万年筆の思い出

中学生の時に
誰かにプレゼントでもらったのでしょう

細いクリーム色の子花柄の
万年筆を日記等々を書くのに
使っていました。

今考えたら
生意気な奴?

いやいや
そうでもないらしいです。

「どうしてあんなに
   字が綺麗って言われたのかな?」

万年筆で書いているところは
当時は誰にも見せてませんでした。

万年筆の替えのインクは
出来たばかりのパルコではなく
子供の時から通っていた
市で1番古い文具店に

ここでは
小学校高学年の時に
高い?書道の筆を
買ってもらった記憶がうっすらあります。

同級生が使ってるようなのじゃなくて
ひなびたおじいさんが使うような
色の筆と高級な半紙

でも
この文具店に来ると
色んな硯を見たりして
とても心が落ち着くような感じがしました。

自分のペースで
ゆっくり選べたからかな…

なんだか
子どもっぽくない子どもでした。

その万年筆は
とても書きやすかったのでしょう

細いタイプは当時あまりなくて
もう1本水色の太い普通の
万年筆も後から買いましたが
書きにくかったのを憶えています。

ある時
毎年毎年買う
アフタヌーンティーの
サザビーシリーズのノートが
発売されなくなった頃

万年筆のインクも絶版に

かなりショックで
何年も引きずったみたいで

4年間毎日続けた日記をやめて
バイトに行き始めました。

30代になっても
折れた心を引きずっていて

当時付き合っていた人に
アフタヌーンティーで
色々買ってもらったけれど

心の中のぽっかり空いたそれは

「なんか違う…」

沢山の違和感を感じながら
相手に合わせて
蓋をしてしまいました。

何でも買ってくれた人だったけど
相手の欲しいもので
私の本当に欲しいものではなかった。

私のために
全てを捧げ尽くしてくれたけど

心の違和感は
「私がない」だったかもしれません。

今は
このことを彼に全て話しました

「行きたいところに行って
   何でもしてくれて
   欲しいものを買ってくれたけど
   なんか違った

   プレゼントをもらうことは
   嬉しいことだけど
   私が本当に望んでたことではなかった」
   

心と心の交流
コミュニケーションの大切さ

それ以上に
魂が融合して重なり合うか

相手のために生きる人生は
相手に添ってなきゃ成立しない。

それは運命の人ではなくて
必然で

愛情のある人のところには
その必然が現れる。


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