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脳の進化の弊害!?思考が大変なリアリティーを持ってしまう理由

ヒトが他の動物と大きく違うところは進化の過程で脳が肥大化してハイスペックになったところです。
ヒトという動物は食物連鎖の中では非常に脆弱な立ち位置にあるため知恵を付けなければ簡単に捕食されて死んでしまうことから様々に脳が発達していきました。
脳の肥大とスペックの向上は生存欲求が大きくかかわっているということです。

超簡単に書くとネガティブなことにしっかり反応しないと太古のヒトは生き抜けなかったということです。

でも現在は他の野生動物と近い位置や洞窟で暮らしているわけではないので物理的な危険はとても少ないです。
なので現代ではもはや不必要なスペックがたくさんあって、そのせいで苦しむな~と思います。
そんなにネガティブに敏感である必要性が下がってるってことです、基本的には安全だから。

だって野生動物が襲ってきたりはしないし、雨風も簡単にしのげるし、物理的にとても安全に生きています。
それとかちょっとの病やケガで簡単に死ぬということも原始時代から比べると比較にならないほど減っているのですから。
だから脳の構造やDNAレベルの設定と時代背景が合ってないな~と本当に思います。

原始人レベルの頃は本当に生存が危うい毎日を生き抜かなければいけなかったので、危険は本当に察知していなければいけなかったです。
危険なこと、つまりヒトにとってネガティブに感じることを学習せずに繰り返していると死んでしまいますものね。
でも今はそこまで警戒しないでも命の危機がほとんどないのがヒトという動物です。(事故などの突発的なことがない限り大丈夫なので)

今、ヒトが一番警戒しないといけないのはその危険が情報空間(思考を含む)に完全に移行しているところだと思います。

物理的に生存が危うくなるのは肉体が損傷するようなことが起きた時なんですが(事故にあうとか突然病気の発作が発動するとか)、そうでないときも現代人って前回書いたような変な思考にハマって情報空間の中で十分に生存の危機を感じることが出来るのですよね。

動物の中で自殺するのはヒトだけです。
例え情報空間の中であっても生存の危機が極まるとそうなってしまうということです、実際には何も起こっていなくても、です。
思考の中で「大変なことが起きた」というリアリティーがそうさせてしまうということです。

必要に応じた進化も行き過ぎると弊害になるのかも

ヒトは社会的な生き物で群れで生きる習性を持っているので物理的な損傷を伴わなくても、実際に仲間に疎外される、または思考の中で強く疎外感を感じるなどの群れで生きにくいと感じる時、それがたとえ情報空間の中の行き過ぎた妄想であったとしても十分に生存を脅かす脅威として認識されてしまうんですよね。

ヒトにとって群れで生きられないということは死に抵触することだからです。
厳しい環境の中では集団でいないと危ないし、エサもくいっぱぐれるしね。
だから大昔は思考にもリアリティーがないと本当に生き抜けなかったのだと思います。

ただ私たちは原始人ではないわけで。
極端な話、本当にひとりぼっちでも現代人は物理的には生き延びることができます。
ただしやっぱりヒトはその習性上、つながり感を求める本能があるので本物の孤独にはなかなか耐え難いものがあると思っていて、だからそういった極まった孤独感が頂点に達したとき、無差別の殺人などが起きたりすることがありますよね、もうヤケバチになってしまって誰も自分をわかってくれない悲しさを爆発させてしまうという。
ちなみにこういったことを起こすのがほぼ男性なのにも構造上の理由があってそれは横道にそれたのでまた機会があれば書いてみたいと思う。

話を戻すとそんなに危機感を強く感じないでも現代は十分生存できるのですが、動物としての構造上、そのように情報空間においても今なおネガティブにものすごくよく反応するように出来ています。

例えば「お金がない!」とかもそうです、生きぬけないということに繋がっていくので実際には明日のおかずに困るほど困窮しているわけでなくても「ない」という思考の発展の先には極端に言うと死が待っているのでヒトはどんどん苦しむことができるという感じです。

そんな感じで多くの人にとってある意味思考はネガティブに傾きやすい傾向があると言って過言ではないと思います。

という感じでざざっとですが、今目の前の本当の事実・リアルをしのぐほどに思考がリアリティーを持っている理由はそんな感じです。
なので変な思考が発展していって苦しい時は、まずそれがリアルではないと見破っていくことが肝心となると思います。
それは所詮は襲い掛かってくることのできない実体のないものということです。


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