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宮﨑駿監督はいかにして世界に出ていったか?

今回は、『日本のアニメ監督はいかにして世界へ打って出たのか?』(星海社新書/数土直志)について取り上げます。


2021年において、世界の日本アニメ市場は2兆7422億円に達し、日本アニメの影響力は全世界で増しています。

ちなみに2011年の市場規模、2669億円と比較すると、なんと10年間で約10倍に増大したことになります。

この驚くべき成長の背景には、2010年代に全世界で広まった動画配信サービスと、コロナ禍による自宅での消費の増加が影響していると見られています。

こうした外部環境の影響があるものの、日本のアニメ産業は、日本の数ある産業の中でも、世界で競争力を持ちうる分野として特に注目されています。

本書では、世界で評価されている日本のアニメ監督たちに焦点を当て、彼らの作品とその影響について考察。

「彼らのアニメが世界でどのように認知されたのか」
「それが日本や世界にどのような影響を与えたのか」


という視点から詳しく述べられています。

日本のアニメが世界で評価されるきっかけとなったパイオニア、宮﨑駿


日本のアニメが初めて世界的に注目されたのは、「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭でアニメーション映画として初めて金熊賞を受賞した時です。

スタジオジブリ公式サイト 作品静止画 より

(その後、米国アカデミー賞での受賞も話題になりますが、金熊賞がアカデミー賞受賞への大きな布石となったのです)

実は1960年代~70年代から、日本のアニメは世界中で視聴されていましたが、それらを「日本のアニメ」として意識していたのは一部のファンだけでした。

宮﨑駿監督が伝統ある賞を受賞したことで、日本のアニメ監督が海外で認知を挙げるルートが確立。

国内で才能ある監督が、次々に世界に出ていく流れができあがったそうです。

そうした意味においては、彼は日本のアニメ監督の海外評価を築いた先駆者でもあるといいます。

宮﨑駿監督がベルリン国際映画祭でグランプリを受賞できた理由は?


そもそも、宮﨑駿監督とスタジオジブリは長らく、海外展開はあまり積極的ではなかったそうです。

スタジオジブリ公式サイト 作品静止画 より

例えば、当時「風の谷のナウシカ」の米国での配給は、「ニュー・ワールドピクチャーズ」(B級映画専門の配給会社だったそうです)が手掛けましたが、タイトルが「Warriors of the Wind」に変更され、ビジュアルや上映時間も大幅にカットされました。

これらの変更を知った宮﨑駿監督は、激怒したと伝えられています。

※ただし、1980年代においては日本のアニメが米国で配給されることは少なく、配給自体は幸運であった、と筆者は触れてもいます。

オリジナルバージョンの「ナウシカ」が北米でリリースされたのは、2005年のウォルト・ディズニーによる配給でした。

なぜ宮﨑駿監督はベルリン国際映画祭でグランプリを受賞できた?


そもそもなぜ宮﨑駿監督はベルリン国際映画祭でグランプリを受賞できたのか?こうした理由を本書では以下のように考察しています。

■物語とテーマの豊かさ
宮﨑駿監督の作品は、善と悪の明確な対立が存在せず、芸術性とエンターテインメント性を兼ね揃えています。こうした内容は、当時の「アニメは子どもが観るもの」という映画界において画期的でした。

■劇場映画へのこだわり
海外での映画監督の評価は、「まず劇場映画」という風潮があるそうです。

スタジオジブリはテレビシリーズを制作せず、長編映画に特化しており、これが高く評価された理由のひとつだそうです。

■海外の監督、プロデューサー、スタジオとのつながり
宮﨑駿監督は、PIXAR創立者の一人であるジョン・ラセターや、「ウォレスとグルミット」などのクレイアニメで有名なアードマン・アニメーションズとの深い信頼関係を築いていました。

これらの関係が宮﨑駿監督の人気と信頼に大きな力を発揮した、と言われています。

■手書きによるアニメーション
当時、世界的には手描きアニメーションが減少傾向にありました。失われると思われていた技術が、スタジオジブリでは咲き誇っていました。

本書では、以上のポイントがベルリン国際映画祭でグランプリに繋がったと考察しています。

さらなる飛躍のために


さらなる飛躍のためには、海外からの評価されることはもちろん、日本国内の監督や制作スタジオに対する評価を、シッカリ外に発信していくことが重要だと本書では説きます。

世界で存在感を増す日本のアニメ。さらに世界に広げていくためには、我々ファン自身ができることも、きっと多いはずです。

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