命式に良い悪いを言わない理由

刑法対冲がある人は
一般的には悪いように言います。

半会や支合がある人は幸せと言います。

でも逆のような気がします。

半会だけ持つと物事が進み過ぎることが多く、持っている本人の性格が悪くなる。
そりゃ物事がスイスイ行けば、他人の気持ちを考えられなかったり
人を蔑んだり、悪口や批判を表立って平気で言う。
出来ない人の気持ちを理解すると言うことも不可能に…

幸せな人がこんなことをすると思いますか?

半会を持つ人は家系での役割があり、それを消化してから家系から出ないと、因縁を集めることになる。結局、家系から出ても親の援助を当たり前に受け取るようになる。

「家族は幸せなのが当たり前」

こういうことを言い出したり引き合いに出したり、甘えが出て来る。自分を幸せにしてくれる人がいることが当たり前と言う考えになってしまう。

ここに書いたことは極端な例かもしれません。

刑法対冲があると相手の裏側を見るようになると言いますが、物事をすんなり受け取れないと言うことは深く考えていると言うことなので、必然的に洞察力が備わり人として深みが出る。

相手のことを観察していると言うことは相手の気持ちをわかろうとしたり気持ちを汲んだりそれが本人の中で当たり前になって来る。

また刑法対冲は出て来る場所によって意味が全く変わって来る。

例えば旺気刑
物事の最盛期に争い事を起こすと言いますが、そうでもありません。年と月にあると自分が原因ではないので、争い事を持ち込まれると言う現象ではなくて、原因不明の突発的な事故としか言いようがない。

申寅の生貴刑も対冲でもあるのでこれが年と月にあると、自分自身が原因ではなくて他人が原因で仕事や公のことを変えざるを得なくなる。他人からトラブルをもらいやすいと言うことです。

生年冲殺が必ずしも両親の不仲が原因で生まれる訳でもない。

両親の不仲を担うと言うことは、その両親の元に生まれた役割が深い。精神的に幼い両親に教えると言う役割で生まれる。

生日冲殺に至っては、家族の中よりも社会的な役割が大きく、この人がいることで周りにいる人は「どういう風に接したらいいのだろう?」と考えざるを得なくなり、周りの成長を促します。

身強身弱
こういう古語に近い漢字は与えるインパクトが強過ぎるのでしょう。

占いを勉強していない人や知らない人に伝える場合は相手にもよりますが、専門用語はなるべく使いません。

ネットで当たり前に情報だけが早足で見つかるようになってしまった現代…

やはり勉強と言うものは大切で、言葉鵜呑みに受け取らないで考える力を付けて欲しい。






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