見出し画像

20ヶ月ごしの付記

 少し不調かもねとか言っていたら、ひどい鼻風邪にかかってしまいました。

 久々に一昨年の5月に書いた記事を読み、思うところがあったのでしたためます。

 ただ無意に勉強するだけだった自身に疑問を持ち始めた頃の記事です。当時、朗読劇や友人の影響からそれまでの盲目的な学習姿勢を反省したことを書いています。
 以前から音楽や美術などの創作活動に憧れを抱いていた私は、他人にはたらき掛けるという観点から勉学の意義をあれこれ模索し、

 勉学とは他人を許容できるようになることであり、学生は学ぶことを通して触れた様々な価値観について、思考しなければならないのだと思う。
(自身の記事より)

と締めくくっていました。

 なんだか難しいことを考えていますが、自身の空虚さに嫌気がさしてしまったのだと思います。
 内面的な充足を得たかったのでしょうか。豊かな人間になりたかったのでしょうか。


 今、私は遥かに豊かな人間になりました。
 勉学だけではないけれど、様々な体験を通して多くのことを「受け入れる」ことも出来るようになったと思います。

 美術展や写真展に足を運ぶようになりました。
 好きな曲をdigるようになりました。
 お気に入りの服ができました。
 学校の友人と大きな企画を成し遂げました。
 部活で仲間を思う気持ちが実を結びました。
 生涯をかけて取り組みたいと思える探究テーマを見つけました。
 社会人と協力し事業運営や研究を行いました。
 社会的意義溢れる活動に使命感を抱きました。

 練りに練った見解を幾度となく撤回しました。
 大舞台で嘲笑を買い己の稚拙を痛感しました。
 過呼吸になるほど泣き崩れる敗北をしました。
 奥底から心を荒廃させる月日を経験しました。
 何度も膝を抱えました。

 この20ヶ月、良くも悪くも私は多くのことを蓄積してきたように思います。豊かさは、何もポジティブなことばかりの豊かさではないでしょう。
 当時より少しでも変わっていることを嬉しく思うのです。

 今すぐにでも取り組みたいことが沢山あります。きっと、私はそれらを経てさらに多くのことを心に留めていくのだと思います。

 次の付記が楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?