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論点を制すものはビジネスを制す

こんばんは、今日も記事を書きたいと思います。今回は僕がビジネスで一番必要だと考えている【論点】について記事を書きたいと思います。

ビジネスは究極的には問いとの戦いです。「どうやったらうまくいくの?」「どうやったら稼げる?」など問いの連続です。就職活動の際にグループディスカッションなどあったかと思いますが、これは個人的には一番みられているのは論点の分解・整理能力だと思っています(もちろんコミュニケーション能力や意見の引き出し方もあるでしょうが)。

大きな問いは基本的に小さな論点の集合体です。

以下、短いが読んでみて下さい^^(私の考えなので、間違っていると思ったら読み飛ばしちゃってください笑)

論点って?

一言で言えば「議論の中心となる問題点」です。ビジネスでは議論(大きな問い)に対して問題点(論点)がいくつあり、具体的になんなのか?を探り発見することが重要だと考えています。

例えば私はたまにこんな質問を受けたりします。

「どうやったら売れるの?」

何か自分自身に得意分野があったとき、こんなこと聞かれたら答えに困りますよね…。こうした抽象的な問いを投げかけてくるのは、論点が整理できていない証拠だと思います。

営業で売れるといっても要因はたくさんあります。見た目、話し方、年齢、性別、知識量…などなど、数えたらキリがありません。とは言え、こうした要因には先天的なものと後天的なものがあり、先天的なモノは自分の考えからデリートしてくのがおすすめです。見た目や雰囲気は基本的には変えられないですからね><

ということで状況整理として先天的なモノを考えるのは良いですが、論点に先天的なモノを据えるのは良くありません。

論点の作り方

では実際論点はどうやって作るのでしょうか?僕は「何と何と何を解決したらこの議論は解決できるのだろうか?」と頭の中でざっくり考えるようにします。

簡単そうに思われると思いますが、慣れれば本当に論点を考えるだけなら誰でもできるんです。

また人材営業の視点から、例を出したいと思います。

「A社に主婦(属性)人員を届けるにはどうしたら良いか?」という問いにぶつかったとします。求人営業は日々仕事でこんな問いというか悩みにぶつかります。ただし、これでは解決しないし、解決の糸口すら見出せません。ではここに「何と何と何を解決したらこの議論は解決できるのだろうか?」という問いをぶつけてみましょう。

①いつ出せば良いのか?→いつの時期だと主婦に見てもらいやすい?
②どこに出せば良いのか?→主婦が多いエリアって?
③主婦に刺さる内容って何か?→どんな条件が主婦に好まれる?

ざっくりこんな感じの論点が出せるかなと思います。正直なところこれでこの問題は99%解決していると言っても過言ではありません。

なぜか?、それは問いを発見さえしてしまえば、あとの解はハイ・パフォーマー(売れっ子)、専門家、インターネットに頼れば良いからです。この問いを発見/考えられている時点で具体的な問いとなり、聞いたり調べれば答えにたどりつく世の中となっているのです。

では、ざっくりそれぞれの問いに対する答えを考えてみましょう。

①入学式や終業式、長期休みなど子供のイベントが終わったタイミング(子持ちのママさんに今回は限る)
②東京23区の中では世田谷区が多いらしい。
③子持ちの主婦さんは子供の急なイベントや家事に対応しなければならないのでそういうに良心的な職場が良いと考えている。

これは私がもっている知識だったり、ネットで調べたデータです。まあ答えの正確性はいったん置いといた時に、ここまで考えられると、簡単です。「A社に主婦(属性)人員を届けるにはどうしたら良いか?」という先の議論に対する解は「子持ちの主婦さんが多い世田谷区のエリアに集中的に訴求し、時期は入学式終わりなど子供のイベントが終わりひと段落したところで仕掛ける。主婦さんが喜ぶ【シフトの自由度】はしっかりと押し出しましょう」なんて答えになったりするのではないでしょうか。

解答の質はいったん置いといて、大きな問いに対して論点分解することで、それぞれの解を考え、大きな問いに対する答えが出来上がりましたよね^^。これは論点を3つにしましたが、「主婦さんはどういう媒体で求人を見るのか?」だったり「世田谷区の主婦さんの年齢のボリュームゾーンはどこか?」など考えられる論点は結構あると思います。

論点の罠

論点は見つけ発見しようと思えば割と出てきます。しかし、おそらくモレなくダブりなく考えだすと数万個の論点が出てきちゃいます。遠因という言葉がありますが、遠い要因や論点から考えても論理性に欠けてしまうので、本当に議論すべき論点なのかを精査することも重要です。

この遠因(関係性の低い論点)を捉えて議論してしまうと往々にして、間違った解に行き着きます。

渡頭亮著の『思考・論理・分析ー「正しく考え、正しくわかること」の理論と実践』にも一例で、車の交通事故の例が書かれていました(昔読んだ本なので少し記憶が曖昧ですが…)。自分なりの解釈も含めて紹介します笑。例えば、下記のような事例です。

「車の交通事故をなくすには?」という大きな問いがあります。まずは論点として「交通事故の中で一番シェアの高い要因は?」と考え、「スピードの出し過ぎの車両が交通事故を起こすことが多い」というデータがでました。

ではこれを論点として解決した時に出てくる大きな問いの答えはなんでしょう。それは「もはやスピードを60km以上出せない車を国内で製造する」という極端な答えになると思います。

これって時系列的なところでいうともっと先に論点が眠っている気がしませんか?

「アクセルを踏む→スピードがでる→ぐんぐんスピードが増す→ブレーキを踏まない→車が衝突する」と一連の事故に至るまでの流れを考えた時に、重要論点は「スピードが出過ぎた車にブレーキをかけるにはどうしたらいいのか?」だと思います。

とすると答えは、「一定以上のスピードが出た車には車内アナウンスや自動ブレーキ装置を搭載する」とかになると思います。

ちょっと文章力がなかったので伝わりづらかったかもしれませんが、要は言いたいこととして関係性の低い論点を発見してしまうのは思わぬ答えにたどり着いてしまう罠要素を孕んでいるのです。

まとめますが、論点を探り発見する能力が今問われています。なぜなら、答えはどこにでも落ちているので、探し手が論点を見出し知りたいことがはっきりしているほど、探す能力が高まります。ただし、論点をきちんと分解し把握する力は強みにもなりますが、考えた論点がずれているとずれた答えに行きついてしまいます。

だからこそ、大きな問いにぶち当たった時に「何と何と何を解決したらこの議論は解決できるのだろうか?」と考え、それをしっかりと精査することに時間をかけることは重要なのです。

本日は以上となります。

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