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【016】仏教学習note【仏教哲学の世界観1-16】

こんにちは。
このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
なお、僕は仏教について何にも知りません。

仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座を見て、その内容をまとめています。

もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはXなどでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


前回は引き続き「出家」についての解説でした。
悟りを開いたお釈迦さまが慈悲の心を持ってその経験を弟子に伝えていくうちに、数多くの弟子が集まってきました。
そこでは好き勝手に修行をするのではなく、お釈迦さまに教えを乞うために集まった集団でした。
お釈迦さまに直接話を聞き、追体験をすること。そしてそれにならって実践すること。
さらにお釈迦さまが死去した後もその教えを後世に伝えるようにすること。
この結果、仏教の出家社会は教育機関のような体をなす組織となっていきました。

今回は出家社会における仕組みについて。
お釈迦さまは弟子が集まりできあがった出家社会をどのような制度設計でもって維持していったのか。という解説です。


仏教哲学の世界観1-16

https://youtu.be/mIbgmGPWLgg?si=TStCvYTRH2smz0CK

AIによる要約

  1. 仏教の形成過程と合理的な生き方

  2. お釈迦様の教えと組織の持続性

  3. 仏教組織の形成と合理的な手順

  4. 修行生活の喜びと生きがい

  5. 修行生活と無職の集まり

  6. 仏教僧団の組織設計と生活の矛盾

  7. 無欲な暮らしと世間の支援

  8. 修行者の蓄えなし生活と社会の支援

学習したこと

仏教が存続するためには

バラモン教を否定し、自分で自分を変えるという行為が仏教の根本の理論。
そしてそれを達成するために「戒・定・慧」の3ステップが考案された。
これは目的を達成するためのプロセスである。
そしてこの「戒・定・慧」を達成するためには、考案者のお釈迦さまの教えが正しく伝わっていく仕組みが必要となる。
同時に、これはお釈迦さまが死んだ後でもその教えは継承される必要がある。
これらは出家者達が行わなければならないことで、これが達成されないと仏教は存在意義を失う。

仏教の組織設計

仏教が組織を形成するにあたっては、お釈迦さまの個人的な好みや趣味は全く含まれていない。
仏教の理念から出発し、それに沿った形でライフスタイルを構築していった時、それはすべて合理性に基づいて設計されている。

そのためには残された弟子、孫弟子が集まりお釈迦さまの教えを伝えていくための、教育システムとしての組織が必要になる。
これによって出家者が集まって暮らす集団組織が生まれる。

このように、仏教とその出家社会の成立には、抽象的な理念(自分で自分の心を変える)から現実的なライフスタイルの構築までが極めて合理的につながっている。
ここには創始者のお釈迦さまの好みや勝手な考えは反映されていない。

出家社会を構築した沙門集団は他にもあったであろうが、創始者の好みや欲望が反映されてしまっていると、いずれ消滅していくことになった。

オウム真理教による出家社会が10年も経たずに消滅したのも、教祖の勝手な思惑や好みが反映された点にある。

仏教徒という無職の集団

お釈迦さまが教えを説くうちに、弟子はどんどん増えていった。
ここにお釈迦さまを中心とした出家社会ができあがっていくのだが、どのようにしてこの組織を維持していったのか。
組織の維持に一体なにが必要とされたのか。

まず、修行の大先輩で、心の苦しみを感じ、それを消し去りたいと願い、そしてそれを達成したお釈迦さまをリーダーとしている。
そして、その教えを追体験したいと願って集まってきた弟子がいる。
伝説によると1250人が集まり、主要な弟子が集まった。

もちろん、弟子である彼らはすべて心の苦しみを消し去りたいと願い、一般社会から抜け出した人たちであった。
彼らは全員がお釈迦さまの追体験を目的としている。
そのため全員がお釈迦さまのお話を聞き、その教えに従って実践する。
その実践をお釈迦さまのアドバイスを受けながら修正し、さらに次のステップへ進む。
これが彼らの日常である。
もちろんここには組織としての規則正しい生活がある。

では、彼らにとって一番大事なこととはなにか。
それは当然修行である。
彼らにとって修行とは人生の喜びと言っても良いものである。
修行というと辛く苦しいものをイメージするが、彼らにとっては修行生活こそが真に心地よい事であった。

もしも修行が辛いと思うのであれば、前回の解説でもあったとおり、出入り自由な出家社会は修行が嫌ならばやめれば良いのである。

彼ら出家者たちは毎日毎日修行が楽しくて、それが生き甲斐になっている。
このことが何を意味するか。
それは当時1250人の出家者が集まっていたとするのならば、

1250人の無職が集まっている

ということになる。

無職の1250人が集結(AIによるイメージ)

働きもせずにどうやって出家生活を維持するか

彼らは一般社会における生産活動(と利益を得る)を行う生活に耐えられず出家してきているわけで、日がな一日嬉々として修行ばかりを行なっている。当然仕事などしない。
さらに、家を出てきているので住む家もない。
このような人たちが1250人もいるわけだ。

こうなると、いったいどうやって出家者たちは生活できるのか?

ここが仏教が抱える最大の問題点となった。
どうすれば仕事もせずに修行に専念できる生活を送ることができるのか?
これは当然組織の維持力に関わる問題である。

このことについて、お釈迦さまは次のように解決策を示した。

まず、欲を捨てよ。
そして明日は今日より良くなるという希望を捨てよ。
最低限の生き方で生きていくという覚悟をせよ。
その最低限の生き方は「その日1日分のみの食事」である。
1日分の食事を働かずに手に入れよ。
世間の人に頭を下げて、残り物や余りもの、腐ったものでも貰って歩け。
この方法であれば、修行という喜びに没頭している我々出家者に対しても世間の人々から嫌な顔をされず扶養してくれるであろう。

このように、仏教では一般社会から食べ物を施してもらい「依存」することで充足した人生を実現させる生き方が送れるとしている。

これを日本では「托鉢」とよぶ。

間違った方法を取ったのはオウム真理教であった。
入ってきた信者の全財産を教団に寄付させ、身ぐるみを剥がし、それを教団の財産と拡大に使ってしまった。
これはもちろん最終的に社会を敵に回すという結果に結びついた。

この問題に対する答えがこれが2500年続く仏教と10年持たずに崩壊したオウム真理教との基本的な違いである。

感想

結構無茶してない?

やべえな仏教。という印象。
要するに物乞いをして生活をしろ、という話になってしまう。
当時の一般の人からは仏教徒をどのように見ていたのだろうか。

憐れみをもって食べ物を譲っていたのか、
それともこの無職の集団になにかしら価値を感じて食べ物を供えていたのか。

このような形態は戦争とか飢饉とか疫病が流行ったら一瞬で崩壊すると思うのだけど。当時のインドは食べ物にそんなに困らなかったのだろうか。

現代の日本でも托鉢はあるのだろうけど、ほとんど見たことがない。
となると、いったいどうやって生活しているのだろうか。
身近にもお坊さんに食べ物をあげた話も聞かないのだけど。

自主的な寄付ってどこからどこまで?

入ってくる信者から財産とか身ぐるみ剥がすオウム真理教の話があったけど、これは最近話題になった統一教会でもそうだと思う。
僕の元嫁が出家した先でも「喜捨」という言い方でお金を巻き上げていたようだ。
といっても建前上、出せるだけでとは言っているが、罪悪感とか救いをお求める人に対しては心理的には強制されているのと実質変わらないと思う。
今だってスズメの涙ほどの養育費しかもらえないし、ある意味本来僕の娘が得られるべき養育費は出家先に吸われていると言ってもいい。

どこまで行っても社会からは逃げられない

結局のところ、社会を敵に回さないという意識があったとしても、依存している以上は何かしら還元しないと成立しないと思う。
それこそ一般社会にとってメリットが無いと。
この場合だと「ご利益」なのだろうか。
バラモン教社会のなかでそれが達成できたとはちょっと考えにくい。

出家者たちに何人か大金持ちがいた場合だと成立したのだろうか。
つまり食客的な扱いで仏教徒を養っていたとか?
でもそれだと結果的には仏教教団が入ってきた出家者から身ぐるみ剥いでいたことにはならないのだろうか。
お釈迦さまの追体験という高額なセミナーになっていた可能性はないだろうか?

「まず欲を捨てよ」が本当に一般社会に「捨てて」来たのか、出家してから「出家先に捨てた」のか。この辺がよくわからない。


次回は「仏教哲学の世界観 1-17」
出家者からお布施をもらうための条件について。
僕の感じた疑問は解消されるだろうか?


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