Blog_アイキャッチ_from_PC

会社はだれのものか。取締役と執行役員の違いから考える。

会社の監督と執行を明確に分けるべきか。

これはある意味サラリーマンであれば誰しも考えることであり、それぞれ異なる意見をもっているテーマといえる。

そんなテーマについて、最近会社で取締役と執行役員を明確に分けるかどうかという議論をすることがあったので、難しい説明は一切抜きにして少し考えをシェアしたい。

■最近の日米の企業経営に関するトレンド

最近のトレンドとして日本でも会社の監督と経営の執行を分けるべきであるというトレンドが強い。例えば最近のアクティビストによる日本企業への改革要求は対応をせざるを得ない状況ではあるし、ガバナンスコードなどもホットなトピックとしてよく議論されている。

日本は今でも大半の企業ではそうだが新卒で入った会社で勤め上げ役員、取締役となり社長のポストを継ぐような伝統的なスタイルがある。一部の先進的な大企業を除いて今でもこのスタイルは脈々と踏襲されていて、取締役は新卒で入社した人が大半で一部の社外取締役を置いていたとしても、大半が大学教授だったりごちゃごちゃ言わない人を形式的に入れている場合がほとんどといえる。

そういった状況を変えるために最近では監督と執行を分ける動きがあって、例えば村上ファンドのアクティビズムだったりライブドア事件のようなことが起きて、日本的な経営にメスが入るようなニュースにつながる。村上さんの「生涯投資家」という本を読んでいただければ決して悪い人たちということではなく、「会社は株主のためである」ということを純粋に実行しようとしているにすぎない。

彼らの主張では経営者こそが会社を私物化してゆがめており、資本家や金融機関からあつめたお金でちゃんとリターンを生む活動をするように外圧を加える役割を自負している。

—— 〻 ——

それでは資本主義(Capitalism)を地で行くアメリカではどうかというと、今後は逆の動きで資本主義のほころびとして一部の人間への富の集中が問題となったり、ESG投資など株主だけではなく様々なステークホルダーを重視する姿勢を求めるトレンドがある。

過度な株主利益の追求が本当に良いのかという議論があり、どちらかというともっと株主利益を重視させようとしている日本の動きとは逆の動きが起きている。日本が従来やってきた社会貢献だったり、社員を守るような考えを取り入れるべきではないかという議論が生じている。

—— 〻 ——
このように株主と会社の経営の在り方は時代によって常に変わっているので正解があるわけではないが、突き詰めて考えると「会社はだれのものか」という永遠のテーマについて時代のトレンドや社会環境によってドンドン変わっているというのが実態だと思われる。

教科書的には会社は株主のものと一言で片づけても良いかもしれないが、社会的な存在として広く様々な利害関係者(ステークホルダー)と接している。例えば社員を大切にということを誰も反対はしないだろうが、社員ファーストなのか、利益ファーストでそれを生む出す社員を大切にするのか、など優先順位付けには会社によって違うし、経営理念などの個性が生まれるポイントでもある。

■カブシキカイシャのしくみ

株式会社の仕組みを簡単に振り返ってみたい。株式会社は株主がやることは取締役の任命だ。取締役を例えば5人決めて会社の執行を託すことが最初にやることとなる。次にその取締役の中で代表者を決める場合が多い。タイトルで言えば社長や会長であったりする場合が多いが、取締役を代表する立場として「代表取締役」という冠をかぶる。

取締役会は日々の会社の執行に必要な意思決定をしていく場として機能する一方、株主総会はそんな経営を託された取締役が結果を株主に報告する場であるというのがかなりざっくりした振り返りだ。

取締役は社員ではない。株主から任命された存在として会社の責任を負う立場であって、多くは1年契約である場合が多いが、前述の通り何年も何十年もポストに居座ることが基本的には可能だ。

この議論はまたの機会にしたいが、株主や金融機関からの圧力がないので結果が出ようが出まいが、不祥事などよっぽどのことがないと変えることができないのが実態でありそういう意味では資本市場と会社は持ちつ持たれつといった関係性が日本では特に強いと言える。

■取締役と執行役員の役割分担

どの会社でも取締役になる人は一旦会社を退職している。取締役は株主側から執行された存在であるので社員でいることはできない。それでは会社の役員、いわゆる執行役員というのはどういった存在か。

取締役とは株主の利益を守るために経営全般を監督する立場で、取締役は株主から委託されており本来事業執行に関わらないというものであるが、多くの会社では事業部門の責任者を兼務しているなどまったく分離が進んでいない。どの会社にも取締役のポストはだいたいスタッフ系あがりが1,2名、事業部3-4部門でそれぞれポストをしめてあとは社外取締役と社長・会長といった会社が多いのではないだろうか。

一方で執行役員とは、取締役会が委任して、代表取締役が監督する相手であるといえる。実際の企業経営と事業執行にあたるのが執行役員とされている、

そんな執行役員は会社法上は社員と同じ扱いとなっている。

そうなるとサラリーマンとしての頂点は社長ではなく、執行役員であるといえる。事業部門やスタッフ部門のトップが執行役員になるケースは非常に多く、執行役員がやたらに多い会社もある。会社によっては旧世代のリタイア組の執行役員と、新たに執行役員になってくるメンバーとブレンドしている場合が多いので、新旧の勢力が混ざっているまさに会社を体現しているのが執行役員クラスといえる。

■完全な分離が本当に良いのかどうか

例えばSONYは完全分離型の組織をとっている。取締役は12人いて10人が社外取締役であって10名はSONYの社員だったことはないメンバーが選ばれている。こういった事例は増えているが大半んの日本企業は取締役=元社員であり、会社の部門長である場合も多い。

取締役が社員のような振る舞いをしていたり、年間契約であるにもかかわらず何十年も取締役に居座ったりする例が散見される。オーナー企業であればまだしも、普通の上場企業でこういった状態が続いていることが海外からは問題視され、ガバナンスコードだとかいろいろなものを導入しつつあるものの、まだウチとソトの考えは根強く、日本企業は純粋培養型のスタイルが続いている。

ぼく個人としては会社の新陳代謝は必要だと思っていて、多くの企業で社長を辞めさせるルールは存在しない。一度吸った甘い汁はとてもおいしいからか、長年ポストに居座ったり、課題を先送りにしたり、スケープゴートをつくって責任を擦り付ける相手を作ったりして長期政権を作っていくのは果たして良いことなのかと考えることが多い。とてもやる気があって、社員や顧客のためにドンドン会社を発展させる経営者であればよいが、必ずしもそうではない。

そうすると忖度や癒着といった関係性が一部の経営陣とその配下の者たちで作り上げられるので、そういったものに属してじっとその人が定年するまで余計なことはせず、待ち続けるというのがサラリーマンとして最良の選択肢となってしまう。

こういったことには社員としては守られるという良い面がある一方、悪い経営者になったとたんに一気に会社の価値は棄損していく危険性をはらんでいる。誰も注意することができず、適当に株主総会で結果を説明して乗り切れば帝国を邪魔するものはいないという状況が続いてしまう。

—— 〻 ——

逆に完全に取締役会が外部の陣容で良いのかというと弊害もある。

取締役が全く事業の素人で構成されると、とにかく利益に議論が終始したり、ビジネスの実態を全く理解していない評論家的な薄い議論しかできなかったり、血が通っていない経営になる危険性が高くなる。

いわゆる金融エリートやMBAの理論を一方的に上から目線で指示しているだけでは現場は気持ちとして相当乖離が生まれる。やりたくてもやれない現状があるとしたら「それを考えが甘い」というだけでは取締役と現場の間にとても大きな溝ができることになる。「どうせわかっていない」という発想に会社側がなると取締役はお飾りになってしまう場合もある。

どの組織も上司は守備範囲が広くなる一方、細かいところまでは入り込めなくなるため、部下は上司を「わかっていない」と評することが多いが、この関係が取締役と会社の間で起こることになる、

—— 〻 ——

それでは取締役を元社員と社外をブレンドしたら良いかというとそこまで単純ではなく、社員上がりの取締役は株主のために働くことができなかったり、お飾り的な社外取締役を配置して影で「ぜんぜんわかっていない」とバカにする。

一方の社外取締役も給料をもらっている以上はあまり悪いことをいって収入が減るのが嫌であまりきついことを言えなかったり、志があっても排除されるので発言が空回りしてしまうような事例も散見される。


このように株主と会社の関係というのは結論が出ないテーマであり、企業は常に考え続けなければならない。SDGsなどにも現れているように、会社の役割を広くとらえて今後も様々なステークホルダーをどうかんがえているかというのを問われるトレンドは今後も強まるだろう。

内部理論や社内政治を中心に考えている企業をどう変えていくか。どういった適切な外圧が良いのかということを経営企画で働くぼくとしては考え続けたいと思っている。

keiky.


いただいたサポートは、今後のnoteの記事作成に活かさせていただきます。ますます良い記事を書いて、いただいた暖かいお気持ちにお返ししていきたいと思います☆