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タグ

 バイト先でプレゼント包装用の紐をブチッと破壊、やらかしてしまった。いつも通りに蝶々結びをしていた時の出来事だった。
「蝶々」結びなだけに、一つ命をないがしろにしてしまったかのような罪悪感がある。

クッキーがパンパンに入ったギフトボックスに、箱に抗いながら紙紐で縛り付けていた。ゆえに紙紐に物理の限界が訪れた。結ばれずあえなく絶たれる運命に遭った紙紐。
にしても、粗野が過ぎる。「紙」紐とは言えど、ティッシュほど繊細でもなくそれなりに丈夫な紐のはずなのに。

紐をブチ切ったことで、服のタグを素手でブチっと引きちぎってきた荒々しい習慣の積み重ねが顔を出していたことに気づいた。
そういえば「服の値札は両手で引きちぎる派」として生きてきたんだった。そんな人生を左右させるほどの仰々しい派閥でもなく、ネガティブキャンペーンにささやかに加担しそうな、それのツケである。

私のファーストブチ切りは小学6年生とかなので、かれこれブチ切り歴10年以上。もうれっきとした、ブチ切リスト。
はさみを取り出すとかいう過程が面倒くさい。

同じ価値観を持つバイト先の社員さんと、「必殺ブチ切り」が効かないシチュエーションについて話していた。
靴下やジーパンに丁寧に縫い付けてあるとき。
良質な紐によってタグが付けられた鞄。
なんかほつれそうな繊細な生地の衣類は、ブチッの余波を鑑みて控える。

話していると、ブチ切リストにはブチ切リストのちょっとした美学のようなものがあったことに気づく。

わたしたちは、己の「だるい」という感情よりも繊維の安寧秩序を重んじていた。

傍から見れば、なけなしの美学だろうけども、どちらかといえば善良な、そのポリシーのもとに行動に移してるんならもうこれはブチ切る度に徳を積んでるってことでいいかな。服を買い、服を大切に思いながら一瞬の手さばきでスマートに引きちぎられる、タグ(個人の主観です)。

タグを素手でブチ切る奴にもブチ切るなりのポリシーがあり、臨機応変にハサミも使うので、ハサミ穏健派とも良好な関係を築いていきたい。

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