ぐさい

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  • 鼻歌

    脈拍に乗って

最近の記事

座席からむしりとって頭に真綿を押し込む 慌てて押し込むから指を動かす神経も詰まって今度は手のひらで押し込む ようやく戸が開く、ほら早く足を動かすんだよ なんだ、歩けるじゃないか

    • 20ヶ月ごしの付記

       少し不調かもねとか言っていたら、ひどい鼻風邪にかかってしまいました。  久々に一昨年の5月に書いた記事を読み、思うところがあったのでしたためます。  ただ無意に勉強するだけだった自身に疑問を持ち始めた頃の記事です。当時、朗読劇や友人の影響からそれまでの盲目的な学習姿勢を反省したことを書いています。  以前から音楽や美術などの創作活動に憧れを抱いていた私は、他人にはたらき掛けるという観点から勉学の意義をあれこれ模索し、 と締めくくっていました。  なんだか難しいことを

      • 心のシーズンと風物詩

        必要量の勉強計画を立てたら、初日のノルマを3日目に持ち越しそうになっている。 ちょっと不調かもしれないね。 私には切っても切り離せない心のシーズンがある。 1〜3月、4月〜6月というように、3ヶ月ごとに心の様相は変化していく。 調子のいい時期と悪い時期、ポジティブな時期とネガティブな時期といった対照的な位相を行き来するのだ。 遊園地のバイキングほど激しくはないけれど、大きな振り子のような優しい揺れ。 私の生きる時間を刻んでいるのかも。 今はあんまり良くない方の時期、

        • 山澄みて 桜も見れず さき駆ける 鬼に追われたか 睦月のさわら

        座席からむしりとって頭に真綿を押し込む 慌てて押し込むから指を動かす神経も詰まって今度は手のひらで押し込む ようやく戸が開く、ほら早く足を動かすんだよ なんだ、歩けるじゃないか

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        • 鼻歌
          7本

        記事

          受験は時速何キロ??

          風呂です。 最近は語呂合わせと にらめっこ していますが、少ししたためます。 明後日はいよいよ共通テストです。 この冬季休暇は孤独でしたが、私を支えてくれたバンドとその楽曲がいくつか。 その中でも、二節、記事にするほど留めておきたい歌詞があります。 二行目が凄まじい。とてつもない位置エネルギーを感じます。 どんなひどい状況に陥りつづけても、必ず次に向かわせてくれる、こんなお守りがあるでしょうか。 声に出すとワクワクします、 何が始まっちまうんだと。 もう一節、添えた

          受験は時速何キロ??

          午後4時の 重なる顔に 「教えたい」 こぼれる街の 脈拍たるや

          午後4時の 重なる顔に 「教えたい」 こぼれる街の 脈拍たるや

          人類愛のすゝめ

          道ゆく人、頭に浮かぶ人、それら全てが愛おしいと感じることがあるだろうか。 人類愛。これはなかなか妙な体験だ。 私には「人類愛モード」がある。 うわっ!みんないとしっ! と、なっちゃうモード。 正気の沙汰ではない。 あなたには、思いを寄せる「あの人」がいるだろうか。 私を含め、世の中のそこそこの数の人々はそれぞれの好きな人、あるいは恋人がいる。 現在いなかったとしても、今まで、ということであればほとんどの人があてはまると思う。 そんなことを考えながら、街ですれ違う

          人類愛のすゝめ

          詩歌というメディア

          「いい歌ができたな」と思う時はいつも、その歌は私の感情をとてもよく反映してくれている。 時には月の肩を借りて連ねた言葉は、モノやコトの感触、そこから生じた感情、心持ちの変化までを映し出す。 私たちが言葉を使うとき、それぞれの言葉にはその人なり、その時なりの色がある。 「車窓」という語に郷愁を重ねてしまうのは、私が沿線をぼーっと眺める体験、あるいは多くの先人がノスタルジのシンボルとして用いた蓄積の受容によるものに他ならない。 私的な経験の積み重ねによって私が言葉に乗せる

          詩歌というメディア

          揺り籠から墓場まで

          揺り籠から墓場まで

          探せども きっと新月 じゃなくっちゃ。

          探せども きっと新月 じゃなくっちゃ。

          不老不死 のぼせたあたまで 会いにいく あいにく寒波 青息吐息

          不老不死 のぼせたあたまで 会いにいく あいにく寒波 青息吐息

          奉じ茶に 温もりのせて 細いゆび

          奉じ茶に 温もりのせて 細いゆび

          日々サパーほほの数だけ店が立つ

          日々サパーほほの数だけ店が立つ

          献血:「私」だったもの

          書きたいことがあるが、その前置きや発展的なことが長くなってしまいそうだったので、いくつかに分けて書こうと思う。 少し前に、初めて献血をした。 献血ができる年齢になってから、かねてより興味があったのだが、ようやく臨むことができた。 自身の血液が赤の他人を流れるというのは、少しゾクゾクするような奇妙さがある。 赤子が胎盤やへその緒を通して母と血液を共有するのとは訳が違う。 縁もゆかりもない者に「私だった」ものが異動するのだ。 面白すぎる。 その意義や理念を抜きにしてのことだが

          献血:「私」だったもの

          木曜日おもてにとける懐の 過ぎたサンデイ月への麗句

          木曜日おもてにとける懐の 過ぎたサンデイ月への麗句

          学ぶということ、受け入れるということ

           私は多分、世間一般からして「勉強ができる」人で、客観的な数値もそれを示している。また、学校がひときわ勉学に力を入れていることもあって、生徒の多くは勉強に励んでいる。そんな環境にいるからだろう、コンスタントに勉強をし、模試で結果を出し、大学受験に向かうということは普通であるように思えた。頭のどこかで「違う」とは思いつつも、きっと勉学に対する意識は心に巣くっていた。  そんな考えを揺るがしたものが2つある。  一つは1月に観た『星の王子さま』の朗読劇。もともと朗読劇ならず演

          学ぶということ、受け入れるということ