【試し読み】働くならこれだけは知っとけ! 労働法
過労死や過労自殺、内定取り消しなど、会社員に関する悲しいニュースがたびたび報道されますが、働くうえで労働法に関する知識がないと大きな損をすることがあります。
本書『働くならこれだけは知っとけ!労働法』では、一般の労働者や経営者が最低限知っておくべき労働法の内容について解説しています。特に、これから就職活動を始める方、入社を控えている方、20代の会社員にとっては必読の内容となっています。
「法律とは何か」「労働法がなぜ必要になるのか」からはじまり、現実の労働の場面で起きるたいていの問題に対処可能になるような実用的な内容となっています。また、『気楽に、面白く読める』よう、具体例を引いたなるべくわかりやすい解説と、関係するような余談やコラムも掲載しています。
このnoteでは、第1章「えっ、労働法ってなに?」の一部を特別に公開します。ぜひご一読ください。
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第1章 えっ、労働法ってなに?
労働法はなぜ必要か?
まずは「労働法というものがどうして必要なのか」、裏を返せば「仮に労働法が存在しなければどうなるのか」から、議論を始めたいと思います。
ここで労働法とは、労働者と使用者の権利や義務、労使関係等を規律する法律の総称で、労働基準法や労働組合法などが含まれますが、「労働法とは何か」については追って詳しく説明します。皆さんが「労働法」と聞いてイメージする「労働時間や最低賃金などを定めるルール」という理解で特に問題ありません。それを基に考えていきましょう。
さて今、あるスーパーで大根を1本128円で売っているとします。季節などにもよりますが、これはそこそこ安い値段です。皆さん買いますか、買いませんか? 考えてみてください。
「大根を使う人は安いから買う」「日常生活で自分で大根を使わない人は安くても買わない」と考えたのではないでしょうか。128円はそこそこ安いですが、だからといって買わなければならないわけではありません。買うも買わないも自由です。
では、別の日にそのスーパーで、なぜか大根を 1本 2980円で売っていたとします。特に何かがあったわけではなく、他の店では普通に148円とか188円とかで売っています。この2980円の大根を皆さん買いますか、買いませんか? 考えてみてください。
いかがでしょうか。ほとんどの方は「買うわけない」と思ったことでしょう。あるいは「何か特別な大根だったら買う」という方もいらっしゃったかもしれません。
つまり、大根1本128円であろうが2980円であろうが、買わなければならないわけでも買ってはいけないわけでもない。「必要であれば買う」「いらなければ買わない」、それだけです。自分にとってその値段の価値がありその値段を払う余裕があれば買う、その大根を買うかどうかはお金を払う側が自由に決める、ということです。
そしてこれは売る側にとっても同じです。売り手(今回の例ではスーパー)は、大根1本の値段を128円にしようが188円にしようが、はたまた
10円にしようが19800円にしようが、まったく自由です。安くし過ぎると売れば売るほど赤字になる(損をする)でしょうし、高すぎれば誰も買ってくれない、それだけです。売る側としてはそういったことを考えながら、通常は「なるべく利益が最大になる(赤字にならず、多くの人に買ってもらえる)値段」をつけるわけですが、これも別に「そうしなければならない」わけではありません。完全に自由です。
これこそが「自由市場」のルールです。
この点に少し立ち入ると、ちょっと大上段に構えるようですが、日本は「資本主義社会・自由市場主義社会」です。基本的に物やサービスは市場を通じて取引される。つまりある物が欲しい人は、それにつけられた値札の金額を払って売り手からそれを購入するということです。いくらの値段をつけるか、そもそも売るのか否か、また買うか買わないかは完全に当事者の自由ですし、別に「値段を下げてくれれば買う」といった交渉するのも自由です。日本ではそんな交渉が店頭で行われることは稀ですが、ネットで個人間の取引を行うメルカリなどでは金額の交渉は日常茶飯事です。重要なのは、「買うことや売ることを強制されることはないし、値段の規制もない」ということです。
では次に、皆さんがある会社で働く会社員(つまりその会社に雇用されている労働者)であるとします。ここからは「もし労働法がなければどうなるか」を考えてみましょう。「労働法がなければ」というのは、労働の世界がここまでに見たような自由市場のルールで規律されるならということです。まだ駆け出しの平社員を想像してください。
ある日、あなたは社長に呼ばれました。「やあ、がんばってるかい? ところで君には毎週、我が家の庭の掃除をお願いするよ。社長の私が言うんだから、しっかりよろしく。その分の給料? あるわけないでしょ、そんなの」。
さあ皆さん、どうしますか?
そんなただ働きは嫌だ! もちろん断りたい…。ですが断るとどうなるか? 社長はこう言います。「へえ、断るんだ。じゃあ君は今この瞬間にクビだ。荷物をまとめて出て行ってくれ」。あなたが抗議しても、社長はこう答えるでしょう。「君の給料を出すのは私だ。私には大根を買わない自由があるように、君を雇用しない自由があるんだよ。ではさよなら」。
別の場面。あなたが会社員として働いていると、社長がある日全社員を集めて演説しました。「みんな知ってのとおり、我が社の経営環境は大変厳しい。それは我が社の製品に価格競争力がない(=似たような製品を扱う他社と比べて価格が安いわけではない)からだ。そこで、人件費を削ることで、最終製品の価格を下げることにした。君たちは毎日長時間の残業をし、また休日などなく働いてくれたまえ。残業手当や休日手当? 払うわけないでしょ、人件費を削るためなんだから」。
給料は上がらないのに1日当たりの労働時間が増え、かつ休日もなくなる。あなたにとってメリットは皆無です。だからもちろん断りたい。ですが断るとどうなるか? 社長はこう言います。「へえ、断るんだ。じゃあ君は今この瞬間にクビだ。荷物をまとめて出て行ってくれ。君の給料を出すのは私だ。私には大根を買わない自由があるように、君を雇用しない自由があるんだよ。ではさよなら」。先ほどと同じセリフですね。
こういう扱いに耐えかねて、「そんな会社は辞めて転職する」という手もあります。ですが転職するとどうなるか? 転職先の社長は、同じようにあなたにとってメリットのない(社長だけしか得をしない)指示をして、あなたが断るとこういうでしょう。「へえ、断るんだ。じゃあ君は今この瞬間にクビだ。荷物をまとめて…(以下同じなので省略)」。
いずれもひどい話です。いずれもひどい社長だし、あなたの人権は完全にないがしろにされています。ですが労働法がない世界では実際にこのようなことがあり得るということです。社長がひどいと労働基準監督署に訴えますか? 裁判を起こしますか? 同僚たちと一緒にストライキに打って出ますか? いずれも何の意味もない、というか監督署は存在しないし、ストライキをすれば「営業妨害」として罰を受けるのはストライキをした側でしょう、だって「労働法自体がない」んだから。
なお、ここまでのやりとりはかなり単純化したものです。仮に労働法がなくても、あなたが「唯一無二のスキル」を持っており、会社にしてみれば喉から手が出るほど欲しい人材なのであれば、会社は(社長は)あなたに無理難題をふっかけることなく、あなたを搾取しようとも思わず、よい労働条件を示して高給を払うでしょう。また、もし「労働者側の超売り手市場」つまり労働者の絶対数が足りず、何が何でも一定数の労働者を確保する必要があるような場合には、労働者は全体として大事にされるでしょう。
ですがそういった条件が成り立たない限りは、労働法がない世界ではここまでに見てきたようなことが実際に起こり得ます。なぜなら「労働者よりも使用者(会社、社長)の方が立場が強い」からです。
なぜか? それは「あなたにとって自分の代わりはいないが(←当たり前です)、多くの労働者を雇う使用者にとってあなたの代わりはいくらでもいる」「使用者が新しい労働者を雇うのは、労働者が新しい使用者に雇用されるより容易である」ことが多いからです。あなたがクビになるかどうかはあなたにとっては本当に死活問題ですが、使用者側にとってはほとんどの場合あなたをクビにしようが新しい人を雇えばいいだけなので痛くもかゆくもない、ということです(逆にいえば、先ほど述べたような「あなたが唯一無二のスキルを持っている」「人手不足で労働者を新たに雇うのが難しい」といった「新たな労働者を単に雇えばよい」というのが難しい場面であれば、「労働者よりも使用者の方が立場が強い」とはいえないというわけです)。
さらに付け加えると、労働者であるあなたの生活・運命はほぼ会社(使用者)次第で決まります。この点が、たとえば他人に発注を受ける自営業者との違いです。自営業者はある会社と関係がこじれても他の会社からの発注に切り替えられることが多いですが、労働者はほとんどの場合そうではない。労働者が属する会社(使用者)だけが、労働者の生殺与奪を完全に握っているのです。
大根を売ったり買ったりする場面では、大根をいくらで売ろうとも、またそれを誰が買おうとも(買わないのも)自由でしたし、売れ残りが生じたところでそれほど大きな問題はない。ですがこれと同じ自由市場のルールを使用者と労働者に当てはめてみると、たいていの場合は労働者側に一方的に不利な結果となってしまう。使用者が「お金を払わない(買わない)」と言ったり、値切ったり(賃金を引き下げたり)すると、労働者という「人間」の暮らし・人生に直接響いてくる。「1本の大根が売れ残りました」という場面と「1人の労働者が急にクビになったので、その家族が飢えています」という場面で問題の大きさ(あるいは問題点それ自体)が異なるのは明らかです。
立場の弱い、かつ1人の人間である労働者が不当な扱いを受けるという事態は社会正義に反しますし、社会の多数を占める労働者が一部の使用者に搾取されているという状況は持続可能な社会の在り方でもないので、労働者と使用者の立場をより対等なものとすべく、労働法というものをつくったのです。それにより最低限の労働基準や必要な手続き(労働者に労働条件を書面で示すこと等)、また労働組合の行動などのルールが規律されています。
労働法が必要な理由を簡単に述べてきましたが、実は「労使の立場をできる限り対等なものにする」ということだけが労働法の存在理由ではありません(理由の大部分ではありますが)。労使が対等になるだけでは、たとえば「女性は出産するかもしれない、結婚して夫の転勤についていくことになるかもしれないから、女性を採用するのはやめよう」といった使用者の女性差別(男性労働者を比較的優遇し、女性労働者を比較的不利に扱うこと)を防ぐことはできません。また、失業者(労働者でなくなった方々など)が労働法の枠外に置かれてしまえば、社会として彼らに職業訓練を行う機会が少なくなり、結果として彼ら彼女らの労働力を誰も活用できないことになって社会全体としても損をするでしょう。こういった場面でも人々の権利が守られ、またよりよい社会となるように、労働法の出番があるのです。
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(続きは本書にて…。)
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