『地蔵千年、花百年』と『ゲンロン0 観光客の哲学』を読んで

僕にとって読書の魅力とは、世界をこれまでとは違ったものに(違った色や違った文脈に)見る力を与えてくれることにあって、その点において、2017年の前半にこの2冊に出会えたことはとても幸運なことでした。

『地蔵千年、花百年』(柴田翔)
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20170529-OYT8T50021.html

『ゲンロン0 観光客の哲学』(東浩紀)
https://mainichi.jp/articles/20170423/ddm/015/070/027000c

『地蔵千年、花百年』は小説で、『ゲンロン0 観光客の哲学』は哲学書。
物語の力でこそ伝えられる哲学があり、哲学の力でこそ伝えられる物語がある。

産まれて生きて死ぬ人間が、歴史という大きな物語の中で、”いま”・”この”現代を(動物としてではなく)人間として生を全うするために必要なのは文学であり哲学であると僕は思っていて、ついついテクノロジーに目を奪われがちな現代においてはとくにこれら『人文学(humanities)』を積極的に学んでいきたいと思っています。(まだまだこれからだけど、人生の時間をかけてゆっくりと)

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上の2つの作品はどちらも「家族」という概念を重要に扱っていて、それは偶然ではないように思います。

『地蔵千年、花百年』では、主人公の人生を(時系列的にはあちこちと飛び回りつつ)辿りながら、ときに人類史的な視点も含めて様々な「家族」を描きます。

『ゲンロン0 観光客の哲学』では、グローバリズムとナショナリズムの二層構造の時代に、「家族」というアイデンティティを考えることで、それを乗り越えようという試みが提示されます。

どんな時代、どんな文化圏にあっても「家族」は社会において(小さいけれど)要となる集団で、個人にとっても人生をともに過ごす、ときにかなり複雑な関係の集団です。国家だったり、企業だったりを中心に考えがちだった時代から「家族」を捉え直す時代へ。

そんなことを考えさせられ、いまの世界と自分の暮らしを違ったものに見せてくれる読書体験でした。

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