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父の戦争

⚫生き延びた父
父はどうにか生き延びて来た。
第二次世界大戦中、陸軍歩兵部隊に配属され軍曹として部隊を指揮していた。日本軍は歴史にあるように、ビルマでは悲惨な目に遭い、イギリス軍に打ちのめされていた。補給もなく、ジャングルを逃げ惑い、餓死と戦死で多くの若者が命を落とした。

ビルマ戦線では終戦を知らずにいた兵士が多くいたらしい。

当初はアジア諸国は西洋による植民地支配下に置かれ、日本の大義はアジア諸国を独立させる事にあったらしい。勿論父の都合も大義もないのだ。

日本軍はビルマをイギリスの植民地支配から脱却させる為に進軍した。最初の内は、日本兵を歓迎する向きもあったが、日本軍が劣勢になるにつれ、日本軍を駆逐するための兵がビルマのあちこちで組織され、日本兵はイギリス軍とビルマ兵の双方から狙われる事となったらしい。

父はどのあたりで戦っていたのだろう。父のすぐ近くの部隊に所属していた兵士の手記によると、マンダレー北部のマダヤ平地近くを行軍していたと推測される。何故なら出身地別に部隊が編成されていたからである。

父の戦友も近隣の町に点在していたのだ。生前戦友が我が家に集い、ビルマの農家に世話になったとや、村に美しい娘さんがいて、父が気を惹かれたなど話していた。

マンダレー周辺には果樹園が多く、父はドリアンやパイナップルなどを手に入れていたらしい。

日本からの補給路を断たれれていた兵士は自ら食料を調達するか、餓死するかの二択だったろう。父の所属する部隊は農家の出身者がほとんどで、どうにかして、食料を調達していたようで、村人と険悪な状況ではなかったようだ。

父は戦争中の事はあまり語りたがらなかった。おそらく思い出したしたくない経験をして来たのだろう。
当たり前だ。

父はどうにかして生きて帰って来て、結婚し、4人の子供をもうけた。

どのような状態で帰って来たのか聞いた事はなかった。捕虜収容所にいたのかも知れない。捕虜に成ったなんて話は聞いた事が無かったのだ。

長男が2〜3歳の頃の町内の祭りの集合写真が残っていた。その時の父の寂しそうで自信なげな顔が忘れられない。あんな寂しそうな父の顔を見た記憶が無いのだ。心に深い傷を負った男に見えた。

⚫戦争特需(朝鮮戦争勃発)
父は先祖が残した田畑や山を売り、工作機械を購入して町工場を起こした。朝鮮戦争のおかげで、父の事業は大繁盛した。アメリカ向の事務用品を作っていたのだ。

横浜の工場から下請けで生産を請け負っていたのだ。そういえば何故父がそんな技術を持っていたのか不思議だったが、恐らく戦前に横浜で働いいたのだろう。母との出会いも横浜だったらしい。
横浜に幾人か親友がいた。父はその事も子供には詳しく話していない。
親なんて日記で記録を残さない限り、子供に人生を語る事はあまりない。人によるだろうがね。

アメリカの工業は軍事物資の生産に忙しく、事務用品ほか生活物資の生産を日本に託したのだった。絹織物も同じくアメリカ向けのスカーフやストッキングの大増産を迫られていた。あれやこれやで(戦争特需)日本は奇跡の復興を遂げたのだ。

戦争を生き延びた元兵士達は高度成長の産業兵士として戦って来た。あの地獄の日々を生き抜いて来た人々がまた兵士となったのだ。

⚫遺骨収集
私の友人のお父さんは毎年沖縄に遺骨収集に行っていた。沖縄前戦の生き残りだった。戦友の9割が命を落としたなか生き延びた男だ。私の世代の親の多くはどうにか戦禍を生き延びた父母から生まれて来た。

⚫広島出身の友人
広島出身の友人は戦後10年たって生まれたが、いつも体調不良を訴えていた。健康な者にとっては怠けているようにしか思えなかった、ある日被爆二世への健康被害についてのニュースで、ブラブラ病なる病気に見舞われることがあると聞いた。

うつ病に似た症状だが、実は被爆による二次被害ということらしい。友人はいつも辛い辛いと不調を訴えていた、気のせいじゃないのと思っていた。私はニュースを聞くまで友人の事を理解できなかった。

ウクライナで懲りもせず人類は同じ過ちを繰り返している。兵士であれ、民間人であれ、皆市民なのだ。

⚫戦争は暗い影を落とす
平気で人殺命令を下すプーチンはヒットラーの再来でしかない。
帝国主義はまだ死んでいないのだ。うっかりするといつでも顔を出す。潜在的に愚かな人類に平和など来るはずはないが、平和を祈らずにはいられない。

旧約聖書のコヘレト書が記された時代から何も変わっていないのだ。
「今起こっていることは、過去にも起っていた。そしてそれは未来にも起こる」

カントが「永遠平和」を書こうが、賢者の声は暴力の騒音に消され続ける。

父は52歳でくも膜下出血で倒れ、55歳で寝たきりになった。67歳で失くなるまで、母が看病した。父は母の事をビックナースと呼んだ。

その母は85歳で永眠。

私は父の亡くなった時の年齢を越え生きている。

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