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SNSで嫌われがちな大阪維新の会が地元では安定的に人気な理由・・・都構想住民投票は、些末なプロパガンダ合戦でなく大きな方向性の議論で決めてほしい。

(トップ画像は大阪維新の会・都構想公式サイトより)

一ヶ月ほど前から、「なぜ竹中平蔵(つまりいわゆる”ネオリベ的な市場原理主義”)はのさばり続けるのか」というテーマの記事をネットメディア・ファインダーズの連載として準備していたんですが、アメリカの大統領選挙も佳境だし、世界中が激動の荒波に揉まれるしで、どう記事を着地させようか迷っているうちに月末になってしまい、先にnoteを書かねば・・・ということで先に今回は、来月11月1日に住民投票が予定されている「大阪都構想」や大阪維新の会について考える記事をこちらnoteに書きます。

準備中の「竹中平蔵はなぜのさばり続けるのか」という記事のテーマとも非常に似ている感じがしますしね。

(後日追記ですが、竹中平蔵型ネオリベモンスターを克服するにはどうすればいいか?という記事は以下↓にまとめました。かなりバズって評価頂いた記事なんでそちらもぜひお読み下さい)

この記事の基本的な要旨を述べると、「現実的な課題」が色々と生起してきた時に、

今の日本だと右も左も「イデオロギー」に狂って物凄く単純化した極端な「全部賛成」「全部反対」的なことしか言わない

ので、

その「空白を埋める」ように、しかたなく「竹中さんに相談しよう」ってなっちゃう

のだ・・・ってことなんですよ。

以下の絵みたいな感じで・・・

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「イデオロギーで現実をオモチャにする」勢力がノサバリすぎているので、現実の細部を扱おうとなると「ネオリベさん」しか残ってない・・・ってことになるんですね。

だからこそ、「イデオロギーを脱却したリアルな議論」ができる環境を整えていくことによって、はじめて「市場原理主義」は克服できるわけです。

そしてそれは、私たち日本人が「維新の会」という非常に特殊な政党とどう付き合っていくべきなのか・・・という話にも繋がります。

以下、詳しく見ていきましょう。

1●竹中平蔵が嫌われているように大阪維新の会も嫌われている?

日本のネット世論で一番嫌われている人物といえば竹中平蔵氏って感じですよね。安倍前首相も在任中相当嫌っているグループがいましたが、それでもネット世論の「だいたい半分」は味方でしたし、世間一般の支持率的なものもそう低くはなかった。

一方で竹中平蔵氏は、「安倍嫌い」の左翼の人にメッチャ嫌われてるのは当然として、逆側の右の人からも国賊みたいな扱いで、彼がなんかネットで引用できる記事で発言するたびに「さっさと●んでくれないかな」的なコメントが殺到するという(笑)

でも、ご本人はどこふく風だというか、これだけネットで「日本経済停滞の戦犯」みたいな扱いで罵倒され続けてもへっちゃらのまま、菅新政権の「成長戦略会議」とやらにもシレッと名前を連ねていたりして、またネット世論の恨みを買うという。

大阪維新の会のネットでの「嫌われ方」については、結構この竹中平蔵氏と似たようなところが最近はあるように見受けられます。

もちろん、「一般的イメージとしての竹中平蔵」「一般的イメージとしての維新」というのと「実態」は結構違うことも多いでしょうが、だいたい

徹底した市場原理主義で、あらゆる規制を取っ払って血も涙もないグローバルな経済の流れに全国民を叩き込むべきだ

みたいなことを考えているんだろう・・・と思われている(そしてそれはある程度まで正しい)。

つまりいわゆる「ネオリベ(ネオリベラリズム)」と呼ばれるような政治志向の「権化」のような存在として、竹中平蔵氏も大阪維新の会も捉えられており、だからこそネット世論的には右からも左からも「最大の敵」扱いされつつ、ネットでどれだけ叩かれても政治勢力としては結構安定的に支持されてのびて行っているところがある。

ここで考えるべきことは、

「なぜ、ネット世論の呪詛の声を大量に飲み込みつつネオリベは栄え続けるのか?日本を市場原理主義の地獄から救い出すには何が必要なのか?」

という問いだと思うわけです。

2●ネットだけで知る維新と、大阪に住んで知る維新の印象はかなり違う

なんというか、ネットのSNSで見る維新の議員ってほんとガラ悪いですよね。特に末端の議員になればなるほど、なんか常に四方八方を罵倒しまくっている感じで、あまり関西に縁がない育ちの人がネットだけで大阪維新の会に触れて、好感を持てというほうが無理があると思います。

私は大阪でなく神戸ですが関西育ちで、大阪は父方の祖父母の家があったし、大人になってから1年ほどですが住んでいた事があるので土地勘はまあまああります。なにより高校とか大学の頃の友人が今でも大阪にたくさん住んでいて、たまに色んな話を聞きます。

で!

大阪維新の会が大きくなってきた頃には私は関西を離れていたので、最初はニュースとかネット世論とかを通じてしか知らなかったわけですね。

そしたら当然、私の維新のイメージは凄い悪かったんですよ。

ガラ悪い連中が出てきたな・・・と思っていた(笑)

でも、大阪に住んでいる同世代の友人とか、話するたびに「維新の会どうなん?」って聞いたら、ほとんど悪い声を聞かないのが不思議だったんですよね。

いやー頑張ってくれはるよ〜、なんか大阪が明るくなったような気がするもん

って同窓会で同世代の女性が言ってるのを聞いて「へえ、そう感じてるのか」とかなり意外に思ったことがあります。

また、私は経営コンサル業の傍ら色んな個人と「文通」を通じて人生を考える・・・という仕事もしているんですが、一時期凄く「地べた」レベルの福祉事業を大阪で営んでいる女性と文通していた事があって、その人ですら、

もちろん政治的意見としては”自分たち”とは全然違う人達だけど、何か困りごとがあった時に維新の議員に言ったらサッと動いてくれる・・・みたいな感じではある

みたいなことを言っていて、なんか、「ネットで触れる維新」とはすごい印象が違うなあ・・・と思ったことがありました。

で、確か前回の住民投票の頃だったと思うんですが、ちょっとどんな感じなのか、帰省ついでに大阪旅行して雰囲気見てこよう・・・と思ったんですよね。

やっぱり「雰囲気」ってあるじゃないですか。

私のコンサルクライアントの同業者(地域が離れているのでライバルというほどではない)が、本業とはかけ離れたオシャレカフェを始めたことがあって、その経営者は凄い地元メディアでもてはやされていて、その記事自体は結構いいなと思ったんですが、一抹の不安を覚えるというか、なんか上っ面な感じもするなあ・・・と思って。

で、わざわざそのオシャレカフェに、凄い遠かったんですが実際に行ってみたら、確かにコダワリの窯焼きピザは美味しかったんですが、その他のメニューと価格帯と”その土地”との調和があんまり取れていなくて、凄い無理してるなあ!と思ったんですよね。あまり人も入っていなかった。

そしたら、のちのちその会社はだんだん調子悪くなっちゃって、やっぱり無理するのは良くないんだなあ・・・と思ったということがありました。

ミュージシャンとかでも、インタビュー記事とかを読んでいると「凄い共感できるなあ!」って思っていてもその人が作る作品に接してみたら「うーむ」ってなることがあったり、逆にインタビューとか全然共感できないけど、作品に接したら「おおおお!」ってなる・・・みたいなことありますよね?

で、「維新の大阪」ってどんな感じなのかな・・・と思って、帰省とは別に時間を作って、大阪中を歩き回ったことがあってみたわけです。

3●大阪城公園・てんしば・・・などの再開発は結構いい(と私は思う)

ネットで賛否両論・・・な維新の政策の代表的なものが大阪城公園の再整備事業なんですよね。

僕は神戸人なので詳しくは知りませんが、大阪城公園って、昔は結構治安の悪い地域だったと言われていて、ホームレスの人がたくさんいて、お世辞にも「観光地」として整備されているところではなかったそうなんですけど。

維新が音頭を取って大阪城公園の一部に、カフェ・レストラン街兼イベントスペースみたいなのを誘致して、それまで公の持ち出しで管理していた公園から年額2億円程度収入が入るようになった・・・そうで。

で!こういうのってザ・”イデオロギー的にモメる案件”じゃないですか。

でもイデオロギーだけで決めつけたくないな・・・と思ってわざわざ行ってみたんですが、私個人としては「結構いいじゃん!」って凄い思いました。

売っているものやカフェの価格帯とか、デザインとか、来ている人の感じとか、それら含めて、凄く場にフィットしていて、なかなか、「維新やるじゃん」と思った案件でした。

もちろん、そこにいたホームレスの人はどこへ行ったのだ!的な問題ってあると思うんですが、しかし大阪城って大阪における観光資源の最重要スポットだったりするわけで、何もそのお膝元でホームレスをやっていただかなくても、整備された観光地にして経済が上向けば、そのぶんホームレス支援だってできるようになったりもするわけなので。

「あれ」か「これ」か・・・の対立だと考えるから良くないんであって、

・観光資源として重要なこの公園は再整備させていただきます

・ホームレス支援はそれ自体として大事なことだからちゃんとやりましょうね

・・・は本来何の無理もなく両立するはずのところ、後者を重視する人が前者を敵視しすぎて余計にコジレている問題があるように思います。

通天閣などがある「新世界エリア」も、私が若いころは、神戸人の私が知らずに気軽に観光にいったら、大阪に昔から住んでいる友人に「あんなとこ危ないから一人で歩いたらあかんで!」って言われた・・・ぐらい治安が悪いエリアだったそうですが、最近「維新の大阪見学ツアー」で訪れた時には随分いろいろと資本が投下されてキレイになっていて、でも「下町情緒」的なものは濃厚に残っていて、

「ちりんちりん〜」

とか”口で”自転車のベルのマネをしながら悠々とゆっくり自転車で通り過ぎるオッサンとか、「皆が期待する大阪のオッサンを演じる楽しさ」をそこはかとなく感じている様子で微笑ましかったです。

こういうのも、あらゆる再開発を拒否して、そこにお金が回らない状態のままだと、だんだん本当に街全体がヤサグレてくるわけなので、多少のショーアップをしつつちゃんとおカネをかけて整備する・・・という流れを作っていくことの意味はあるはずなんですよね。

私は行ったことがありませんが、「てんしば」という天王寺公園エリアの再開発も、非常に市民の好評を得ているという話を聞きました。

4●維新は「血も涙もない」感じではなく、彼らなりに大阪人の「気持ち」の支持を結構得ていると思う。

ここまでの話で何が言いたいかというと、

維新は単にネオリベ的狂気で暴走しているのではなく、大阪市民の心情的好感を結構得ている

ってことなんですよ。

そういうのがないと、もっと上っ面な再整備になって、おカネかかってるけどなんか他人事だよねえ・・・みたいな施設になっているはず。

そういうのって今の日本に結構ありますが、維新の再開発は”案外”そんな感じじゃないな・・・と、少なくとも私は感じたし、少なからぬ在住者の友人が同じことを言っています。

いわゆる「ハコモノ」を作って結局維持費だけがのしかかる状態になってしまう・・・って過去何十年の「日本あるある」でしたが、現時点の維新はそのあたり結構うまくやれている。このことだけを取ってみても、日本の平均値的には「結構やるじゃん」的案件だと思います。

そう考えると、大阪と縁がない人がニュースやネット世論だけで維新と触れると「なんだこのガラワルイ集団は」って思うわけですが、ひょっとするとその「ガラ悪さ」自体も、「大阪市民との精神的一体性」を維持したまま、何らかの一体的再開発をやっていくためには「必要なガッツ」なのかもしれない。

松井市長の口調とか、関西人にとったら「まあ親戚に一人はいるオッサン」という感じですが、全国ニュースでそのまま流すと「ヤクザなのか?」ってなりますよね。

でもそれは、「住民との一体感」をちゃんと維持したまま「インテリのお遊び」にならないためには、そういう「気持ちレベルの共有」が必要だったのだ・・・的に捉えられないこともありません。

5●まず維新を「バカ」「愚民」扱いするのはやめよう

そんな「印象」の話をされても・・・って思うかもしれないけど、維新に厳しいネット世論みたいなものを見ていて一番感じるのはこの「印象」のギャップなんですよね。

ネット世論では、ある種の左翼知識人みたいな人が、維新のことを血も涙もない自己破壊衝動に駆られた狂人たち・・・みたいな扱いで語るし、「維新は成果を誇るけど、大阪市民は日に日に窮乏していってるんです!大阪じゃ誰も維新のこと良いと思ってないよ!!」みたいな感じじゃないですか。

でも実際住んでいる人の声聞いたら、基本的には維新のやってることにポジティブな人が多いんですよね。選挙でもずっと勝ってますしね。

もちろんもっと「印象」以上の話もあって、これは私の著書に書いたんですが、以前ある「維新批判派」の大学教授さんが「維新は無能!」の根拠としてあげていた財政の数字があまりに直感と違っていて、おかしいな?どういうことだろう・・・と思って大阪市の財政報告書を十数年分ひっくり返して調べたことがあったんですが。

大阪維新って、相当アグレッシブに財政の組み換えを定期的にやっていて、「なんか自民党と似たような体質の地域政党なんだろう」と思ったらかなり印象が違うんですよね。

数兆円ぐらいの予算から数千億円ぐらいは機動的に引き出してきて、主に子育て世代向けの目玉政策に適用しつつ、減債基金や調整基金(積立が義務付けられているけど維新以前には取り崩してすっからかんになっていたプール金)も回復させつつ、高齢化で激増する社会保障費もある程度手当していて、想像以上の「やり手」感に驚愕したことがありました。

「大枠としての予算のリバランス」は相当見事というか、ここでまた大阪維新の「印象」が私は大きく変わりました。

もちろん、”維新批判派”的な視点から見れば、そのプロセスで「大事な支出がカットされてしまった!」という事もあったんだと思いますが、それはそのたびにその「費目」自体を議論すればいい話ですよね?

でも、この「批判派」が維新のやっていることの全体像をあまり理解せずにツッコミを入れるので、コミュニケーションが全然成立していないというか、維新は維新で自分の仕事を邪魔されないように過剰に成果だけをアピールするようになるし、批判派はさらに枝葉末節で騒ぐようになるし・・・みたいな感じなんですよ。

「維新批判派」の人たちは維新のことを「バカ」「愚民」「知性がない」みたいなこと平気で言う人達がいるんですが、まずそれは辞めたほうがいいと思うんですよね。

まあ私も当初はそういう第一印象がなかったわけではないんですが、ここまで書いてきたように、

「維新は維新で結構一貫した論理と明晰さで動いている部分がかなりあり、しかも大阪市民の結構広い範囲の心理的共感も得ている」

というところは認めた上で話を進めないと。

維新批判派が、維新側が進めようとしている大きな予算のリバランスや再開発投資は理解した上で、「しかし予算のここの部分は削るべきではない」とちゃんと噛み合った議論をしていけば、維新の方もメチャクチャ強引な成果のアピールとか四六時中まわりを罵倒するような振る舞いをしなくても済むようになるんじゃないかと思うわけです。

6●話の噛み合ってなさがとにかく大問題

その大阪市の財政十数年分を調べていた時に、市長の定例メディア会見の議事録とかも出てきて読んだりしたんですが、話の噛み合ってなさがヤバかったです。

調べていて印象的だったのは、地方財政って収入が年によって凄い変わるんですよね。企業経営の売上の景気による変動が、何倍にも増幅して直撃する感じで。

だから「へそくり」みたいなのを貯めておいて適宜使うようになっているんですが、維新以前はそれが使い果たされてしまっているのを結構頑張って回復してきていたんですが、ある年税収の落ち込みに対応して「へそくり」から出して使うことになったんですね。

そしたら、「権力者に忖度せず強気で追求するメディアの使命」みたいな感じで、その「基金を取り崩した!」っていう部分だけ切り取って維新は無能だ!!!みたいなことを焚きつける勢力があって、なんか議事録を読んでいて「なんじゃこりゃ」という感じでした。

他の話題としては、たとえばここ数日は都構想移行後の行政コストは200億円以上かかるとかいう話が出て批判派が盛り上がり、対して「それはデマだ!」みたいな維新の巻き返して・・・みたいなことでSNSが紛糾していましたよね。

”216億円”というのは、特別区4つを「普通の政令市」と同じように運営すれば・・・ということだそうで、さすがに共通部分などは一体化してやるわけなので、維新の側が「根拠がない」という気持ちもわかる。維新側の試算では数十億円だとか?

しかし重大な問題は、個人の感覚で見ると200億円ってバカでかい気がしますが、大阪市の予算は一般会計で1.7兆円、特別会計含めて3.5兆円もある世界なのだ・・・ってことなんですよ。

だから、この話題は、予算の1%なのか0.1%なのか・・・という話でしかない規模感だし、毎年凄い上下する税収のブレや、高齢化で増え続ける社会保障費からすれば”誤差”と言ってもいい。

まあそりゃ実際2百億円あったら色んなことができるし、ゆるがせにしてはいけない課題ではあるけど、少なくとも「都構想の成否がココの一点で決まっちゃう」ような論点ではないわけですね。

7●些末なプロパガンダ合戦でなく、大きな方向性で選んでもらいたい

「大阪市がなくなっちゃうってことなんですよ!」という批判もちょっと一方的で、大阪市と府を一体的に運用するということは、市単体でできていたことをもっと広域の事考えて投資してくださいよ・・・ということなので、ただ単に「いやそもそもそれを目的としてやってるんですよ」という話でしかないんですよね。

要は「それ」に対してイエスなのかノーなのかという問いなので。

で、「府市あわせ」などない!対話すればいいじゃないか・・・みたいな話は一応もっともなように見えますけど、でも世の中権限を一体化してサクサク動かさないと決してできないこともありますからね。

伊丹空港と関空を一体化してLCCを呼び込んで・・・みたいなことは、やっぱり誰かがリーダーシップを取ってやらないとできないタイプの仕事だったと思います。結果として大阪は観光客の伸び率「世界一」だとか。

この記事で書いた色んな再開発も、「ハコモノ」的な失敗にならずに結構うまくやれている感じがしますしね。

今チラホラ検索してみた様子だと、そういう維新のアピールに対する「批判派の定番ネタ」は、県民経済計算での経済成長率が大阪は全国平均より低い・・・という話みたいなんですけど。

これも、東京や大阪は元の”規模”が全然違うので、10分の1ぐらいの規模の県と”伸び率”を比べる意味があるのか・・・みたいな問題があるんですよね。その伸び率ランキングで東京がそれほど高い位置にあるわけでもないし。

なにより、大阪は戦前には東京より人口が大きいぐらいだったところから、もともと色んな大企業の本社があったところ次々と「東京一極集中」の流れの中でダメージを受け続けてきたわけですよね。それはまあ誰の責任でもない大きなトレンドとして。

その中で、維新以後「企業の転出・転入問題」は明らかに改善傾向にあって、「凋落が下げ止まる大阪」という印象は個人的にはかなりあります。

これ↓は朝日新聞の2019年5月の記事ですが・・・

大阪人気じわり、本社転入の企業数 23年ぶり高水準

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だからこそ、大阪の人には、200億円か20億円か・・・みたいな些末な話ではなくて、大きな方向性の問題として選んでほしいわけですね。

8●あらためて、「なぜネオリベはのさばり続けるのか」

で、結局またこの絵に戻ってくるわけなんですがね。

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維新が完璧ってわけじゃ全然なくて、色々問題はあるだろうし、いろいろな予算の見直しの中には「本当に大問題」なものも含まれているはずだと思います。

でもこの「批判派」がイデオロギーでしか批判しないと、「実際やってる側」の答弁もどんどんおかしなことになっていくんですよね。

「イデオロギー」でイッちゃってるのは左じゃなくて右の人もそうで、確かに伝統的に考えられていたよりも日本国債には発行余地が大きくあるように思える情勢ではあるけど、それは「無限に」であるはずがないので、「無限に国債発行できるのだあああわははははは!」みたいな話になってたらマトモな政策論議に反映できなくなるわけですよ。

これもさっきリンクした著書で詳しく書いたことですが、もしアグレッシブな非・緊縮財政を本当にやりたいなら、「無限に発行できるのだああぬわははは!」でなくて、もうちょっとピンポイントに「使い方」の議論を詰めていく必要があるんですよね。

結果として起きていることは、

維新の情報発信も一方的すぎるが、批判派も全貌を全然捉えていない

ってことなんですよ。

で、そこの「まともな議論」が成立していないと、その「空白状態」を「竹中平蔵」が埋めていくわけですよ。

「現場レベルから出てきた細かな改善ニーズ」を微細に読み取ることをやめてしまい、「論壇」がイデオロギーで染まってしまうと、結局過剰なネオリベだけが暴走することになるんですね。

だからこそ、「イデオロギーを排したリアルな議論」をもっとできる環境を整えていくことによって、はじめて「ネオリベ的市場原理主義」を排除することも可能になる。

都構想の投票は凄く賛否が拮抗しているそうで、どうなるかわかりませんが・・・

ただ、こないだの菅首相の話でも書いたんですが、「とりあえずやると決めちゃう」ことではじめて「対話」が可能になるってこともあると私は思っています。

上記記事より引用↓

コンサルタントとしての体験から言うんですが、そもそも「やる・やらない」レベルのところでトップダウンで強引に「決めて」くれず、トップの態度が責任逃れ的に曖昧で、現場レベルでの推進者が「そもそもそれをやるのかどうか」から相手を説得しなくちゃいけなくなると、現場レベルでは逆に「対話」が余計に不可能になるんですよね。

トップの態度がフラついていると現場レベルの推進担当者が常に「無誤謬なフリ」みたいなことを示し続けて埋め合わせる必要ができて、結果として相手の事情をちゃんと理解するためにスキを見せて対話するみたいなことをする余裕がなくなってしまう。

「無理やりじゃない対話的な導入」というのは、逆に「そもそもの意思決定」レベルでは逃げずにトップが「やる」と決めないとできないんですよ。これは、組織の中でなにかを横断的に動かそうとリーダーシップを取ったことがある人なら痛いほどわかるはずです。

(引用終わり)

維新のやることなすことに「イデオロギー」レベルで反対する勢力しかいないと、維新側も無理くりな自己アピールで押し通すしかなくなるわけですよね。

ただ、何か大きく「不可逆的にやることを決める」案件が動き出したなら、維新側にも余裕ができてきて、今みたいに四六時中SNSで四方八方に暴言を吐いたりせずに済むようになるかもしれない。

なにより、「維新批判派の懸念点」だって、維新的な仕事の先で実現できたりするわけですよね。

「イデオロギー」レベルで維新が嫌いな人はとにかく果てしなくあらゆることにケチをつけていますが、この記事の前半で書いた「福祉の実務家」の人が案外ニュートラルな評価だったのは、維新が人気取り政策とはいえ豪腕で引っ張ってきた予算を子育て世代などに結構手当していることを体感で知っているからだと思います。

この「結果」は結構日本全体の今後の雰囲気に物凄く大きな影響がありそうな予感があるので、どうなるかわかりませんが注視していきたいと思っています。

今回記事の無料部分はここまでです。

以下では、大阪人が「維新」に期待しているもの、一度「今の大阪」をぶっ壊してほしいと感じているエネルギーは何なのか・・・みたいな話をします。

なんか、最近忙しくて都構想についての色んな議論をフォローしていなかったので、ネットを検索したら「反大阪維新の代表論客」である藤井聡教授がユーチューブで喋ってる動画を見つけたんですが。

どういう論点で語ってるんかな・・・と思って再生したら、途中から藤井教授がいきなりギター抱えて「大阪で生まれた女」を歌い始めてびっくりしました(笑)

まあまあ歌うまかったです。

で、この藤井教授が歌い終わったあと、「大阪で生まれた女だから、大阪の街を捨てられない」っていうのが「凄いわかるのよ!」って力説してたんですけどね。

だから都構想なんかは許されへん!あれは大阪が東京のようになるって話や!みたいな(笑)

でも、曲全体見たら、「大阪で生まれた女があえて大阪を捨てる歌」なわけですよね。

僕も「大阪で生まれた女」って凄い好きな歌なんですが、あれね、最後、主人公の女の人が、

「大阪で生まれた女やけど、大阪の街を出よう」

って言い出すところが感動するわけですよね。

彼氏が東京に出ていくって言ってるけど、私大阪に生まれた女やから、東京なんかようついていかれへんわ。もうこの関係も終わりかな・・・と思って自分一人の部屋に帰って、裸電球をつけたりけしたりしてるうちに、ハッと決意が湧いてきて、

「大阪で生まれた女やけど、大阪の街を出よう」

って言うところが感動するわけじゃないですか。

「大阪のサラリーマンは絶対歌える」とか言う桑名正博の「月のあかり」も、最後には大阪を出ていく話なんですよね。

個人的に思うのは、大阪人は果てしなく「人情」でベタベタに結びつきあっているようでいて、いざという時に「スパッと裏切って出ていく勇気」的なものを凄く推奨する精神みたいなのがある感じがするんですよね。

「月のあかり」的に言えば

「街から出ていくだけやで。さよならとは違うし」

的な、「切れるけど切れない」的な可能性があるというか。

維新人気の背後にあるものは、そうやって「一度リセットする方向」でどんどん動かしてほしい・・・それでも「大阪の人情」は引きちぎられへんで!と思っているガッツを、個人的には感じているわけです。

こないだこのオシャレ媒体の連載↑で書きましたけど(力作なんで良かったらどうぞ)、大阪が一体となって必要な打ち手を打っていけば、ある種の「国際金融都市機能」とかだって取り込める可能性はあると思います。

大阪とか関西って中規模の先進国ぐらいのサイズはあるんで、独自色を出してどんどん前に出ていけば、シンガポールや香港が「高機能市場機能」と「一般人」とのギャップが広がりすぎて軋轢が大きくなる中で、「大阪なら受け止められる」可能性だってあるはずで。

東京は不可避的に「日本代表」であり続けないといけない事情があって、だからこそこれからの東京はユニークで面白い可能性を持っていると思っているわけですが、一方で関西は、もっと身軽にむしろ世界のおカネの流れとうまく直結するような動きをしていっても崩壊しない「人情の連続性」があるんじゃないか、それをむしろ今後は活用していくべきじゃないか・・・・という話を、以下ではします。

藤井教授が「大阪で生まれた女」を通じて痛切に思い入れている「大阪の人情」は、むしろグローバルな変化をどんどん取り込んでも崩壊しない「基礎」を作るためにこそ使うべきなんじゃないかという話ですね。

そういう大きな資本の流れに開かれていくことで、今の「大阪のケバいおばちゃん」的な色だけではないような、一種の「高雅さ」に値するような部分の大阪もリバイバルできるんじゃないかというか、本来的に結構「インテリに優しい」「インテリと共存する有り様に独自のモードがある」街でもあったはずなので・・・

というような話をしたいと思っています。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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