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自己紹介させてください。7

東京都の長谷川です。よろしくお願いします。
この記事はタウンマネージャー ブログからの移管ではなく
書き下ろしです。

私の職歴です。
続きです。

①20代/コピーライター
②30代/アートディレクター
③30代/ITベンダー
④30代/タウンマネージャー
⑤40代/クレーピエ
⑥50代/ウェブアナリスト
⑦60代/タウンマネージャー議員


②30代/アートディレクター

広告の世界では
コピーライターからクリエティブディレクターに、
グラフィックデザイナーからアートディレクターに、
業務範囲が広がることはよくあると思います。
微妙にないのはコピーライターからアートディレクターでしょう。
私は最終的にはJAGDAにも所属していました。

プロダクション化したことで、
部下にデザイナーを配置。
キャンペーンなどを総合的に管理する立場、
デザイナーに指示する立場になっての必然でした。
法人化のタイミングで、
出身地の駅前再開初ビルの年間販売促進の依頼がありました。
予算は5,000万円ぐらいありました。
さらに季節ごとのフェア企画はもちろん、
ビルの装飾、懸垂幕、テレビCMなど
いわゆる地方の広告代理店機能が求められ、
まずはコピーを渡してサヨウナラというわけにはいかないので、
ビジュアルの全体管理で
アートディレクターにならざるを得ない状況でした。

この仕事で広告の一通りを経験しました。
デザイン管理、ビジュアル管理、ブランド管理、
すべてのVIの責任者でした。
ビルリニューアル時の販促も全て担当。
テレビ&ラジオや新聞の媒体や、イベントも管理。
ホームページなどのウェブも担当させてもらいました。
ただのコピーライターから
かなりの業務範囲が広がった時期ですね。

いわゆるクライアント直です。
代理店は通さずの業務ですから、
必然的にプロデューサーという立場でもありました。

この広告というジャンルでは
ありないことのない遷移だと思います。
プレッシャーはありましたがやりきった感はあります。

地方とはいえ電博がやるべき業務を、
自分で好きなようにできたことは財産です。

ちなみにコピーもデザインも、
複数案を出して
どうでしょう?選んでください、
といった仕事の仕方ではありません。

常にデザインや企画は、ほぼ一案のみ。
私はこう考えます=OKという流れでした。
クライアントもなんでもいいわけではないです。
それぐらいの信頼関係と、
誰にも負けない情熱とクリエイティブ能力、
マーケティング情報はあったと思います。
約20年。いわゆるやりたいようにやらせてもらえた環境です。



③30代/ITベンダー

20年前は、グラフィックデザインの会社に
ちょうどウェブ制作能力が求められる時期でした。
広告デザイン会社がウェブデザイン会社になる転換期。
弊社も多分に漏れません。
なので②~③の遷移も普通にあります。
ただ、私の場合、単純なホームページ制作会社になったわけではなく、
ITベンダーとなった点が稀なのでしょう。

当時、ある地元の広告代理店から、
年間600万円の予算で、
未来のケータイワンセグを見据えた、
インターネットメディアを作って欲しいと依頼。
「テレポテ」というポータルサイトを立ち上げました。
20年前です。かなり革新的。
日本にYahooが誕生した頃と同じ。
のちにスポンサーを見つけて「テレポテTV」なるテレビ番組を、
KNBとTUTで放送しました。
また、ほぼ同時に、あるところから依頼され、
中心市街地の情報サイトも立ち上げました。
地方で20年前にインターネットメディアを2つ立ち上げる。
なかなかないでしょう。
大小クライアントのホームページ制作も進めながら、
メディアの広告枠を販売、
サーバーまで販売していました。
このあたりで、コピーライターとアートディレクター業務から、
相当遠いところに来ています。

そして、隣県の中心市街地商店街サイト
「タテマチドットコム」の管理者から連絡があり交流。
このサイトの運営依頼があったのですが、
これ以上の管理はできないので断りました。
この「タテマチドットコム」は、当時NTTドコモと連携しており、
その流れで北陸の中小企業が集まって、
NTTドコモとモバイル事業の可能性を探求する団体に参加。
柄にもなく2代目の会長を務めました。

このNTTドコモとの取引が、
ITベンダーとしての業務を広げました。
まずは、地元商店街活性化とおサイフケータイ普及を実現した、
iDキャンペーンを手掛けます。

また、商店街のフォトコンイベントとQRコード読み取からの動画を配信する、
写真集を出版。NTTドコモと協業。人生3度目の出版です。

商店街の新しい活性化指標「iモールトレンド」を考案。
通行量や路線価だけでなく、商店街サイトの検索数を指標とし、
その検索の受け皿になるのは、iモールと発表。
NTTモバイル社会研究所のメンバーと一緒に
地域メディア関連本を出版。人生4度目。
のちに、みずほ総研からも主任研究員と共著で、
iモールトレンドを発表した本を出版。人生5度目の出版。

iモールをビジネスモデルをサイトとして販売。
ドコモの協力もあり、松本と長野で実現。
実現しませんでしたが、高松と金沢にはプレゼンには行きました。

第一号iモールサイトを、NTTドコモiモード公式サイトに登録。
これは念願でした。登録にかなりの時間がかかりました。

iモールの名称は、商標登録しました。
それをドコモが嫌がったのを覚えています。

そして、特許庁にiモールビジネスモデル特許を出願。
ここが運命を変えました。出願した特許は、
①モバイル端末で店舗検索→②検索結果からGPS誘導→③店舗で電子決済、
というビジネスモデルです。
出願して「出願中」の状態までの承認を得たのですが、問題はここから。
特許出願中が、特許取得となって、特許庁から連絡があるものと思っていましたが、
数年経っても連絡がない。確認の連絡を入れたところ、
その後の手続きをしないと特許が取れなかったらしく、
すでにその期間を超えてしまっていました。
こんな大事な仕事を、スタッフ任せにしてしまった私の責任。
結局この特許は取れず、しかし出願はしてあるので
今後誰も取得することはできないそうです。

2016年に情報サイトからiモールサイトへ。
のちにタウンマネージャー ブログにリニューアル。
諸般の事情で、この4月で事実上の閉鎖となりました。
サーバから消去される可能性も出てきました。
その理由はまたいつか書きます。
すべてのデータと書き下ろしは、このnoteに移管しています。

ITベンダー業は、完全にこれで終了です。

思い起こせば、何もかもが「早かった」気がします。


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