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言葉のチョイス

「仕事で使ってくれるんですよね?」

何だか念を押されたようで言葉に圧があって、一気に使いたくなくなりました。

私は文章でメッセージを伝える時に1番気を使っていることが「言葉使い」です。

相手に
「だよーん」とかメッセージで使われると、私も相手に対してくだけて良いんだと感じ、仲間感も同業者感も同級生感もあり、気が緩みます。

ビジネスでも気を使わなくても良い相手と認識します。

友達と認識している相手にはこういうふざけた感じを時々出せるようになりました。

日常生活に於いて
恋人や友人には私はかなりふざけた態度をする時がたまにあるので「おもしろい人」と思われ文章で見せる「語彙力のある人」とはかけ離れた愛されキャラです。

それを自覚しているのは
「良く見ると綺麗なんだね」
「スタイルが良い」
「色が白い」

友人にはこう言われることが多く
それ以上に

「優しい人」
「必ず約束を守る人」

と言う信頼を得た言葉を幼少期から頂いて来たからです。


「あなたの文章力と言葉の力は大切にした方が良い」
「あなたのナイーブな感性が羨ましい」
「好きな人を純粋に愛する気持ちが私には眩しく見えた」

今まで出逢った年長者の女性に言われた言葉です。

皆さん文章を書くお仕事をしている人たちです。

これは私の自信に繋がり、文才が普段表面上に見えなくて、バカッぽく見えても、私の中で多少の混乱はありますが

「まぁ、いいか…」

で済ませるようにしています。

ただ
言葉遣いにカドのある人は、その言葉だけが深く印象に残り、こちらの気持ちの落としどころがなくなるので、関わらないと言うかあんまり私の周りにはいないからか、要注意という直感が働き距離を取るようにしています。

カドがある言葉を使う人は
私以外にもそういう言葉遣いをしている可能性が高いので、気にしないようにしています。

本性が突然現れて、酷い言葉を発する人も居ますが、それはその人の一面でしかないので、真に受けないようにもしています。

本性とはその人の本質とは違い「豹変すると出る面」だからです。普段からストレスの多い人や他人の面倒ばかりしていて疲れている人だと思うからです。

「あぁ、こういう人だったのか…」

と残念に思うのでななく、

「疲れてるのかな…」

こう紐付けるようにしています。

人と言うのは往々にして他人に気を使って普段生きているものですが、その気の使い方が感違いの人も残念ながら多いのが現実です。



友人が
「ブログを毎日書くのに2〜3時間かかる」
と言ってました。
文章を書くのに時間がかかるのは一緒だと認識し仲間意識以上に、この人には気を赦して大丈夫だと思いました。

ただ
言葉にカドのある人、圧がある人は自覚がない場合が本当に多い。そして学習能力がない。ずっと同じ内容のブログを10年以上続けている人は、幼い子どものよう。

成長と学習を自ら放棄していることさえも気が付いてない。

家族と言うものが幸せと感違いしている人に多く、家族からはみ出す力がないと人としての成長は阻まれます。

せっかく海外移住したのに、小規模コミュニティの仲間内でいるのは本当にもったいない。

何の為にわざわざ海外へ行ったのか…

私にはこういう疑問がずーっと残っています。

業にいれば業に従え


私の好きな言葉です。

何だか書いていることと矛盾している言葉ですが、それは人間関係をスムーズにする有効的な行為です。争い事を避ける、争い事を自ら起こさない。これはとても大切です。

日本には世襲制がありますが、海外にも世襲制は沢山あって、人生が自分の自由にならない、神輿に担がれるとは自分で人生を選択しようとすると上手くいかない高貴な人たちもいる。

でも
普通の人でも神輿に担がれた人生の人も沢山いるのが真実。

「自分で人生を選択すると上手くいかないので、流される人生」

自分でこうしたいと思っていることが上手くいかない人は、自分で自分を制限している以上に、それがあることが多い。



他人のエネルギーを吸ってしまう吸っちゃう体質の人は

「私に集まって来るものはみんな薄紫色に変わる」

「だからこの場所にいるんです」

他人を意図的にコントロール出来る能力が元々備わっている人は、それが強い霊感体質と呼ばれるもので、私のようにただのお身体の弱い人はそんなエネルギーはなく、平和的なエネルギーが出ているので循環が良いんだと思います。

持っているパワーストーンの色や物の色がが変わってしまう人は、吸っちゃう体質の人が多く、自分が犠牲になっている分は大丈夫だけれど、周りが犠牲になっている場合は気が付いた方がいい。

能力を持て余す人は、目上上司の人も持て余してしまう。こうして欲しいと言えなくどう扱っていいかわからないから放置プレイがほとんど。

トラブルに縁=思い上がってはいけない


これが天秤のようにある。

中庸にしようにも困難である。

こういう人は自覚している人が多い。

これは宇宙が作っているエネルギーの流れなのだろうか…

抗えない因縁のようなものは、役割が違うんだと思います。

他人にエネルギーを捧げる人生かな…







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