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雪駄×スニーカーを考えた人。

こんにちは、goyemonの武内 賢太(たけうち けんた)です。
このマガジンに訪れていただき、ありがとうございます。
自身に関する生い立ちや、「goyemon」の紹介に関してはプロフィール記事を無料公開していますので、ぜひご覧いただけると嬉しいです。

僕は、とある企業のプロダクトデザイナーとして商品企画を経験したのち、23歳で高校時代の同級生である大西 藍と共に、プロダクトデザインブランド「goyemon」を立ち上げた。

そこから7年、自分たちのアイデアを商品化し続けることで、クラファン総支援額8,200万を達成したり、ありがたいことに世界的ブラントやセレクトショップとのコラボまでさせていただいている。

そんな「goyemon」のメインアイテムが、雪駄×スニーカー「unda-雲駄-」である。

「unda-雲駄-」は2019年にMakuakeでリリース。リリースした当日は、ありがたいことに用意していた480足が半日で完売。その後急遽追加した1,000足も1週間経たずして売り切れてしまった。その1週間で2,100万円もの応援購入金額を達成し、「Makuake of the year 2019」でGOLD賞をいただいた。
厳密に言うとプロジェクト期間自体は2ヶ月の予定だったが、想像以上にご購入いただいたので1週間で打ち切る形となったのである。

その後、世界的ブランドやセレクトショップなど、計20社近くコラボレーションをしていただき、「unda-雲駄-」だけでも100種ほどのバリエーションをもつプロダクトへと成長することができた。

販売から5年経った今でも、オンラインでは手に入りづらい状況。そして直で買えるPOP-UPでは初日から行列ができ、長い日で2時間待ちとなる。

販売価格20,000円以上という、決して安くはないフットウェアを買いたいと思ってくれる方々がいてくれるおかげであり、本当に嬉しい限りである。



雪駄×スニーカーのアイデアはどこから?


そして、そんな雪駄×スニーカー「unda-雲駄-」は、どのようにして生まれたのか。

もともと僕たちは、雪駄屋で働いていた訳でもなく、スニーカー開発に携わっていた経験もない。

「なぜ、雪駄とスニーカーを合わせようと思ったの?」
「2人のどちらが考えついたの?」
「こんなに売れると思った?」

などなど、この5年間で「unda-雲駄-」が生まれたエピソードについて聞かれることが多かった。
その度に「当時雪駄よく履いてたので」とか「こんなに買ってもらえると思わなかったですね。」と簡潔に答えていた。
文字に起こしてみると冷たく感じてしまうので、言い訳させてもらうと、これは詳細に答えたくなかったわけではなくて、話すと長くなってしまうので、その場ではそう答えていたのである。

雪駄×スニーカー「unda-雲駄-」が生まれたエピソードを紐解いていくと、とても戦略的で、アイデア一本だけで生み出された商品ではないことがわかった。

今回は当時のエピソードを振り返りながら、「unda-雲駄-」が生まれた本当の話をしていこうと思う。
これから話すことは取材でも話していないことを含むので、どうかご内密に。

オンラインストアではなく、なぜMakuakeだったのか。

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