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アドレナリン時代からオキシトシン時代へ

アドレナリン時代

人類の歴史を考えると、これまでアドレナリンの時代でした。
戦争やスポーツ、学力テスト、偏差値教育、就職活動、社内昇進、株式上場、資金調達など、日常生活の至るところで競争原理によって突き動かされ、アドレナリンを出して生きてきました。

僕たちは、24時間なにかに追われ、人生は短いと焦らされ効率的な時間の使い方を追求し、お金を稼がなければ食っていけないと労働に人生を捧げてきました。
近代に入り、資本主義という経済システムが発明され、国家の国富を測る指標として貨幣が用いられ、その国富を高めるために経済学が発展してきました。

今までの経済学では、人間は合理利己主義(経済人)だと定義してきました。つまり、誰もが自分の利益を念頭に置き、一体どこにその利益があるかという打算に基づいて意思決定をする人々を前提とした経済学だったのです。

面白いことに、経済学や経営学に触れたことはある人なら一度は聞いたことがあるであろうアダム・スミスは、道徳感情論の中でこのように言っていました。

「優しく寛大な行動は、他者への愛着の感覚から生まれ、困っている人を目にすると、「相互同感」という絆(共感)が生まれる」

人間は道徳を生まれながらにして持っており、他者への共感こそ世の中を豊かにできると提唱したのがアダム・スミスでしたが、時代背景的に金儲け資本主義だったこともあり誤解されていたそうです。

アダムスミスは、利己主義の追求は現に全ての人に有益であると主張しました。『経済は「競争」では繁栄しない』という本では、皇帝ペンギンの例が出ていました。皇帝ペンギンのオスは我が子の卵を温めるために集団で身を寄せ合います。しかし、外縁部にいるペンギンと中心部にいるペンギンでは温度が違います。(もちろん中心の方が居心地がいい)そのため、お互いに外縁部と中心部の場所を交代しながら過ごします。

つまり、各自の利益と全体の利益を一体化し、善循環を生み出しているということです。これは人間でも同じで、一人では生きていけません。他者を幸福にすることが自らの生存に欠かせないのです。だから、人間は道徳的な動物であって、決して合理利己主義ではないのです。

オキシトシン時代の到来

アドレナリンが交感神経を刺激して攻撃的になるのに対して、オキシトシンは、副交感神経を刺激して他者に共感し信頼を育みます。
経済成長を一番に考え、物質的な豊かさを求める社会だった20世紀までの時代は、競争原理主義でインセンティブを与えて仕事をして、ステータス消費を促していくことで、幸福になろうと目指してきました。

しかし、その弊害として、自然破壊が進んだことで自然災害が増え、災害によって一次産業が衰退し、経済格差が広がり、資源を求めて争いの火種が増加しています。

いよいよ、アドレナリンを分泌することで急成長を果たしてきた人類文明が行き詰まりはじめました。
これからは、共感や信頼をベースとしたオキシトシン時代への転換が必要になってくると思います。


よくゆとり世代は、「欲がない」「活力がない」と揶揄されますが、これは第二次世界大戦や高度経済成長、バブル時代などを通して前世代が過度のアドレナリン世代だったのに対して、物質的に満たされた時代に生まれ、足るを知ることを覚えたオキシトシン世代の違いではないでしょうか。
どちらが良い悪いという話ではなく、興奮的で刺激が強い方が幸せを感じる幸福観の人と心が穏やかで共感しあう方が幸せを感じる幸福観の人がいるという違いの話です。

オキシトシン分泌を増やすには

では、どうやってオキシトシンの分泌を増やせばいいのでしょうか。

オキシトシンは、1日8回ハグをすれば今よりもっと幸せを感じるそうです。オキシトシンは、ハグした二人共に分泌されて行くのでハグが優しさの好循環を生み出します。
また、複数人でダンスをすることもオキシトシンを分泌させるそうです。

現代的ですが、好きな人とSNSでチャットをするだけでもオキシトシンは分泌されます。もちろん、優しい心配りや親切はした人にもされた人にもオキシトシンを分泌し、他人に思いやりのある行動を促します。
つまり、与える(ギフト)ことによってオキシトシンが分泌されて嬉しくなります。例えば、電車で席を譲って、「ありがとう」と言われたことで嬉しくなる時はまさに、与えたことによる幸福感です。(自己超越欲求と言います)

昔からの「自分がやってほしいことを他人にしなさい」という教えは正しいということです。

共感と信頼に基づく経済

僕が提唱する感謝経済は、より人間らしい「他者への共感」「他者との信頼」によってオキシトシンが分泌される経済です。

何を持って幸せと言うのかは人それぞれですが、僕にとっての幸せは、"共感"と"信頼"が満たされた状態です。 

共通の話題で盛り上がれる人とは、めちゃくちゃ盛り上がって話合えますし、そう言う人とは時間など関係なく信頼関係が育まれます。
信頼関係は、人と人が強い絆で結ばれ互いを思いあえる関係性です。

そして、インタネットによってこの共感と信頼関係の範囲は拡大しています。この共感と信頼は、人それぞれ太さが異なり、一概には判断できません。 

感謝経済は、社会関係資本(知識資本、関係資本、信頼資本、評判資本、文化資本、自然資本、信用資本など)で形成されています。
感謝経済では、個人それぞれの価値観や世界観で関係性が築かれ、信頼を高め合い、互いの「ありがとう」で共通価値観の人たちがつながり合うことでコミュニティが生まれ、それが文化となっていきます。
その文化段階で、このコミュニティが自分のアイデンティティ化し、自分の身体の一部となります。
そのコミュニティーが無くなることは、家族の死を意味するぐらい悲しくなるのです。 

このような共感をベースとした感謝経済では、より多様な指標で互いを認め合い、価値を創出し交換し合う経済が生まれるのではないかと思います。
何より、愛と共感と信頼から生まれる感謝によって人間が人間らしく人生を歩んでいけるのではないかと思います。

全ては「空」である

感謝経済もベストな答えではなくベターな答えです。その理由は、我々人間が認知できるパラメーターが少なすぎるからです。

この地球、宇宙含め放出されているエネルギーは膨大であり、全て何かで埋め尽くされています。しかし我々はそれを感じられません。
その少ないパラメーターでしか価値判断できないので、感謝経済も究極解ではなく、単なる仮説に過ぎないわけです。
しかし、その仮説に過ぎないから、諦めるというのは僕がこの世に生きている意味がないと感じており、感謝経済という仮説を深め発酵させ、人類が他の生命体と調和する世界を実現させることが僕が生まれてきた意味だと感じているからこそ、感謝経済が仮説であろうと追求している理由です。

この世に究極解は存在しません。

ここ数百年の資本主義の流れは、西洋的な価値観が深く影響を及ぼされてきました。具体的にいうと、存在するものに価値を認め、解は一つしか存在しないということです。

東洋思想とは真逆の発想です。東洋は、全ては"空"から生まれており、"無"が全ての始まりであり価値なのです。そして、解は複数存在し、その全てが正しいのです。

 

近代科学から量子力学へと動いており、量子という"空"の概念が西洋にも浸透してきました。

そして、多様な価値観や宗教観、哲学が存在していますが、20世紀まではそれを認めず殺し合いによって解決しようとしましたができませんでした。その名残が21世紀初期の今、テロリズムという怪物を生み出しました。

 

多様な価値観を認め合い、尊敬し合うためには、西洋と東洋の思想が溶け合い絡み合うことが重要なのではないかと思っています。

 

話が逸れましたが、「何が正しく、何が間違いなのか」というアプローチではなく、全て正しく、これからの社会は、アドレナリン的価値観もオキシトシン的価値観も存在し共感しあえるコミュニティが無数に構成され、そのコミュニティに複数所属することができる時代が到来するを醸して行きます。


参考文献


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