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私のプロフィール③トランペットとの出会い。

さて中学生編です。
中学生編はトランペットと吹奏楽との出会い、伴奏に燃えた3年間の二本立てでお送りします(笑)
今回はトランペット編。

今日のラインナップ
・出会いは突然に・・・トランペットに一目惚れ
・三顧の礼もビックリ。とにかく毎日拝み倒し
・最初は音が出なかった
・不自由だからこその喜び


出会いは突然に・・・トランペットに一目惚れ。

最初に出会ったのは小学校の時でした。
くるみ割り人形に出てくる兵隊のような素敵な衣装を着て、運動会で先導を切って更新する上級生たち。
キラキラ光る楽器を吹いて楽しそうにしている先輩たちを見て、「絶対金管バンドに入るんだ!」と決意をした4年生の春。
目立つのが大好きな私は、絶対にトランペットをやりたいと思って学校の金管バンドに入りました。
花形楽器であるトランペットに入れるのは3人。
気合を入れてじゃんけんをするも、管楽器群には全く縁がなく、打楽器に。
そこで顧問の先生にひとこと告げられます。

「岩田さんは身体も大きいから(当時からぽっちゃり系で、しかも背も高かった)大太鼓ね!」

ピアノをスラスラと弾き、楽譜も読める、自分にできないことはない!と思っていた自信満々な小学生が、身体的理由で大太鼓
それはもうショッキングな出来事でした。
まさか自分が音程のない楽器を演奏するなんて。しかも大太鼓なんてずっと4分音符じゃん・・・!と落ち込んだことはいまだにとてもよく覚えています。
しかも楽器の変更は3年間できません。
泣きました。大太鼓が嫌で嫌で。
でもスパルタな先生はそれを許しませんでした。
ただし、打楽器の中では1年毎に楽器をチェンジしてもいいというシステムがあり、その日私は決意しました。
「絶対来年小太鼓になるんだ・・・!」
そう心に決めました。

1年間、重たい大太鼓を背負ってドンドコドンドコ叩き続け、5年生の時には小太鼓にチェンジ。
しかし私のこの先の人生においてこの3年間がどれだけ重要だったか。
打楽器の重要性や、楽しさをこの3年間で知ってしまったのです。

そして中学に入学。
当初は野球好きだったのでソフトボール部に入るつもりでした。
トランペットになれなかったし、もう音楽じゃなくてもいいかなって。
そう思っていたはずでした。
しかし、久しぶりに会った、最初の小学校での仲間と部活巡りをしていると、その友人が「私、吹奏楽部に入るけど、恵子ちゃんどうする?」と言ったのです。
その一言が決め手でした。
「うん、吹奏楽入ってみるわ〜。走るの嫌いだから運動部はやめとく」

かくして私は吹奏楽部に入りました。
吹奏楽部に入ったからには、もう心はひとつ。

トランペットをやるしかない・・・!


三顧の礼もビックリ。とにかく毎日拝み倒し。

吹奏楽部に入ったからにはトランペットしか考えられない。
そう思った私は、当時顧問をしていらしたI先生という社会科の先生に、それから楽器を決定するまでの間、毎日お願いしに行きました。
「先生、トランペットにしてください」
社会科の教科委員にまでなり、御用聞きのたびにひたすらにトランペットをやりたいことをアピール。
楽器の希望調査もトランペット以外書かなかったぐらい熱望しました。
だって、あれが自分の天職だと思ったのです。

歯並びや、色んなことも調べられました。
性格とかもあるんでしょうね。
楽器発表の日は祈るような気分で聞きました。
名前が呼ばれた時、どれだけ嬉しかったか。
歯並びも悪かったので、本当にドキドキしましたが、毎日拝み倒した甲斐があったというものでした(笑)
I先生ありがとうございます。おかげさまでいまだにトランペットを吹いています。


最初は音が出なかった。

さあ、晴れてトランペットに決まり、先輩が色々と指導をしてくれることになりました。
最初に言われたのは、「マウスピースでスーッと息を流して音を出せるようにしてみて」ということ。
これがまあ、出ない(笑)
一緒にトランペットに入った他の2人は3日もすれば音をプープー出していたのに、自分はいつまで経ってもスースーしていて、全く音が出なかった。
1週間ぐらい、息を入れるだけをやっていて、やっと出た時は嬉しかったなあ。

不自由だからこその喜び。

やっとの思いで音が出てからは順調かというとそうでもなかった。
楽譜は誰よりも読める。
でも、指は思ったとおりに動かないし、
そもそも「ド」が「シ♭」って何だよ!B♭管なんて初めてだからわかんないよ!
とか、
高い音が全然出ないよ!思いっきり吹いたら苦しいよ!
とか(笑)
ここでは例外にならず、とにかく楽器に悪戦苦闘しました。
リップスラーが苦手とか、
指がうまく動かないとか、
高い音が出ないとか、
すぐバテちゃうとか、

「音楽」という土俵の上では誰よりも積み重ねてきたものはあったけど、

「トランペット」という土俵の上ではみんなと同じラインに立っていて、

本当に人並みに「できない不自由さ」を経験してきました。
そして同時に、

「できることへの喜び」
を同時に感じていました。
できないことをできるようにするって、楽しい。

そして何より、「自分以外の人と一緒に作る音楽」というものに喜びだったり、感動だったり、色んな感情も経験しました。

厳しい練習も、今となってはいい思い出だけど、当時やっていた「全体基礎」っていうのがまた大変でね〜(笑)
30分ぐらいつま先立ちでロングトーンからタンギング、リップスラー、アルペジオ、ハーモニーまで全部やるので本当に鍛えられましたね。
冬場は何故か体力づくりで腹筋、腕立て、足上げとかがあったり。
やんちゃして部活動禁止になったり←

楽器を初めて落とすってのもやりましたね(笑)
落とすとどうなるかっていうのもわかりましたし、当時は金管楽器用のスワブがなくて、ガーゼを棒に巻いてマウスパイプをきれいにしようと思ったら詰まって出なくなって半泣きで楽器屋さんに持って行ったり、楽器分解して遊んだり、マウスピースが抜けなくなったり、まあ本当に一通り全部経験しました(笑)

でも、トランペットを嫌いになったことは一度もなかった。
だって、できないことがたくさんあるんですもの。
自分が初めて自分で選んだ楽器になったから、できないことも楽しかったし、できることはもっと楽しかった。


中学生編はまだ続きます。
次回は「伴奏に目覚める」編。

トランペット奏者、作編曲家の岩田恵子と申します。 お仕事の話やトランペットの奏法などについて色々と発信していきます♬