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アメリカがトランプを追放して失ったものとこれからの日本の進むべき道について

バイデン大統領がいちおう平和的に正式就任してから一ヶ月以上がたったわけですが、一応アメリカは「平静に」動いているように見えます。

というのは、トランプ氏本人をはじめとして保守派系の声の大きい人をツイッターやフェイスブックなどの主流SNSがアカウント停止しまくっているからで、はては主流派SNSから独立した保守派専用SNS”パーラー”をホストしていたアマゾンウェブサービスがそのSNSごと停止・・・みたいな強硬手段にまで出ていたんですが、最近いわゆるビッグテック(巨大IT会社)とは別の独自基盤で保守派専用SNSが再開した・・・といういたちごっこになっているそうです(さすがにコレを止めるのは法的に難しそう)。

まあ、議会乱入事件まで起きてしまったわけだし、あの国の今の分断はもう取り返しのつかないところまで来ているわけなので、こういう強引なことをやるのも今は仕方ない・・・という考えもわからないではないです。

ただ、そもそも”言論の自由”的理想論的に言ってあまり褒められたことではない事は明らかなんですが、もっと深刻な問題は、この「独自SNSに分離して純粋培養されていくエネルギー」はどこへ行くんだろうという恐怖ですよね。

たとえば日本の地下鉄サリン事件を考えてみると、銃器とかなかなか手に入らない安全空間の日本で、信者がどれだけいたかしりませんが(ウィキペディアによると最盛期でも日本で1万5千人ぐらいらしい)トランプに票を入れた7000万人とは比べるべくもない規模だったオウム真理教が、「世間」から分断された特殊空間の中だけでグルグルと純粋培養的にエネルギーを暴走させた結果起こした事件ですら「あれだけ」の大きさだったことを考えると・・・

普通に軍事レベルの銃器だってかなり簡単に手に入るアメリカで、日本人よりもさらに容赦ないアクティブさを持っていそうなアメリカ人が、トランプに票を入れた7000万人そのままとは言わずとも、たとえばその1割の700万人が参加しているとしてもこれはもうメチャクチャ恐怖ですよ。オウムどころじゃない。

最近アメリカに住んでいる日本人のSNSアカウントで、これはバイデン派だろうとトランプ派だろうとですが、街で凄い殺伐とした空気が流れていて怖い・・・みたいな投稿を見たり、日本に再移住することにしました、みたいな人を見かけたりするなあ、と感じます。

もちろんSNSでたまたま見かけた例がやたら目立つなあって話程度なんで実際どれくらいのことなのかわかりませんが、アメリカメディア全体がスクラムを組んで反トランプキャンペーンをやり、保守派アカウントをSNSで停止しまくっているので見た感じは

「バイデンになってアメリカイズバック!めでたしめでたし」

的になっている「はず」・・・なのに日常に残る不穏な空気が怖い、みたいな話は、まるで一昔前のハリウッド映画で、

誰しもが幸せに暮らしているアメリカの都市郊外の閑静な住宅街の見た目の平和の裏で、何か猟奇的な事件が進行している・・・

みたいな設定ってよくあったと思うのですが、ちょっと似た感じがあるのではないかと思います。

で、繰り返すようにアメリカはもうああなっちゃったんだから押し通すしかない部分はどうしてもあるのかもしれませんが、「国民の半分」といっていいぐらいのシンパシーを集める集団を完全に「存在しないもの」と扱ってしまう事の、オウムどころでない恐ろしさ・・・というのは、これからアメリカ人だけじゃなく世界中の人が注視してなんとか解決策を見出していかねばならない問題があるなと思うわけです。

言いたいことは、

「政治的に対立」していても「心理的にある程度共感する部分を残して」おけるなら、ここまで暴発させずに済んだはず

って言うことなんですよね。この「心理的になんとなくの共感」を完全にお互いぶち壊してしまってから、バイデン大統領が

「私に票を入れた人だけでなくすべてのアメリカ人のための大統領になる。対話をはじめよう」

的な「完璧な演説」をしたって、ちょっとさすがに白々しすぎるよな・・・みたいな話があり。

バイデン演説自体は、演説そのもので見れば「アメリカ大統領の伝統芸としては完璧」なものだったと思う(自分は”感動しぃ”な人間なんで日本時間深夜にライブで見ていて結構感動すらしました)んですが、そのカクテルパーティー風の雰囲気に対してメッチャ親戚のオッサンみたいな格好で出席したバーニー・サンダースがSNSで話題になりまくっていたのは、バイデン演説を白々しいと思っているのは保守派だけじゃないということを表しているようにも思えます。左派の方の不信感は、日本でもチラホラ見るようになった「普通の人」とは違う「エリート集団」が勝手に牛耳ってやがるんだろう・・・という不信感ですね。

日本はこれから、「こういう分断」に陥ることを避けながら、必要な前向きな変化は起こしていく・・・ということを目指すべきだ・・・と言うことを私は下手したら7年とか8年とか前から著書などで言ってきていて、そしてそれは可能だと私は考えているわけですが。

今回もそういう話をしたいんですが、まず

・「アメリカがトランプ派を排除することで失ってしまったもの」は何なのか?

という話を深堀りした上で、それを持って

・日本では「分離してしまわずに善用する」対処をしていくために必要なことは何か?

という話をします。

ちなみにこれは有料記事っぽい体裁になっていますが、有料部分はほぼ別記事のようになっているので、無料部分だけでも読んでいっていただければと思います。

1●ピーター・ティールの本を読んで久々にワクワクした話

最近ツイッターで話題にしている人がいて、ピーター・ティールという人が書いた「ゼロ・トゥ・ワン」という少し古い本を読んだんですが、これが凄い面白くてですね。

なんか、久しぶりに「アメリカ発の何かにワクワクする気持ち」を思い出したなあ、みたいなことを思ったんですよね。

でもこれは2012年のスタンフォード大学での「起業論」の講義を2014年にまとめて出版した本で・・・なんかそれからもう結構時間がたっているわけですが、「最近こういうワクワク感をアメリカから感じないなあ」みたいな実感に愕然とした思いを持ちました。

講義の年から数えて9年、出版から7年の歳月の間に何があったのか。

ピーター・ティールは、ペイパルという会社を起業したメンバーの一人で、このメンバーが今をときめくイーロン・マスクを含めて有名になった人たちが集まっていて「ペイパルマフィア」とか呼ばれている人なんですね。「フェイスブックの最初の投資家」と言った方が凄さが伝わるかもしれない。

その後、”ここ最近のシリコンバレー”に批判的になってロサンゼルスに引っ越してしまったり、あとリベラル派が基本であるシリコンバレー関係者ではかなり珍しくトランプ支持を公言したりして奇人扱いされていた人なんですが。

なんか、本を読んでいて、ちょっとその「気持ち」がわかるというか、この人が「トランプ支持」にならざるを得ないようなアメリカ社会の変化・・・みたいなのを少し体感したというか。

2●シリコンバレーの”ジェントリフィケーション”に抗う

「ジェントリフィケーション」っていう言葉がありますよね。

大都会の中のちょっと寂れた家賃の低いエリアに芸術家とか野心的な服屋さんとか音楽家とかが集まって「面白いゾーン」になって、でもその「イケてる街という評判」が高まるとブランド信仰心の高い普通の金持ちが引っ越してくるようになって、家賃があがってしまって元々そこの地域を「面白く」していた原動力だった人々はどんどん別の地域へ逃げ出していき・・・みたいな「よくある話」のことです。

ピーター・ティール自身がこの言葉を使っているわけではないんですが、ピーター・ティールが抗いたいと思っている流れは「シリコンバレーのジェントリフィケーション」なのだと思います。

本の中で何度も、

昔の起業家と違って、今は「起業家やITそのもの」が「イケてる」存在になってしまったので、若い頃から先生が評価してくれるアクセサリーを求めて成績の数値を揃えてボランティア活動をして、学生団体のリーダーの肩書を手に入れて・・・みたいなタイプが起業家になってしまう。結果として”本当のイノベーション”が生まれづらくなっている

みたいな話をしていてですね。

そうじゃなくて、本当に「明確な優位性を築くことができる一点的な仮説にちゃんと賭けて動く」存在が必要なのに、今のジェントリフィケーションが進んだシリコンバレーではそういう存在は排除されてしまいがちだ・・・みたいな話でした。

3●テックギーク(技術オタク)文化の衰退

「ジェントリフィケーション」によってスミにおいやられつつあるカルチャーはどういうものかっていうと、それは「テックギーク(技術オタク)」成分と、「中小企業のオヤジ」感覚だな、という風に思います。

「テックギーク」っていうのは、このピーター・ティールの本もそうなんですが、ある時期までのこういうアメリカのITベンチャー起業家の本って、勿論アカデミックな成果を引用したりするところもありつつ、それと同じぐらいポップカルチャーをたとえ話として引用しながら話すシーンが多くて、それが僕は凄い好きだったんですよね。

テックギークだったら、「スター・トレック」とか「銀河ヒッチハイク・ガイド」の話を唐突にする。僕個人は両作品ともあまり好きじゃないんで出てくる固有名詞はほとんど知らないんですが、「知らない話」を出されてもそれほど嫌な感じじゃないというか、「こういう位置づけの話について言ってるんだな」っていうのはすぐわかるから面白い。

僕が真面目な本を書いている時にわざわざジョジョのセリフを引用したりしていたのは、結構その影響を受けているところがあります。

それってそんな大事な”文化”なのか?って思うかもしれないけど、こういうことをあえてやろうとする精神の背後にこそ、「自分たちがやっている事が狭いエリートサークルの内側だけのことではないように開かれたものであってほしい」という精神そのものがあるわけですよね。

そういう「エリート以外も含んだみんな」と共有しているモノと地続きの精神を維持しようとする気分が失われていけば、いずれそこで「切り離してしまったもの」は「トランプ現象」的なムーブメントとして復讐しにやってくるのだと思います。

で、やはり最近のアメリカの本はそういう「ポップカルチャー的に共有できるものを媒介に、エリート以外とも開かれたものでありたい」的なノリの本が減ったなあ、と思うんですよね。一方で、「そこの部分なんかわかりきっているだろ」的な部分まで全部アカデミックな論文のリンクを貼ってガチガチに固めたような本が増えて、それが果たしていいことなのかどうか。

勿論数字のバックアップを適宜確認して現実から遊離しないようにすることが大事なのは言うまでもないんですが、大事なのはそれをやる「頻度」というか、「重要な問題」以外のありとあらゆる細部にまでそれをやる精神が持っているリスク回避性向・・・みたいなのの問題があって。

結局オマエは何を信じてどういうリスクを取って生きていきたいの?みたいな問いから必死で逃げているようなところがあるというか。

3●「中小企業のオヤジ的数字感覚」が失われつつある

で、そういうのに対して、ピーター・ティールの本には「健全な中小企業のオヤジの数字感覚」みたいなのがあるな、と思います。

具体的には、例えば「顧客一人あたり獲得コスト」っていうのは事業において物凄く重要な数字なんですが、ありとあらゆるビジネスの種類によって、この「顧客一人あたり獲得コスト」の値は随分違うんですね。

で、どういうビジネスモデルは成立し、どういうビジネスモデルは成立しないか・・・はすべてこの「顧客一人あたり獲得コスト」から決まってくる・・・というぐらいのインパクトがあるんですが、この本では、

この数字がこの水準ならこういうビジネスの構造になる。この水準を超えるとこういう世界になる・・・みたいな「閾値」について明快な世界観の違いを語る面白さ

があるんですよ。

水っていうのは摂氏0度以下では個体になり、0度以上になると水になり、100度を超えると気体になります

的な感じで、

顧客一人あたり獲得コストをどれだけかけることが可能かによって、それぞれのビジネスがどういう違った構造になるか

を明快に説明している。(中には本が出てからここ6−7年で構造が変わってそうだなと思う話も混じっているんですが考え方の基本は同じです)

こういうのは、勿論アカデミックな学問家でも物凄くトップオブトップな人は当たり前のように持っている能力で、要するに分析する数字が10個も20個も出てきてもそれを並列に並べてダラダラと説明するんじゃなくて

「この数字がどちらに倒れるのかが重要なのだ」

という感覚が鋭敏なので話を「そこ」に明確に集中させていくドライブ感がある。例の安宅和人氏の「イシューからはじめよ」的な話ですね。

こういうのって、学問的な天才には当然あるんだけど、「トップからちょっと落ちる学問家」には呆れるほど無い人も結構いる反面、私が仕事で付き合っている中小企業の経営者の人とかは(少なくとも自分のビジネスに関しては)結構持っている人がいたり・・・という能力なんですよね。

大企業の優秀な社員やピカピカな経歴のコンサルタントにも、こういう能力はある人も無い人もいて、ある人には凄いあるし、無い人には全然なかったりする。

問題は、「ジェントリフィケーション」が進んで、「テックギークや中小企業のオヤジ」的にナマの現実に張り付いた感覚を持った人間じゃなくて、「先生の評価を追い求めてアクセサリー的経歴を集めてきた人」ばかりが出てくると、そういう人ってこの「中小企業のオヤジ的数字感覚」が薄い人が多いんですよね。

そういう人に唸るような大金が「資本」として与えられると、結局不健全な浪費にしかならないのだ・・・みたいな話を切々としているのが「ゼロ・トゥ・ワン」という本なんですよ。

4●「トランプというアイコン」がつなぎとめていたもの

とはいえ、そういう「鋭敏な中小企業のオヤジの数字感覚」っていうのと、実は事業が破綻寸前な部分もあったと言われるトランプ大統領とはつながらないんじゃないか?とあなたは思うかもしれないんですが。

トランプ大統領の「ビジネスの実態」については以下の記事で書いたんで、詳しくは繰り返しませんが、

「トランプ氏自身は”普通の意味での優秀さ”はあまりないけど”特殊な優秀さ”は凄いある」

人なんですよね。

重要なのは、ビジネスには色んな側面があって、色んなタイプの能力を持った人が「異質との結合」によってお互いの違いを活かした価値を持ち寄ることが必要なんですが。

「ジェントリフィケーション」が進むと、「数字をフォーカスする力」がどんどんバラけてしまうというか、結局学校の先生が評価してくれる動きを必死にこなしてきた人ばかりが溢れるようになると、

「20個ある数字の中から一個の数字に着目して、それがどういう閾値をもたらすのかを徹底的に考える」

みたいなことができづらくなってくる。結果として、「わかりきった話」=「競争者が溢れるほど出てくる話」を美しくプレゼンして大量の資本を手に入れて赤字をバンバン出しながらお客さんを集めはするけれども・・・・状態で止まってしまうビジネスが増える。

トランプ大統領はそういう「中小企業のオヤジ的感覚」の中でも最も破れかぶれ系の人物であることは確かなので、本当に現場レベルで適切な「ジェントリフィケーションへの抵抗力」を文化として維持できていれば、ここまでトランプ氏を偶像化して持ち上げて、あらゆる暴力的な形での反発状態にはならずに済んだのだと思いますが。

結果的に、シリコンバレーの「イノベーション」産出力はここ5年とかで随分弱くなってしまって、今や中国の方がよっぽど面白いぜ、的な印象を持っている人も多いと思います。

5●「ジェンダー」問題とジェントリフィケーション

ここ5年ぐらい「ジェンダー」系の、巨大IT企業の関係者の男女比がどうこう・・・みたいな話がかなり強烈に盛り上がってきたところがあると思うんですが、この「ジェンダー問題への扱い方」と「ジェントリフィケーション」は結構関係していると私は感じています。男女の能力差があるかないか、みたいな議論をした社員をグーグルがクビにした事件とかありましたね。

って何度でも繰り返したいことは、女性の社会進出に反対しているわけではないし、ただ「今のジェンダー問題の扱い方」が「副作用」をもたらしているのを放っておいているからバックラッシュも生まれるので、そこを工夫していきましょうという話なんですけどね。

男女差別問題に意識的な女性は、「男として生まれるということはこの社会の中で全く抑圧を受けないフリーな特権を持っているのだ」と考えている人もいるかもしれないけど、そういうわけじゃないですよね。

男は男なりに、「男同士の義理の連鎖」みたいなのがあって、そこから学ぶ事も多い。

特に男として生きていると、「エリートの内側サークルの論理だけが正しいわけではない」的な感覚を結構内面化させられるところがあるというか、それを引きちぎろうとすると結構人格的にイビツなぐらいの「エリート主義者」的存在になる必要があるぐらい大きな磁場がある・・・と思う。

要は、「いい大学を出たエリートも、中卒の肉体労働者も、品行方正な人物もちょっと変な性癖を持った人物も平等な存在である」というような磁場が働いているというか。

そういうのは「学歴に守られたジェントリフィケーションが進んだエリートサークル」の内部論理からすると「ノイズ」なんですが、「ノイズ」から学ぶことがやはり多くて、それが「20個並列に並んだ数字」から「一個の数字」を選び取って徹底的にそれについて考えるセンスに繋がってくるところがある。

で、女の人にそういう能力がないとは決して思わないというか、私のクライアントの女性経営者とか見ていると男以上にそういうセンスに溢れている人すら多くいると思うんですが、ただ

「男女差別問題の活動家になるタイプの女性」は、「こういうメカニズム」自体が「社会の諸悪の根源」だと思っている

ところがあって、ここまで書いてきた「ジェントリフィケーション」が進みさえすれば社会は良くなるのだ・・・と思ってどんどんそっちに動かしていく結果、

・社会の実験を握っている層のカルチャーからどんどん「テックギーク成分」とか「中小企業のオヤジ成分」が抜け落ちてきて、

・資本主義システム全体が徹底的に「エリートの内輪のもの」になっていってしまうのを誰も止められなくなる

・結果として「エリート層の社会運営が、社会のナマのニーズを吸い上げていない状況になる」

・行き場を失った「ナマのエネルギー」がトランプムーブメント的な暴発先を求めて暴れだす

的な構造にあるのだと私は考えています。

ちょっとだけ自己紹介をすると、私はマッキンゼーという外資コンサルからキャリアをスタートしたんですが、「その世界の論理」と「日本社会のリアル」との間があまりにギャップが大きすぎるように感じて、「このまま2つの世界が全然交わらないままだと社会が成り立たなくなるんじゃないか?」と思って、その後ブラック企業やカルト宗教団体に潜入する・・・みたいなフィールドワークまでやった上で今は中小企業相手のコンサルティングをやってる人間なんですね。

だから、「アメリカ」ならもう完全に相互了解不可能になってしまっている「2つの世界」が、一応日本ではまだ結びついているからこそ、アメリカで起きているような不幸からギリギリ土俵際で耐えているメカニズムがあるんだ、ってことが「体感」としてひしひしわかるんですよ。

それが「ホモソーシャルな差別主義なんだ」って思うかもしれないけど、はっきりいって「それなしにちゃんと社会の紐帯が保てて分断が起きないんだったら明日にだってやめたいと思っているけど、改革を迫る側にそういう配慮が全然ないからこうなってるんじゃないか(怒)」という思いがどうしてもあるんですよね。

「そこ」をいかに引きちぎらずに、必要な変化を起こしていけるかが、「アメリカの失敗」を繰り返さないために大事なことなんですよ。

6●「アメリカ型リベラル」とは違う女性活用の方向性を作るべき

ってこれはだから女は三歩下がってついてこいという話じゃ全然ないわけですね。

何度も言うけど僕のクライアントの女性経営者とかを見ていると、変にエリート思想に凝り固まった男よりもよっぽど「社会の色々な層への目配り」があって的確な動きができるレベルが高い人も沢山いるわけなので。

たとえば随分昔の記事に貼ったこのスライドの経営者↓は女性です。

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だから「女はそういう能力がない」というわけでは全然ない。むしろ素質的にはめっちゃある。

そうじゃなくて、今の「アメリカ型リベラルの思考法」自体が「人間存在の半分」しか見えていない独善性を持っているので、結果として

「形の上での多様性」を増やせば増やすほど社会の運営が硬直化して「人間の種類的な多様性」はどんどん抑圧されてしまう不幸がある

のだ、って話なんですよね。

さっきリンクした「トランプ氏のビジネスの全貌」っていう話

では、

「トランプ的に破れかぶれのリーダー」の起債力を利用して「普通に優秀なビジネスマン」が投資をしている領域は凄い利益が出ているのだ

って話の詳細が書いてあるので、興味がある人は読んでほしいわけですが。要は「それぞれのナマの個性」を「そのまま活かす」方法をボトムアップに考えていくべきなんですよね。

で、

男女関わらず、トランプ的な人物も「個性」の一つであり、MBAに集まっているような「優等生」も「個性」の一つであり、それぞれ美点があるので、活かし合って社会を作っていければいいですね。

・・・という発想が、現時点で「ホモソーシャル」的というか、男にとっての「内輪」感を持ちがちという問題がある時に、この「ホモソーシャル」を敵視して解体することばかりを考えると、

「そのポジションをその人が占めていい理由を学校の成績的なものだけに絞る」

みたいなことになってくるんですよね。

「トランプ的に変なヤツだけど注目を集めて起債する能力はあります」とか、「コミュニケーション能力があるとは言えないが徹底的なテックギークで技術へのこだわりがあります」みたいな人物を「選ぶ」のは「ホモソーシャル」的な感じがしてきて、結局「トップ校のMBAや計算機学博士を優秀な成績で出た人物」を成績順に取る方が人種や性別に関わらない平等な選び方だ、それ以外の基準で選ぼうとするのは内輪を優遇する無意識のレイシズムだ・・・みたいな話になって、どんどん「ジェントリフィケーション」が進んでしまう。

これが、

「属性の多様性が増すごとに本質的多様性がどんどん失われていくアメリカ型リベラル思想の矛盾」

ってやつですね。

そうじゃなくて、

「女版トランプ」とか「女版テックギーク」も「キャラ」のうちに入れていく

形で地続きに拡大していくようにできれば・・・

個人的に「女版トランプ」的な知り合いも「女版テックギーク」な知り合いもいますが、それぞれ凄いイキイキと日本社会の中で働いていますし、かといって別に「女を捨てた」的な感じにもなっていないと思います。むしろ「女版ならでは」の弾け方をしている人が多い。

日本における「女性活躍」をもっと進めるには、「女性の活躍」問題と、この「アメリカ型リベラルのファシスト的傾向」とをいかに切り離すことができるか、「無自覚なエリート万能主義によるジェントリフィケーション」への免疫力をいかに維持しながら物事を動かしていけるか・・・が、アメリカのような「分断」による爆弾を社会に抱えずに済むために重要なことだと思います。

7●人と技術の間に本当のイノベーションは生まれる

で、今後の日本なんですが・・・

ちょっとヒントになるかなと思う話で、ピーター・ティールがもう一個言っているのは、

本当のイノベーションっていうのは「技術」と「人」との間に生まれるんだけど、本当の洞察力がない人が考える技術応用アイデアは単に人間がやっていることを機械にやらせるだけになってしまう

みたいな話で。

私は色んな個人と「文通」をしながら人生を考えるという仕事もしていて、そのクライアントのある理系院卒ITエンジニアの男性が、アレコレと「本当に日本のためになるビジネスを」と思い悩んだあげく「製造×IT」ベンチャーの創業メンバーになったってことが最近あったんですけど。

この「製造×IT」系はかなり面白いベンチャーが日本でも出てきているんじゃないかと思います。

さっきのピーター・ティールの話じゃないけど、「ジェントリフィケーション」されたエリートは現場の人間なんてただの脳のない手足にすぎないと思っているので、いかに「人を省くか」を考えるんですが、スティーブ・ジョブズもイーロン・マスクも「製造を全部自動化」しようとして失敗して、ジョブズのアップルはもう全部製造は中国にアウトソースすることにし、テスラのイーロン・マスクは「人力を過小評価していた」とか言って方針転換してましたよね。

その「アメリカのエリートが”重さのある現実の壁”に跳ね返されるラストワンマイル」において、日本の「製造×IT」ベンチャーは、「現場の人との共創」みたいなのを自然に考えるタイプが多くて、何度も紹介しているキャディ株式会社なんかはほんと期待してます。

キャディ株式会社はマッキンゼーの最年少パートナーだった30代前半の男性が経営者で、同い年ぐらいでアップルでみんな使ってるAirPodsのバッテリーを作っていたという男性が技術トップなんですが。

詳しくはこの記事なんかを読んでいただくとして、「IT活用において現場側のナマの蓄積をいかに壊さず全体最適を実現するか」みたいなことが考え込まれていて凄い良いです。

こういう「B2B」市場は日本においてかなり「業界内の横の研鑽」みたいなのが強いので、ある程度受け入れられたら一気に導入が進み、そこで磨き込まれたらエムスリーが成功したみたいに海外展開も見えてくるはず。

なにより、キャディ株式会社の人って、「現場で働いている工員」に対して大マジな敬意を持ってる感じがして、それが凄いいいなと思うんですよね。

これはキャディ株式会社の営業の人のnoteなんですけど、なんか本当に町工場の人に対等に懐に入ってやっていこうという「ガッツ」が感じられて凄いいいです。

こういう「場の人間関係」が強固に維持されて、今以上に大きな経済的価値に繋がっていけば、

「日本的な美点を維持するための労働倫理」の中で「女性」がどうイキイキと働けるか

みたいなのも観念論じゃなくて実地の「事例」が増やしていけるので、大上段に「日本」という存在に呪詛の声をぶつけまくっているよりも有意義な「前進」につなげていけるはず。

それに、色んな「集団」にコンサル的に向き合ってきた経験的に言えば、

・日本ならでは的な価値を出せる領域でちゃんとオリジナルな価値を出す

・役所のITみたいな難しい問題で、ちゃんと個別の事情に向き合って問題解決をする(次の記事で書きます)

の両方をちゃんとやれれば、その影響によってこそ、

・普通に考えてマトモな理屈はサクサク通す

ことも可能になるんですよね。

今は「日本社会側の事情」に全然理解がなくて「なんでアメリカみたいにならないの?」的なことしか言わない文化帝国主義者が暴走しまくっているので、なんか公立高校の生徒の髪の色がどーたらみたいな果てしなくしょうもない課題でまで「全部最も保守的」な方向に振って自分たちの美点を守ろうとする本能が暴走してしまっているわけですよね。

「人間存在の半分しか見えていないような狭量なアメリカ的リベラルの独善性」は、社会の半分の人の言うことを徹底的に封殺してしまわないといけなくなっている時点で明らかに「失敗」しているわけですよ。

その状況で「なんでアメリカみたいにできないの?」とか言われても困りますよね。いやいやいや、本当に完全な理想を示してくれてるんなら両手をあげて賛成しますけど!みたいな話なんで。

そこで「相手全否定の罵り合い」は放置しつつ、「人間という存在を全的にちゃんと捉えた」視点から、「分断を起こさないように同じテーブルの上で解決していく」ムーブメントを日本が起こしていければ、それは米中冷戦時代に「片側だけでなく両方の意思を形にできるソリューション」として世界に提示していける道が生まれるでしょう。

私達ならできますよ。敵をワアワア”論破”することしか頭にないビョーキの人たちは無視して、できることを一歩ずつやっていきましょう。

さて、今回記事の無料部分はここまでです。

以下の有料部分では、こないだのスーパーボウル(アメリカの、アメリカンフットボールプロリーグNFLの優勝決定戦の話)の話をしたいんですよ。

これもなんか、「アメリカというパワー」の減衰を感じたというか・・・

僕はここ10年ぐらい、毎年スーパーボウルは必ず見る(最もハマってた時期はシーズン中も結構見ていた)ぐらいにはファン(毎年ブログも書いていた)なんですが、今年はなんかわざわざ日本時間月曜朝の時間帯を空けて頑張って見ていたんですが、途中で興味が続かなくなってやめちゃったんですよね。

なんか、メジャーリーグベースボールの優勝決定戦が「ワールドシリーズ」って言う、「”ワールド”ってオマエ国内だけじゃん」みたいなフカシ入ってる世界観を本気にしているのがアメリカの悪いとこであり良いとこでもあってですね。

アメフトっていうほとんどアメリカでしか人気ではないスポーツの優勝決定戦が、数え方によってはオリンピックやサッカーワールドカップ級の世界最大イベントの一つになっていることが、アメリカの面白さというか。

最初の「国歌斉唱」が終わる瞬間を見越してスタジアムの上を戦闘機がゴオオオオオ!って通り過ぎる演出とかも含めて、スペクタクルが楽しくて、アメフト自体にそれほど興味がなくても楽しめる魅力がある・・・はずだったんですけど。

なんか、「トランプ」的なものを排除してしまって、「勘違いでもアメリカ=世界」的な覇気がなくなっちゃったというか、試合自体は凄い「アメフトファンなら熱くならないわけがない絶好カード」だっただけに逆に「アメリカという国のローカルイベント」的なものになりつつあるのかな・・・みたいなことを感じてしまったんですね。

たとえば「国歌斉唱」にしても、昔のホイットニー・ヒューストンのとかはもう伝説的に凄くて、後続の人たちは「コレ」を目指してとにかく声を張り上げる・・・みたいな伝統があったんですけど。(最後戦闘機が飛んでいくシーンも含めて)

一方でコレが今年・・・エリック・チャーチというカントリーシンガーとジャズミン・サリヴァンというR&Bシンガーが、気だるいジャジーな雰囲気で歌っていて、その歌自体はいいと思うんですけど!

なんか、「こういう歌」にするなら、歌ってる途中に直立不動で戦地の兵士が映される演出とか、曲終わりに戦闘機が飛来する演出とか、それぞれ見直した方がいいんじゃないか・・・みたいなことを思ったりして。

なんかそのあたりチグハグというか、アメリカ人自身が自分たちをどこに持っていっていいかわからない・・・みたいな気分があるように思うんですよ。ホイットニー・ヒューストン的な高圧的な歌い上げは気分じゃないが、で、もっとアットホームにやりたいんだけど、それでもアメリカはアメリカでいられるのか?的な。

今回のスーパーボウルは、「ブレイディからグロンコウスキへのホットラインが復活!」みたいな、「往年のファンのロマン」に溢れたカード自体が、一時期日本の音楽番組が90年代〜00年代前半のJポップのカバーばっかりやっていたような「過去の栄光の食い延ばし」感があって(笑)

なんかそういう話と、あと最近日本の漫画が大好きなアメリカの女性ラッパーがTIKITOKでバズってるって話を聞いたんですが、

その人のこの動画の世界観を見ると結構「日本のアニメ好きなのわかるなあ」って感じで。

なんか、こういうのって「プラスサイズモデル!」的な世界観とも違うんですよね。「プラスサイズモデル」と「渡辺直美さん的世界」って似てるようで結構違うというか。

「アメリカ的に過剰にタフぶることが必要な世界」を降りた先にある、日本のオタクカルチャー的な話とか、そういう話まで広げて語ってみたいと思っています。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。

ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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