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自分で自分に資格を与える

喉が弱い子供でした。
小学校の2泊3日の修学旅行で、3日目は声がかすれて出ないくらい。

あれって何だったんだろう。ただはしゃぎ過ぎてただけだったのかな。
でも、母に「啓太は喉が弱いからねえ」と言われて、あー自分は喉が弱いんだなあと漠然と思っていました。

なので、高校に入って音楽部(バンド活動をやる、いわゆる軽音楽部)で初めてバンドを組む時、自分で歌う選択をせずギターだけ弾くことを選びました。中学校時代はアコースティックギター片手に、当時流行ってたゆずやら19やらの曲を毎日のように歌っていたのに。
「ステージで歌うのは特別な人だけができること」そんな感覚があった。
遠慮とか謙遜とか不安とかじゃなくて、ごく当たり前に、自分はその立場じゃない、っていう。

大学で映像系の学部に進学してもギターは続けていて、1年生の秋に友人とバンドを組むことになった。
僕も彼もBUMP OF CHICKENが好きで、まずはバンプのコピーをやろうってことになってメンバーを集めて、で、ボーカル誰にする?ってなった時……今となってはどういう経緯だったかあんまり覚えてない、すぐに候補が見つからなくて、いや、そもそもこの人に頼みたいっていう声の人もいなかったのかな。
で、自分で歌うことになった。

初めてのライブでは全然声が出なくて、それからはライブ中もそれ以外も水をがばがば飲んで、龍角散のど飴をばりばり噛んで舐めるようになった。
大学卒業してバンドはやらなくなったあとも、カラオケとか行っても何曲か歌ってると喉しんどくなってくるし、まあ、自分はやっぱりそんなに喉強いわけじゃないなあと思いつつ、今でも自分が楽しんで、周囲から嬉しいリアクションをもらえるくらいには歌えるようになった。

何を言おうとして書き始めたかというと。
バンドで自分が歌うという決断を、いや決断というほどの感覚も当時なかったけど、あの時どうして高校の時みたいに歌わないことを選ばなかったんだろう、と後から振り返ると、
あの時「自分はステージで歌う人間だ」っていう認識に切り替わったというか、自分で自分にステージで歌う資格を与えたというか、そういうことが自分の中で起こっていたんだな、と。

で、そういうことはその後の人生でも定期的に起きていて、
映像制作会社を辞めてフリーランスの助監督になった時も、
はじめてプロの監督として映画を作った時も、
サード助監督からセカンド助監督に昇進して、仕事に慣れなくて苦戦した時も、
何か新しいことに取り組む時、自分で自分を「俺はこれをやる人間だ」って認識できた時、資格を与えられた時に、それを実行することができた。

その感覚はいつも、実力が身につくよりも先にやってくる。
だから何か新しいことに取り組む時、最初の1〜2年はしんどい時期が続くのはいつものこと。
物事のコツを掴んだり、自分の領分がどのくらいかとか、どこまでアレンジしていいか、みたいなことを掴むのに、大体そのくらいかかる。本当はその期間をもっと短くしたいんだけど、まあそのくらいかかる。

今は、脚本の仕事に専念するために助監督の仕事を受けないことに決めてから1年くらい。
まだ慣れないことも多いし、収入は助監督の頃より少ない。
結構焦るし、しんどい。

でも今は「自分は脚本をプロとして書く人間だ」と思っているし、大変に感じるのはいつもの「しんどい期」だなと思っている。
もちろん運とか巡り合わせみたいなものもあるから、絶対大丈夫とかは思ってないけど、チャンスを作るための種蒔きを常に続けて、こういう文章を書いて自分を励ましたりしつつ、頑張っていこうと思う。

自分は20代の頃密かに目標にしていたことがあって、
・30歳で、短編でもいいから監督作を撮る
・35歳で、商業映画の監督をやる。劇場公開する
と思っていた。
で、30歳の時に短編映画『パンクしそうだ』を作って、33歳で『セカイイチオイシイ水〜マロンパティの涙〜』が公開されて、曲がりなりにも、実現できた。

今の目標は。
今一番、自分のやりたいこと、SF要素を活かしてスケールの大きい実写の物語が作れる場所ってどこなんだろうと思うと、Netflix等の配信の、60分×10話くらいの連続ドラマだと思う。
SFサスペンスか、笑って泣けるSFヒューマンドラマを書く。
これが45歳までの目標。

それに向かって、まずは地上波プライムタイムの60分枠ドラマでメインライターをやる。「エターナルサンシャイン」や「her」のように、日常を舞台にしてSF要素を持ち込むドラマを書く。
これが40歳までの目標。あと2年とちょっと。

実現するかどうか分からないけど、自分はそれをやる人間なんだ、と自覚している。
まずは、日々、目の前の石を積む。

がんばります。
がんばろうね。

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