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フェミニズムをめぐる「生きた現実」に鋭く迫る。『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論』


コロナ禍で女性の貧困がますます社会問題化しているなか、いま再びマルクス主義×フェミニズムという観点が注目されています。たとえば、アルッザ他著『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)が資本主義批判のフェミニズム本として話題になっています。弊社では、このような議論をさらに発展させ、資本主義/男性支配の中の女性差別と性暴力について論じた書籍『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論――搾取と暴力に抗うために』を刊行しました。

今回、冒頭部分となる「序文」を一部公開します。マルクス主義とフェミニズムの関係や、この本の問題意識が書かれていますので、ぜひご一読ください。

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序文

 1968年を頂点とする世界的な動乱と急進的運動の高揚の中で、1970~80年代半ばにマルクス主義とフェミニズムとの関係をめぐって、あるいは資本主義と家父長制、労働とセクシュアリティ、労働の搾取と性の搾取との関係をめぐって、欧米でも日本でも華々しい議論が展開された。しかし、こうした急進的運動がしだいに衰退していくと、このような大掛かりな変革志向の議論は急速に影を潜め、1980年代後半以降、ポストモダニズムのヘゲモニーのもと、ミクロポリティクス、言説理論や脱構築論、政治哲学的な規範理論、などが知的議論の場を支配するようになった。変革よりも解釈が、実践よりも言説が、現実よりも規範が重視されるようになった。

 しかし、過度に抽象的で過度に難解な言葉の羅列が躍る知的雰囲気のこの20~30年間を経て、しだいにもっと地に足のついた、生きた現実にもっと鋭く肉薄し、社会的に支配的な構造全体にもっと正面から挑戦するような実践的知性に対する要求が、アカデミズムの中でも、市井の人々のあいだでも、しだいに高まってきている。世界的な#MeToo 運動はそうした流れを後押しするものであったし、またそれ以前から日本や世界各地で起こっている女性たちの自主的な闘争の数々もそうした社会的雰囲気をつくり出してきた。

 本書はそうした知的欲求に応えようとするものであり、一貫して社会変革のために執筆され、編集されている。それは、社会的再生産と支配の構造から始まって、憲法解釈と正当化イデオロギーの批判を経て、ポルノグラフィと売買春の現実の暴露に至るまで、資本主義と男性支配という現代の二つの支配的な社会システムを多面的かつ批判的に把握しようとする。

 マルクス主義とフェミニズムとの関係、あるいは資本主義と女性の従属の解釈をめぐっては、主に次の三つのパターンが存在する。一つ目は、男性の支配と女性の従属を生み出している独自の社会構造を「家父長制」という制度概念でとらえたうえで、それが資本主義と時に肯定的な時に否定的な関係にあるとする立場(一般に「二元論」と呼ばれるもの)、二つ目は、男性の支配と女性の従属を生み出している構造を同じく「家父長制」ととらえた上で、この家父長制が資本主義と一体であるとみなすもの(一般に「統一論」と呼ばれるもの)、三つ目は、男性支配の独自性が無視されて、資本主義それ自体が女性の従属を直接生み出しており、したがって女性の解放を資本主義の廃絶に直結させるもの、である。この三つ目は、かつては「社会主義婦人解放論」といささか揶揄的に呼ばれていたが、最近では、世界二五ヵ国以上で翻訳された『99%のためのフェミニズム宣言』(以下、『宣言』と略記)が事実上、そうした立場を取っている。ちょうどこの序文の執筆を始める直前に、この日本語版が出版されたので、序文の前半では、同書に対する批判を通じて、マルクス主義とフェミニズムとの関係をめぐる導入的議論を行なっておきたい。

 1970年代と80年代前半に華々しい論争が闘わされたのは一つ目の二元論と二つ目の統一論とのあいだであった。その決着がつく前に、新自由主義とポストモダニズムの大波がやって来て、そのすべてを押し流してしまった。そして、マルクス主義フェミニズムがすっかり衰退した後に、21世紀に入って再びマルクス主義フェミニズムが復活し始めた。それが本書の第一章で取り上げる社会的再生産理論にもとづく反資本主義的フェミニズムであった。このフェミニズムは、いわゆる第三波フェミニズムやポストモダン系の諸「フェミニズム」のような、精緻で高級なインテリ向けの知的玩具と違って、現実の構造変革を志している点で評価しうる。しかし、1970~80年代にあれほどマルクス主義陣営のフェミニストたちを熱くさせていた、マルクス主義に還元されないフェミニズムの固有の問題、資本主義に還元されない女性抑圧の固有の構造は事実上、忘却されている。

 『99%のためのフェミニズム宣言』は、男女平等を唱える女性CEOの「企業フェミニズム」に対してはあらゆる批判と侮蔑を惜しまないが、女性をレイプしたり殴ったり売買したりする労働者階級や有色の男たちに対しては同情的で、資本主義の犠牲者たる彼らの不幸に心を寄せ、彼らを監獄に入れるのはその妻に負担をかけるだけだとして反対し、彼らの犯罪を取り締まるのではなく、資本主義のあらゆる暴力の廃絶とその打倒に向けて努力すべきだと主張する。だがそのような理屈は、結局、そうした暴力から最も守られている一部の(1%の?)特権的な地位を、したがって(皮肉なことに)最も資本主義に親和的な人々を前提にしている。このようなフェミニズムは、いま実際に殴られレイプされ殺され売り買いされている女性たちにとって、いったい何の福音になるのか?

 新自由主義の実践的バックラッシュとポストモダニズムの理論的バックラッシュの30~40年間は、結局、マルクス主義的な意味でもフェミニズムのラディカル性を大きく後退させたと言うほかない。『宣言』は反資本主義や反人種差別の強調は階級や人種の軸に沿ってはラディカルであるが、階層化された性別集団としての「ジェンダー」(このきわめて多義的な言葉については、その都度、意味の明確化が必要だ)の軸に沿っては結局はリベラルでしかない。

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本書の目次


序文

第Ⅰ部 再生産、平等、性暴力

  第一章 マルクス主義フェミニズムと社会的再生産理論
  第二章 日本国憲法と平等権
      ――フェミニズムから読み解く戦後平等権論争
  第三章 戦時の性暴力、平時の性暴力
      ――「女性に対する暴力」の二〇世紀

第Ⅱ部 売買春、ポルノ、セックスワーク論

  第四章 売買春とセックスワーク論
      ――新しいアボリショニズムをめざして
  第五章 ポルノ被害と新しい法的戦略の可能性
  第六章 マルクス主義と売買春
      ――セックスワーク論はなぜ間違いか

【著者略歴】
森田 成也(もりた せいや)
1965年生まれ。大学非常勤講師。ポルノ・買春問題研究会メンバー。著作に『資本主義と性差別』(青木書店)、『資本と剰余価値の理論』(作品社)、『家事労働とマルクス剰余価値論』(桜井書店)、『マルクス剰余価値論形成史』(社会評論社)、『「資本論」とロシア革命』『トロツキーと永続革命の政治学』(以上、柘植書房新社)他。訳書に、マルクス『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』『資本論第一部草稿──直接的生産過程の諸結果』、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(以上、光文社古典新訳文庫)、キャサリン・マッキノン『女の生、男の法』上下(岩波書店、共訳)、デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』『〈資本論〉入門』『反乱する都市』『〈資本論〉第2巻・第3巻入門』(以上、作品社、共訳)他多数。

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