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非日常と日常の違い。

おはようございます。
ケイジ4世のターンです。

最近休みのたびに出かけています。
私自身基本的に休日には出かけたい性分なので、『とにかくどこか行きたい。』『できれば遠くへ』という感じです。

嫁も同様なんですが、子供が小さい頃は支度やら何やらかなりそれはそれで大変だったようです。

子供達に出かけた思い出を話すとあまり覚えていないことが多い。というか、断片的にはそれぞれ覚えていても繋がっていない様子。

聞くと、なんでも「行き過ぎてどこがどれかわからない」「もはや非日常じゃない」なんて言われちゃったりします。

そう、『毎週』は非日常じゃない?

私は子供の頃、親と一緒に出かけはしたものの、そんな頻繁ではなかったので、ほとんど覚えています。連れて行った親に言わせれば「あれもある」「これもある」とあるだろうけど、。

出かけるといっても、当然買い物も含まれますので、毎週毎週プチ旅行みたいではないんですが、毎週のことは『もはや日常』なんだとか。

そのため覚えていないと言うんです。。。

そんなバカな

ちょっと残念な気もしますが、それはこちらの押し付けなんだろうなと。

『日常』とは?

毎日は当然『日常』ということになります。
で、前の通り毎週や隔週も『日常』。

毎月は?

うーーーん、毎月やってること。。

ない。

多分、毎月も『日常』!!

そう、『非日常』とは?

当然、毎年1〜2回の旅行は当然『非日常』として認識されていました。

ここまでは、時間軸による判断です。
時間的な感覚では、毎月を超えたところに『非日常』がありそうです。

時間軸だけではない『非日常』

子供の記憶から考察していますが、当然時間軸だけではないというのがキモですよね。

話を聞いていくとそれは『体験』にありました。

出かけて、美味しいもの食べて、ちょっといい景色見て、帰る。

やはり、これでは『日常』の域から出ない。

頭と感情によって強烈に記憶としてとどまることが、『非日常』ということになります。

予測と慣れを打破する

それが『非日常の体験』から生まれてくるものです。

新しい体験、楽しいこと、つまらないこと。初めて食べるもの、美味しいもの、まずいもの。
それらは『予測』の域を超えたところにある体験、体感。
また、人間のいいところでもあり悪いところでもある、『慣れ』。

これらをどう越えるかというところが『日常』を超えていき、『非日常』を生み出すのだろう。

まとめ

感覚的なものも続けば、それは日常となり得ます。

毎月を超えた時間軸で、ある程度予測を超えた体験をすること

これが『非日常』を生み出すんだろうな。
と、子供達との会話から感じました。


私は心理学者でもなければそんなバカな勉強もしていないし、あくまでも感覚的な考察なので間違っているかもしれません。
しかし、そんなことを日常から考えることって楽しいなと思ってお話してみました。


では失礼。

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