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恐怖をあやつる
保釈されて何日か経ち、社会と交わっていると
「あの時(勾留中)は、どうしてあんなに怖がっていたのか?」という変な疑問が湧いてくる時があります。
要は<喉元すぎれば・・・>みたいなものです。
これは、その時のメンタルが大きく影響していたのでは?と思っています。
留置場で私の場合、
・孤独な毎日
・味方が弁護士先生しかいない
・知人や友人との交流がなくなる
・仕事はもちろん、社会との繋がりが遮断される などなど
という状況が約1ヶ月続きました。
そんな状況で「自分自身を守れるか?」という素朴な疑問が生じた時、そこから不安に繋がっていくのではないかと、勝手に分析しています。
私は今でもこう考えます。
「信じてもらえなくたって、やってないものはやっていない」
「誰が何と言ったって、事実はひとつしかない」
「決定的な証拠も出てこないし・・・犯人ではないから当然の結果」
「有罪となっても、命を取られるほどの刑罰は課せられない」
「お金なんて、また稼げば良い」
保釈されてからは刑事訴訟のことを沢山勉強したり、出てきている証拠に対してしっかりと分析した上で反論準備をしています。
だから
『自分は何に対してそんなに怖がっているの?』のいう結論に達するわけです。
以前、勤めていた会社の社長と喧嘩(と言っても口ゲンカです)した時がありました。
その時、私はなんと、
「そんなに気に入らないんであれば、今日で辞めさせていただきます!」と啖呵を切ってしまいました。(ホント子供ですねぇ〜 笑)
でも、思ったことを思いっきりぶつけ合ってみると、互いに納得するんですね。何で、そんなことで揉めているんだろうって。
私が誤魔化しているように見えてしまえば、きっと相手も不安になるんでしょうね。
要は自分に自信があると相手が誰であれ怖くなく、その後の展開にも大きく影響する気がします。
ここまでの知見や人脈、経験則、成功事例、失敗談があれば絶対的に恐怖は和らげられるのではないかと思います。
それに対して、未知の世界には大きな恐怖が付き纏います。
なので、今回の事件に立ち向かっていくためには、制度や実情に絡む勉強をこれでもかというほど行い、同時に経験も人の繋がりも大切にしていくべきではないのかと思っています。そうすることでメンタルが常にニュートラルとなり、一方に偏ることなく正常な判断を下すことができるのかと感じます。
怖さが軽減されたら、あとは実行あるのみです。
<石橋を叩いて渡る>という行為そのものは経験が乏しいからです。
でも、叩きながらでも[渡りきれれば]それが経験となります。
経験ができたらそれが自信となり、次の場面でその経験が生かされます。
私は自分のことを<臆病者>と思う反面、理想の自分像も持っています。
そんな自分と上手に付き合いながら
「今回の件を乗り越える時、きっと何かが変わる」という希望を持ち、毎日を過ごしています。
そう信じながら生きることで、次の自分につながっていくのかもしれません。
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