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【032】ブッダの生涯-【8】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

お釈迦さまが悟りを得た後の物語とお布施の意味

前回は佐々木先生の解釈で、お釈迦さまの悟りをどのように理解するべきか。一言で言い表すことのできない悟りの内容をどの範疇で見るべきか、という解説でした。
それは仏伝に登場した十二支縁起や経典の三明などとは別として、お釈迦さまの説く諸行無常・諸法無我・一切皆苦といった世界観をベースにした教えと、実践、そして組織とその活動をまとめて悟りであるというものでした。

また、悟りの本質を一言で表せず言い淀んでいる様子を曲解し、沈黙に悟りがあるといった誤解についても語られました。

今回はお釈迦さまが悟りを得た後、初めてお布施をいただくことになったエピソードの解説です。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


ブッダの生涯8

https://youtu.be/8JGVSNdaWJI?si=gyVVWj_KZo5yr0Hl

AIによる要約

このスクリプトは、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを得た後の出来事について詳細に説明しています。お釈迦様は、自分の安楽と幸福を独り占めずに、他人にも教えを広めることを選びました。この決定は、仏教の創立と成長につながります。お釈迦様が最初の信者を得たエピソードや、神々が助けた鉢の物語も含まれています。この一連の出来事は、仏教の教えがどのように生まれ、どのように今日に至るまで影響を与えてきたかを示しています。

学習したこと

仏陀とは、悟りを開き、人々に教えを説く人

お釈迦さまが悟りを開き、そのまま誰にもその経験を伝えず、自分の心の幸せを噛み締めながら残りの人生を過ごしていたら仏教は存在していなかった。
しかし、仏教ではそのような生き方も肯定されている。

悟った後に安楽のまま人生を終える人もいれば、悟った人の中には自分の体験を広め、かつての自分と同じように苦しんでいる人の役に立ちたいと願う人も出現する。
どちらも悟った人であるが、
残った人生を他の人のために使う人は尊敬され、仏陀と呼ばれる。

一方で、一人で修行し、悟りを開き、誰にも教えを解かずに一人で亡くなっていく修行者の事を「独覚」と言う。

お釈迦さまは仏陀と呼ばれたとおり、「他の人に教えを説き、導く人」である。

悟りを開いてからしばらくして

お釈迦さまは悟りを開いた後、解脱の楽を数十日間味わっていた。
菩提樹の下や別の場所で自分の現状を客観的に見て楽を実感していた。
このまま誰にも教えを説くことがなければ「独覚」となるが、
そこから社会との接点を持つようになっていく。

ある日坐禅を組んでいるところ、二人の商人が通りかかる。
二人の名はタプッサバッリカと言う。

彼らは行商のために食料品を運んでいた。
そんな時に何も言わず坐禅をしているお釈迦さまを見かける。

この二人には昔亡くなった親戚がいて、輪廻して天の神に生まれ変わっていた。その神がこの二人の前に現れて告げる。

「あそこで座禅をしている方にお布施をせよ。あのお方は悟りを開いたばかりの尊いお方であり、お前たち二人のお布施はあの方が悟りを開いてから最初のお布施となるので、大変な功徳となる。」

このように、元親戚だった神はタプッサとバッリカの二人にお釈迦さまにお布施をするように勧める。
これに応え、タプッサとバッリカの二人は、自分たちが運んでいる荷物に入っていた食べ物をお釈迦さまにお布施をする。

お布施を受けるための「鉢」

ところが、お釈迦さまはお布施をいただくにしても、受け取るためのお皿や鉢も持っていない。
手のひらで受け取るわけにもいかず、お釈迦さまは躊躇していたが、その様子を天の上から見ていた四天王は四つの石を持ち寄り石鉢を作った。
そして天の上から降りてきてお釈迦さまに献上した。

お釈迦さまをその鉢を受け取り、ついに二人からのお布施を受け取った。

二人はお釈迦さまに礼拝し、帰依(信者となる)した。
これが仏教史上の最初の信者が誕生したエピソードである。

出家ではなく在家の信者であり、これを「優婆塞(うばそく)」と言う。
女性の場合には「優婆夷(うばい)」という。
日本では在家と言うが、正式名称は優婆塞と優婆夷である。

「鉢」が何を意味するか

このエピソードの大切なことは、最初の信者の誕生もあるが、それよりも重要なのが
鉢で食べ物を受けた事である。
自分の力で稼いだり作った食事ではなく、他者が入れてくれた食事を食べた事。
これ以来、仏教では人が鉢に入れてくださった食べ物しか食べてはいけないという原則が生まれた。

仏教は原則的に自給自足を禁じられている。
すべては人から貰う。
完全に依存することによって自由な修行の世界を手にいれる。

このエピソードがその後の仏教のスタンスを表すベースとなっている。

感想

この時点で「天の神」が現れている。
四天王しかり、タプッサとバッリカの元親戚の神。
これが最初の仏伝のはずだが、このエピソードは一体誰が語ったのだろうか。
お釈迦さま本人の言葉だったのだろうか。

それはともかく、自給自足の禁止とお布施によってのみ食べ物を食べるという事を象徴化したという事なのだろう。

そのアイテムが「鉢」だったわけだ。


次回は「ブッダの生涯9」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
悟りを開いてから初めての食事をしたお釈迦さま。
この時の、鉢に食べ物を誰かに入れてもらう。つまり他者の好意に依存して生きていくことになぜそこまでこだわるのか。
その重要性について解説されています。


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