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「我慢」させなくても大丈夫だよ。

3月です。
いろんなことが起こりながら、年度の最後に向けて準備を進めています。
出会いがあれば別れもある。人生は出会いと別れが作ってくれるから、普段はおちゃらけて笑いをとることに全力を出す私も、このタイミングだけは大切にしたいなぁって思う。大切に、丁寧に、思いっきり・・・笑いを取りに行こうね。笑って泣いて終えられるのならば、それは良い出会いだったってことだよなぁ。

おはようございます。にっしーです。
最近よく心が動くんです。これが3月なんだろうなぁ。

さて、今日は「我慢と忍耐」の話です。
何度も話しているけれど、許してね。
大切なことなんです。
大切なことは繰り返し言います。

我慢は大切だ!忍耐が必要だ!
ガーマンガーマンーガーマンガーマン!
ニンタイニンタイニンタイニンタイ!

今日も日本中で我慢コール、忍耐コール。
日本人は我慢と忍耐が大好きです。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍びたいのです。
我慢大会とか、男は我慢とか、我慢の勝利とかそんな言葉が好きなのです。

でもね、我慢とか忍耐とか、みんな適当に使ってます。

「こんな仕事もできないなんて、忍耐力が足りないんだよ!」

「あなたのためでしょ!我慢しなさい!」

そうやって言われるじゃない。
ふわぁっとしたイメージで、さも大事なことのように押し付けるんだよ。
でもね、我慢も忍耐も元の意味は全然違うし、ふわぁっと押し付けられたらたまんないよね。

何となく必要そうな気がするから、押し付けられているだけなんですよ。
押し付けている方も、それくらいの認識しかないことが多いんです。

基本的に好き嫌いはない私だけれど、どうしても嫌な食べ物があって・・・「梅干しの蜂蜜漬け」がそれです。
いや、人生の中でそんなに何回も出会うものじゃないんだけれど、シンプルな塩だけの梅干しが大好きな私だからこそ、頭の中のイメージと違う味が口の中に広がるのが許せないのね。私と仲良くしたい人は「梅干しの蜂蜜漬け」を持ってこないように!いや、「まんじゅうこわい」じゃないからね!本当に嫌なの!

そんなん別に食べなくたって人生困らないじゃん?って思うでしょ?その通り。私の人生の前に「梅干しの蜂蜜漬け」が立ちはだかったことなど一度もないのです。「この梅干しの蜂蜜漬けを倒してから行け!!」なんて場面はおそらく一生現れないんだよ。

私が嫌いな食べ物は、「梅干しの蜂蜜漬け」と「古くなってアンモニアの臭いがする納豆」だけだから、石川五右衛門にとっての「こんにゃく」くらいは重みのある食べ物なんだけど、別に人生には関係ないのね。無視して歩んでも全く構わない。

でね、この克服する意味のない「梅干しの蜂蜜漬け」を、ひたすら食べされられるとしたらどうだろう。

「お前の人生には我慢が必要なんだ!
 だから梅干しの蜂蜜漬けを食え!食うのが勉強だ!
 これを食わなきゃお前の人生は暗いぞ!!」

「アンモニア臭のする納豆がなんだってんだ。
 これくらいを耐えられないようじゃ、納豆を食う資格はないぞ!」

スーパーミラクル馬鹿馬鹿しいでしょ?これが「我慢」です。

一般に言われている「我慢」は、嫌なことを無理して受け入れる行為なんですね。これ、いらないです。必要のない我慢をする必要はないんです。
はっきりと断言しておきます。

「我慢」も「忍耐」も、押し付けられるのは馬鹿馬鹿しい。


ってことです。例えば・・・

「宿題は大切なんだ!今我慢して宿題をやれないやつは、将来暗いぞ!」

って言われるじゃない?
別にすでに理解できていることを繰り返す必要はないし、みんなが同じ課題をやることの意義はないんです。宿題の大半は、「親と教員が安心するため」にあるものです。残念ながら、今日本にある宿題の多くは私にとっての「梅干しの蜂蜜漬け」になってしまっています。アンモニア臭がプンプンします。

宿題だけじゃないよね。

家庭で、学校で、会社で「我慢!」「忍耐!」って言われるものの大半が、本人のためじゃなくて言っている人のためにあるんです。つまりね「梅干しの蜂蜜漬け」を売りたい人が、我慢を正当化して私に無理矢理食べさせているような状態です。

(蜂蜜漬けを作っている人を責めているわけじゃありませんし、私は制作者に無理矢理食べさせられたこともありません。好きな人もいるんだと思います。ただの私の嗜好の偏りです。ごめんなさい。でも、嗜好は偏ってたっていいんです。)

じゃあ忍耐力はいらないの?

時には必要だと思います。


矛盾しているようだけれど、大事な場面でグッと堪える力は必要なんですね。でもそれは

自らの目的のために耐える力


であるはずです。必要なのは・・・

「やりたいことを達成するために、自ら頑張る力」です。


嫌いなものを無理矢理食べる力じゃないんです。
自分の食べたい料理を考え、作る力なんです。

その力を身につけるためには・・・

「やりたいことに向かう経験」が必要なんです。


嫌いなものを無理矢理食べさせられることに慣れていると
「食べたいものを食べちゃダメなんだ」と思い込みます。

やりたいことをやったらダメなんだ
みんなと同じようにしなきゃダメなんだ
先生のいう通りにすることが正解なんだ
自分の思いは殺さないと生きていけないんだ

そうやって我慢させられることに慣れていくとね
自らの幸せからどんどん遠ざかっちゃうんです。

スタートは絶対に

「何がしたい?」

「どうしたい?」

「どうなりたい?」

なんですね。その上で

「じゃあ何ができるかな?」

「じゃあ何をしようかな?」

の順番です。それを自分の中に受け入れて初めて「我慢」「忍耐」ができるんです。前向きに苦難に耐えられるんですね。

忍耐は「自らするもの」です。


これを間違えてはいけません。

そして、知っておいて欲しいのは・・・

我慢よりも、忍耐よりも

夢中の方が強いってことです。


好きなものに没頭していると夢中になります。
どんなにやり続けても辛くない状態です。
いくらでも学び続けられる状態です。

これが一番強くて、一番成長できるんです。

本当に自分の中で「やりたい」「なりたい」を持てると

勉強でさえ「夢中」になれます。

そこに面白さを見出すことができれば楽しめるんです。

教員の、そして親の仕事は子どもたちを「夢中」にさせることだし
子どもたちが夢中になれるものを見つける手助けをすることだし
夢中になった子どもたちを応援することなんです。

これは「我慢」とも「忍耐」ともかけ離れていますよね。


我慢すればするほど、夢中から遠ざかります。
忍耐を押し付けられると、どんどんつまらなくなります。


我慢も、忍耐も、本人が勝手にするものです。
親の、教員の責任感で押し付けなくていいんです。
大人もそこから解放されましょう。


悩んだら、シンプルな質問に戻ればいいんです。

「何したい?」「どうなりたい?」

あとは背中をそっと押せばいい。


我慢させなくても、大丈夫です。

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