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学校は何のためにあるのか?(12)

15歳の壁

「自分の中のもう一人の自分」が「社会の中で生きていく自分」とが折り合えず、「不登校」という現象になると考えていることをお伝えしました。

自分がどこにも存在しない、これが、まさに不登校の子どもの心の中であり、自分の中の二人の自分が折り合えていない状態だと私は思っています。

不登校になるというのは、このことに気がつくことだと、私は思い、学校というものがあるから、このことに気がつくことができるとも思っています。

学校は、もう一人の自分に気がつくところだと、前回、お伝えしてきたのです。

ところが、高校というところはそうはいかないのです。

最近、高校不登校という言葉をよく聞くようになりました。

高校生が学校に行けないことをそう‌言うのですが、高校に対して、学校に通えないのだから、出席認定等の配慮を求めるご家族がいらっしゃいます。

学校に行けなくなった当の本人も辛いと思います。

ご家族のお気持ちはよくわかります。

しかし、高校側に求める配慮というのは、中学校に求める配慮と同じようにはいきません。

ご家族は親権者なので、未成年の行動の責任はあっても、高校は子ども本人の意志と、ご家族の同意があって受験していますから、子ども本人が不登校と向き合う必要があります。

そうは言っても、長い間、不登校の子ども達と共に学んできて、学校に行けないものは、どうやっても行けないことも、十分にわかります。

それが子ども達にどれだけ辛いことかも、30年以上、不登校の子ども達と関わってきて、十分に理解しているつもりです。

高校生の子どもが高校に通えなくなり、しばらくはご家族が代わりに高校とお話したとしても、どこかで子ども本人が、高校側と話さなければならないことは、仕方のないことなのです。

あくまで本人の意志で受験し、入学したのですから、校則が嫌だとか、朝が早いとか、雰囲気が嫌だとかは理由にできないのです。

そんなことは、わかっていたはずだと言われても仕方がありません。

あまりにも理不尽な校則などであれば、嫌だから高校に行きたくないというのでは、ただ、逃げているだけと取られかねません。

その校則はいくらなんでも、理不尽だしおかしいと思うと、主張していかなければなりません。

それが、高校という社会なのです。

嫌だから行きたくない、避けたいというのでは、社会の理不尽なことに耐えられません。

おかしいことを、おかしいと言えるようにしていかなければならないと、私は思っています。

全日制であろうと、定時制であろうと、通信制であろうと、受験するのはあくまで本人の意志であり、受験するにあたり、十分に調べなかった責任は、子ども自身にあると言われても仕方がありません。

なぜなら、あくまで自分自身の意志で受験しているからです。

ただ、高卒資格は欲しいとか、高校には入っておきたいとか、中学には行けなかったから高校には通って学生生活を楽しみたいとか、思うのであれば、その準備をして受験しなければいけないのです。

私はもう現場を離れています。

厳しいことを言うことから、昭和の人間だと言われても仕方がありません。

それでも一向にかまいません。

しかし、どれだけ高校が全入時代を迎えたと言っても、98%以上の子どもが高校に進学するようになったと言っても、高校受験は「本人の意志」で受験しているのです。

形式的なものと言われようと、時代遅れと言われようと、それが、法律で決められたものなのです。

どうしても、それがおかしいというのであれば、法律改正をできるように国に働きかけるか、弾力的な運用をするように国や、地方自治体の教育委員会に働きかけなければなりません。

それもなしに、子どもが高校に通えないから配慮して欲しいと簡単には言えません。

何度も言いますが、子ども本人の意志で受験しているのです。

高校に通うという意志を示し、受験し、合格手続きをして、入学しているのです。

言い訳はできないのです。

最終学歴が、中卒と高卒では印象が明らかに違うのは、高校は自らの意志で受験し、通い、学業を修めたからなのです。

だから、せめて高校くらいは卒業して欲しいという思いは、自分の意志で受験し、通い、卒業までの努力をして欲しいと言っているのと同じなのです。

私は長い間、「15歳の壁」をいかに乗り越えていくのか、ということを、子ども達に話してきました。

これは、中学校で不登校だった子ども達だけではありません。

小学生で不登校になった子ども達と、そのご家族にも必ず伝えてきました。

高校生は、もう大人扱いだと思わなければいけません。

今は、高校3年生で満18歳になれば、選挙権もあります。

もう、大人扱いをされるのです。

高校は自分の意志で行くところだから、受験するために、学校も知り、学力もつけ、本当にその高校を受験するのか、合格したら進学するのかを真剣に考えるように、子ども達に話してきました。

34年間の間に1,000人以上の不登校の子ども達と向き合ってきましたから、そんな簡単な話ではないことも承知の上です。

いろいろ高校のことを調べた結果、合格したい、進学したいと思えたら受験するようにと、関わるすべての中学3年生に伝えてきました。

それが辛ければ通信制高校に進学してもいいし、高卒認定試験を受けて、大学受験しても良いと伝え、一緒に学んできました。

不登校の中学生の子ども達には、辛いけれど、高校を受験するということは、通信制でどれだけ少ない日数でも、高校には通わないといけません。

だから、受験までには高校を見に行き、高校の先生の話を聞き、本当にこの高校に通ってもいいか、自分なりに判断をして、合格できるように勉強もしなければならない、と伝えて一緒に悩み考えてきました。

もちろん、ご家族にも、子どものことを本気で考えて欲しい、子どもが将来、元気で社会で生きていけるために、ご家族にも改めるところは改めて欲しいと、私も本気で話をしてきました。

良いとか悪いとかではありません。

社会に出るためには、社会にあわせなければならないところがあることは、誰にでもわかっていることです。

社会の中で、子ども達がのびのびと生きていけるようにすることが、大人の一番の役割だと思っています。

その役割を担った上で、社会のおかしいところは変えてもいかなければなりません。

子ども達がどれだけ辛い思いをしても、現実のことを伝え、それを受け入れ、耐えられるように、育てなければならないのです。

「どこかで大人が、子どもが嫌がるようなことを言わず、先延ばしにしてきたために、高校で辛い思いをしているように思う。大人は本気で子どもと接していない。いい顔してごまかすなよ。」

と、中学校で不登校で苦しんだ子どもに、面と向かって数年前に詰められたことがありました。

子ども達の方がわかっているのです。

子ども達は、大人が「自分の言葉で、本音を語っていない」と思っています。

そのことを、大人がもっと知って欲しいと思います。

15歳になったら、自分で将来のことも考え始めなければなりません。

15歳の壁にぶち当たるために、辛い現実もどう見せるかを考え、そのために、大人が変わらないといけないと、私は思っています。

15歳の壁を乗り越えていけるように、もう少しだけお手伝いをしていきたいと思っています。


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