つくねは塊じゃない方が良い
塊であって欲しい食べ物は存在する。
おにぎりとか、ハンバーグとか。
ただ、それらは固定観念から生まれた“握られたもの”だからかもしれない。本当に塊なのか、と。
形をなんとか保っている、溶けかけの雪だるまみたいな料理が、美の評価を得ている気がする(ほろっ、という食感に大衆はたまげる)。
握っているとは言えないおにぎりに良く出会うようになった。おにぎり型に具材をサンドするのようにお米を詰めて、握力0レベル(手は添えるだけ。「左手は添えるだけ」ばりに安西先生の教えが効く)で三角形を作る(もはや握らず)。
なんとか包んだ海苔で形を保っているのだが、実際食べるとお米のふわふわがダイレクトに口内に収まり、無重力の米を感じる(かき氷のふわふわ時代に似た時代の波を感じた)。米は確かに粒が立ち、炊き立てを感じるのだが、僕は握られたおにぎりを食べたい。具材もいらない、塩むすびと塩昆布を混ぜ込んだおにぎりが好き。
同僚と居酒屋に行った時、自慢のつくねが出てきた。
もう握られていなかった。
ぐでたまみたいに皿に寝そべったつくねは、僕が知っているつくねではなく、ギリギリのハンバーグ型をキープ。
箸を入れるとほろ、とろ。
半熟のような柔らかさは、絹ごし豆腐のようだった。
つくねは塊じゃない方が良い。
迷わず塊じゃないつくねを肯定した。世界が変わる驚きの食感に腰が抜けた。
塊は難しいなぁ(ハンバーグは塊が好き)
美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。
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