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福沢諭吉「教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ」~教育の役割のとらえ方

こんにちは コウちゃんです
引き続き『福翁百話』から、今度は「教育」が題名のなかに入っているエッセイを紹介していきたいと思います。

現代語要約

人の能力には天賦遺伝(天から与えられた遺伝による才能)の限界があって、決してそれ以上に成長することは出来ない。牛馬はその良否が3歳の時には識別することが簡単にできるという。
 精神の働きは無形なため、子どもの「智愚」(頭の良さ)を、身体の大きさや強さを見るように幼少の時から識別することは難しい。それゆえに、世間の人はともすると教育を重視し、頭の良さは教育によってのみ決まると信じて、あたかも人の力で知者を創り上げようと望むものがいる。これは大きな間違いであって、頭の良さの優劣はすでに先天的に定まっており、決して変えることはできない。
 そうであるなら教育はすべて無駄であると思う者もいるだろうが、これは大きな間違いで、世の中で人を教育することほど大切なことはない。その理由を説明すると、例えば教育は植木屋の仕事のようなものである。庭の松も牡丹も自然のままにして置くとよく成長せず、最悪の場合には虫に食われて枯れてしまうが、植木屋が手入れすることで、元気になり美しくなり、野生のものと比較すれば色や香りは全く違うものになる。
 もし人の子を産まれたままにして、体育・知育・徳育を施さなければ、その子の才能いかんにかかわらず、悪い習慣がついて心身の品格を失うだろう。子どもの才能を無駄にせず、その素質のすべてを磨いて光を放たせるものは教育の恩恵といわざるを得ない
 教育の要はその人に本来ないものを造って授けるのではなく、唯あるものを全て余すことなく発達させることにあるのみである。いかに巧みな植木屋でも草木の天性に備わるものだけを見事に成長させているだけで、それ以上の工夫は一切ない。教育は大切であるが、之を重視して身に余る期待をかけるのは社会全般の弊害であり、さながら教師の手によって人物を鋳造しようとする者がいる。つまるところ、人生は天賦遺伝と強いつながりがあることを知らない罪だ。

考えたこと

① 才能は見えないからこそ、大人が勝手に判断しない

 「頭の良さの優劣は先天的に定まっている」なんてこといったら、現代では炎上しそうですね。もちろん才能の優劣なので、実際の頭の良さが全て遺伝で決まっていると福沢は言っている訳ではありません。ここで福沢が最も言いたいことは「教育の力を過信しすぎるな」ということだと思います。
 福澤は「教育の方向如何」という論説で、「教育の大眼目は、人生を発達してあらゆる心身の能力を拡張し、禽獣の境界を去ること次第にますます遠からしむる」にありと、教育の目的はその人の能力を最大限発達させることだと述べています。福沢は教育の役割はあくまで、その子が持っている才能を最大限発達させることで、無い才能を無理に発達させてもその子のためにならないと考えていたのでしょう。

 ですが、ここで難しいのがその子に特定の才能があるのかないのかは、判断がしづらいということです。特に目に見える身体的才能以外は。親が東大卒でも子供が勉強が出来ないことだってあります。逆に親が高卒でも子どもが東大生という場合もあります。その原因が、先天的要因なのか環境要因でそうなっているのか、実際の子育ての中では数値化できません
 
 そこで私が教師として大切にしている心構えが次の3点です。
1.才能を否定しない
 これ無意識にやってる人います。例えば、軽いものだと「君は数学が出来ないね」、「勉強できないね」、最悪の場合「お前は馬鹿だから」などの人格ベースでのマイナスの言葉がけです。指導の仕方や他の分野に変わった時など、ふとしたきっかけで今まで不得意だったことが得意になることはあります。教育において最も大切な前提条件は「子どもの可能性をつぶさないこと」です。

2.才能があると思ったことは積極的に伝えてあげる
 逆にちょっとしたことでも「すごいなあ」「才能あるな」なんて感じたらそれを素直に褒めてあげましょう。自分にとっては当たり前のことで優れていることを自覚していないことだってあります。それに実際に才能がなくても、人から言われて自分が才能があると思い込んで、自己肯定感が高まって努力する可能性だってある訳だから損することはありません。こういうこと言うと、「才能があると思い込んで努力しなくなる」なんて言う人もいるのですが、才能を花開かせるためには努力が大切だということも伝えれば良いだけなので心配無用です。

3.変えられる「環境要因」を最適化してあげる努力をする
 先天的要因は当たり前ですが、変えられません。ですが、子どもの能力に合わせて「環境要因」は変えられます。言うは易しなのですが、その子の能力にあった環境や指導を見極めることが大切です。例えそれがすぐに上手く出来なくても、先天的要因のせいにして見限るのではなく、最大限その子が能力を発達させることが出来るように考え続けることが心構えとして大切だと思います。 

②子どもは教育の成果の作品ではない

 教師や保護者の中には子どもを自分の「教育の成果の作品」なんていう認識を持たれる方もいるようですね。例えば、「あいつは俺が育てたんだ」みたいに言う教師とか。
 そんな人に植木屋の例えは良い例じゃないでしょうか。あくまで大人は子どもが持っている天性を、その子自身が発達させるのを手助けしているにすぎないという謙虚な姿勢が大切ですね。子どもを「自分のもの(作品)」扱いしてはいけません。


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