを帯びたような、蔑んだような、なんとも言えない視線で見降ろされているような感覚。

そのとき自然に涙が溢れ出しました。

ひとまず近くのトイレの個室に逃げ込み、絵画にここまで感動できる自分を発見してまた涙が流れてきました。

いま思えば当時、ITエンジニアとしての仕事で精神的に追い詰められていたことも少なからず影響していたかもしれません。

トイレから戻ると、冷静に絵画を分析する余裕が出てきました。ソファーに座るデフォルメされた身体、青いスーツ、足元の台、フローリング、執拗に繰り返されるカーテンのような縦線・・・ベーコンの筆さばきを追体験するように視点をゆっくりと移動させていきました。

ベーコンは自らの絵画に対して意味も物語性も込めておらず、「具象的なものを、神経組織に対して、より暴力的に、そしてより鋭くもたらそうという試み」であると述べていますが、その言葉通りにただただ打ちのめされてしまったのです。


その日から絵画への興味が急激に高まり、ベーコンの関連書籍はもちろん、美術史の本を熟読したり、美術関連のWebサイトを巡回して集中的に学んでいきました。

ただ、それから間もなく新型コロナウイルスの猛威によって外出が憚られる状況となり、各美術館が次々に休館となりました。

そのため、本やWebを通じて学ぶことはできるものの、時勢によって実物の絵画は見れないという悶々とした時期が続きました。


日本にはフランシス・ベーコンの絵が5枚あり、以下それぞれの美術館に所蔵されています。

神奈川県(横浜美術館)

静岡県(池田20世紀美術館)

富山県(富山県美術館)

東京都(東京国立近代美術館)

愛知県(豊田市美術館)

参考:https://www.whateverpartners.co.jp/darekano/article/bacon/


緊急事態宣言が解除され、2020年6月頃から各地の美術館が再開されはじめました。

そして、これらすべてを巡る日本ベーコン行脚をしようと思い立ったのです。


静岡

神奈川(横浜)は既に鑑賞済みのため、残りは静岡、富山、東京、愛知の4枚です。

自宅からの距離的には東京国立近代美術館が最も近いのですが、美術館の開館時期の都合上、まずは静岡の池田20世紀美術館に行くことにしました。

あわせて箱根のガラスの森美術館ポーラ美術館彫刻の森美術館、熱海のMOA美術館にも寄り、飢えを満たすかのように作品を鑑賞しました。

池田20世紀美術館は静岡県の中心地から離れており、最寄駅からバスで山道を進んだ先に佇んでいました。

そこに展示されていたのが『椅子から立ち上がる男(1968)』です。

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来館時間が早かったのも功を奏し、余裕を持って絵を見ることができました。

肉体のうねるような筆致、変形した椅子の部分に投げつけられた白い絵の具、変色した影、空間の壁を満たす縦線、カーペットの模様・・・

ベーコンは若い頃に家具デザイナーとして活動していた時期があり、椅子やカーペットを絵画に取り入れていることも納得できます。

美術館のブラインドが風に揺れるわずかな音が、アンビエントテクノか何かのようにBGMとして成立していると感じたのを覚えています。


富山

日を改め、次は富山県に向かいます。

まずは富山市ガラス美術館に行きました。最寄り駅に到着したのが早朝7時頃で、開館までしばらく時間があり、村上春樹の小説『海辺のカフカ』を読んで過ごしていました。

哲学科を専攻している女子大生の登場人物がヘーゲルについて触れていて、以下のセリフが記憶に残りました。

「ヘーゲルは〈自己意識〉というものを規定し、人間はただ単に自己と客体を離ればなれに認識するだけでなく、媒介としての客体に自己を投射することによって、行為的に、自己をより深く理解することができると考えたの。それが自己意識」

簡単にいえば、「自分の悩みを人に話すと整理がついて自己理解につながる」といった解釈ができますが、いま私がベーコンにハマっていること自体も、ベーコンの絵画や人生に自分自身を投射して自己理解度を高めているという意味では似たような構造なのではないかと思います。

そうしていると富山市ガラス美術館が開館し、特徴的な建築を含めてガラス作品の展示を楽しみました。

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シャコガイなどの海産物を色彩豊かなガラスで表現したデイル・チフーリの作品は、以前訪れた箱根ガラスの森美術館にも展示されていました。

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後日、美大出身でガラス職人をしている友人に話を聞きましたが、ガラスを扱っていてチフーリの名前を知らない人はいないほど高名な作家だそうです。

いよいよベーコンが所蔵されている富山県美術館に入ります。

そこに展示されていたのが、『横たわる人物(1977)』です。

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モデルは詩人のミシェル・レリス(1901~1990)であり、ベーコンの友人です。

このようにベーコンは親しい人物を頻繁に絵画のモチーフにしましたが、本人を直接見ながらというよりも、写真や記憶を手掛かりにして絵画を描きました。

スペインの国技でもある闘牛や、人物の背後にあるが目立ちます。

この絵にはガラスが張られており、反射される自己像を含めて作品なのだと解説文にありました。ベーコン自身、絵画と鑑賞者の間にガラスで隔たりを設けることを好んだそうです。


東京

そして後日、東京国立近代美術館に足を運びました。

メイン展示のピータードイグ展も大変素晴らしく、後日再訪したほどです。映画『13日の金曜日』の、湖にカヌーが浮かぶシーンをモチーフにした絵が特に好きです。

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そして所蔵作品展の『スフィンクス−ミュリエル・ベルチャーの肖像(1979)』を鑑賞しました。

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ベーコン行きつけのバー『コロニー・ルーム』のオーナー、ミュリエル・ベルチャーがモデルです。

前回の『横たわる人物(1977)』と同様に1970年代に制作されており、背景色もオレンジ色で共通しています。

当初はこの絵だけではなく、計3枚が並ぶトリプティク(三連画)にする予定だったそうで、それはスフィンクス自体と、それを囲む図形の向きからも何となく読み取れます。


愛知

いよいよ最後の一枚です。

2020年の夏頃、愛知県の豊田市美術館を訪れましたが、その際は残念ながらベーコンの絵画は展示されていませんでした。

ただ、他の所蔵展示作品、現代美術家の久門剛史の展示、漆を用いた作風で知られる髙橋節郎の作品群はどれも魅力的でした。

2020年11月、展示内容が入れ替わってから豊田市美術館を再訪し、念願の『スフィンクス(1953)』を見ることができました。

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この年代のベーコン絵画の特徴である暗い色彩で、スフィンクスが描かれています。

スーツ部分の理知的な佇まいと、顔面と腕部分の肉感的な野性味の対比が印象的です。

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スフィンクスの顔をよく見ると、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の映画、『戦艦ポチョムキン』に出てくる乳母のメガネを描いていることがわかります。この乳母はベーコンが度々用いたイメージソースのひとつです。


ベーコン展の開催、再び神奈川へ。

2020年2月から11月にかけて、日本各地にあるベーコンの絵画を追いかけ、無事全て鑑賞することができました。

それから約2か月後、年明けの2021年1月9日から神奈川県立近代美術館にて、なんとフランシス・ベーコン展が開催されることになりました。

その内容はベーコンの初期絵画や、本人の口から描かないと明言されていたドローイングなどの貴重な作品を、晩年のベーコンと親しくしていたバリー・ジュール氏のコレクションから展示するというものです。

思い切って神奈川県立近代美術館にメールを送り、ライターとして取材の申し込みをさせていただき、アポを取ることに成功しました。

初日の1月9日に私が展示の内容や、別売りの図録を熟読したうえで質問の内容を考え、翌日の1月10日に本展示の担当者である主任学芸員の方にインタビューをさせていただいた後、展覧会の紹介記事を書く予定でした。

無名のライターである私の申し出を受け入れてくださった先方に感謝しつつ、取材や記事の執筆に全力で臨む所存でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から(単純に私の力不足もあったと思います)取材は見送りとなってしまいました。

複雑な心境ではありましたが、十分に感染対策はしたうえで初日のベーコン展を訪れ、その展示内容をじっくりと見ていきました。

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ベーコンが描いた初期の絵画や、ドローイングの一つ一つから、細かな選択の意図や、アトリエでの日々に思いを馳せます。

神奈川県の横浜美術館で、初めてベーコンの絵画を見て心から感動し、筆さばきを追体験するように目でなぞった体験を、より深い階層で行っているような、何かが一周したような感覚がありました。

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展覧会の図録を購入した後、美術館の敷地内から眺めた海原に沈む美しい夕日が目に焼き付いています。

最後に

フランシス・ベーコンをはじめとする美術の世界に傾倒したことには、明確な目的があったわけではありませんが、あえて言うのであれば、仕事で求められるような合理性や効率から離れた場所に、自分を放り投げてみたかったのかもしれません。

これはVUCA時代に対応するためだとか現実逃避だとかではなく、よくわからなくても、ただ自分が魅力的だと思うことに打ち込んでみるという実験だと捉えて正気を保っています。

その先に何かを掴むことができれば幸いですが、夢中で取り組んでいる過程を既に楽しんでいるため、何もなくても構わないとさえ思います。

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