78.ごはんを作るたびに言うようになった母の言葉
父が他界して数年たつ
母は食事をつくる際、それを少しとりわけ仏壇に供える
そのときによく
「今日はおとうさんの好きな●●よ」といいながら供えている
今日はなににしたの?と聞くと
「今日は●●を作ったよ」という言葉の後に
必ずと言っていいほど
「おとうさんが好きだから」とか
「お父さんは●●のときは汁物がないとだめだから」
みたいなことをいう
自分の好きなものを食べればいいのに
自分が食べたいものを作ればいいのに
そう思うけれど、そういうことではないんだ
1人暮らしをしていた時、
自分ひとりだけの食事をつくるときに
てまをかけることが億劫だった
まずは自分にしっかり手をかける
自分のことをおざなりにしない
ほんとうはそれがはじまりであり、大切なことなのかもしれない
でも、誰かのためにつくる
自分が作ったものを美味しいと食べてくれる人がいる
美味しいの瞬間を共有できる
その幸せを知っている人は
自分だけの喜びではもう満足できないのかもしれない
わたしはそうだ
バイトから帰ってきて
わたしが作ったごはんを食べている息子をみて
いつか食卓から息子の姿がみえなくなり、
夫と二人で食卓を囲むようになり、
その夫もいつかいなくなり(夫が先に逝く前提のはなしだけどw)
母のように
自分で自分だけの食事を毎日用意する。
それを想像してちょっとしんどくなった
もしかしたら本当は
母は自分の好きなおかずを買ったり
食べたいものを作っているのかもしれない。
だけど、あえて
「おとうさんがすきだから」という理由をつけているのかもしれない。
誰かのためになにかをする幸せをまだ味わいたいために
ほんとうのところは母にしかわからないし
聞くつもりもない
「今日はおとうさんの好きな●●よ」と言っている母は
可愛らしいなと思うから
それでいいのだ
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自分で自分を幸せにして
そんな自分で誰かを幸せにできたらいいですよね♡
そんなとき役立てられると思います