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第60弾「きらきらひかる」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

60曲目はこれ。きらきらひかる。今日、ギタリスト兼バンドリーダーの竹谷さんと、ベースの保科さんと、三人で一緒にバンド名の最終決定(?)をしました。で、我々のバンドの名前は『Agape(アガペー)』に決定しました。露骨だけど、とても、気に入ってます。なので、坂爪圭吾名義(?)で出す曲は、これが最後。次からは、アガペーの坂爪圭吾として、出します。

「きらきらひかる」 作詞・作曲 坂爪圭吾

帰り道なら すぐに忘れた 
目に見えた星 風に流れた

石ころよりも 軽い命で 
こすりあわせた 最後の火花

真っ暗闇で 踊り続ける
君だけを 見ていた
膝から崩れ落ちた そのあとで
涙拭いて 笑う

伝説の実を 獲りにいくのだ
邪魔者たちの オーケストラだ

過去が 未来を 決めるのでは なく
過去を 未来が 決めるので あろう

正しいことは わからないから
楽しいことだけを
輝きたくて 瞬間(いま)をぶちまけて
血を流して 笑う

空を真っ赤に 染めた夕日に
走り出しちゃう この感じ

正しいことが わからないから
楽しいことだけを
傷だらけで からっぽのまんまで
声をあげて 笑う

馬鹿にされても 生きていけるぜ
なにもなくても 生きていけるぜ

きらきらしてる ひかりは残る
過去になっても 全部残るぜ

俺たち ずっと ね、このままだよ
君を 忘れないぜ
遠い空で 青空の向こうで
両手振って 笑う

すごい速さで 入道雲が
空を見上げた この感じ

これから「なぜ、アガペーという名前にしたのですか?」って、五億回は聞かれるのだと思う。その度に、あたしは、心の内側で「なぜ、アガペー以外の名前があり得ると思っているのですか?」みたいなことを、思うような気がする。アガペーは、直訳すると『神の愛』になります。多感な時代を、キリスト教とロックンロールに影響を受けて育ったあたしには、ぴったりの名前。受難ボーイグランプリとか、やりたい(これは余談)。バンド名でありながら、バンド名に留まらない。竹谷さんも、保科さんも、あたしも、アガペー。だけど、神の名の下に、あなたも、人類全体がアガペーになります。

昨日、ごちゃまぜの家で定期演奏会をやりました。驚いたことに、そこに、みっつという名前のお友達が来てくれました。あたしは、みっつのことを『礼儀正しい不良』だと思っているのだけれど、久しぶりに再会できると、心に込み上げてくるものが相当ある。そのあと、阿部さんという友達も来てくれて、我々の曲を数曲聞いてもらった。聞いてもらいながら、ああ、俺は音楽で生きていかなくちゃいけないな、みたいな気持ちに、すごいなった。

最初は、あたしひとりで歌っていた。そのあと、保科さんがベースで参加してくれた。音に厚みが加わって、あたしはひとりではないのだと思った。その後、竹谷さんが加わった。二人より、俄然、三人だと思った。二人でやっているときは「ギターとベースを背景に、カラオケを歌っている」ような感覚があった。でも、竹谷さんがギターを弾いてくれると、まるで『四つの楽器(アコギ・エレキ・ベース・声)が協奏をしている』ような、まったく新しい感覚を覚えた。新鮮だったし、感動的だった。ここに、ドラムが加わったら、ピアノが加わったら、どうなるのだろう。アガペーは、現在は、三人組の音楽隊です。でも、近い将来、新しいメンバーが増えると思っている。

この曲でも歌っているけど、あたし、人間が最高潮に達した瞬間って『泣きながら笑っている』状態だと思う。笑っているだけじゃない。泣いているだけでもない。泣きながら、笑っている。あなたには、泣きながら笑った記憶、ありますか???この瞬間に、あたし、全部が詰まっていると思う。巷では「ワクワクすることをやろう」とか言われるけど、でも、ワクワクだけじゃ半分だと思うの。ワクワクは大事。でも、やっぱり『苦楽を共にした体験』が、人間に、涙を流させるのだと思う。感無量に、させるのだと思う。

でね、泣きながら笑っている状態の、さらに極まった状態が『血を流しながら笑っている』状態だと、あたしは思う。血を流しながら、笑っているのよ。想像してちょーだい。これ、すごくない???普通、血を流したら、痛い目にあったら、苦しそうな表情をしそうなものじゃない。それなのに、痛いのに、苦しいのに、笑っているのよ。ちょっとこわいことかもしれないけど、でも、あたしは血を流しながら笑う人間に、グッとくるものを感じる。

あたし、色々な人の力を借りながら生きている【生かされている】のだけれど、この前、わたり食堂(0円食堂)開催にあたり、ある女性から贈り物をもらったの。そのひと、精神的な病気があって、いまは外に出るのもものすごい大変で、家でじっとしていることが多いのね。でも、あたしの前の曲(ラブコール)を聞いてくれて、そこでわたり食堂があることを知ってくれて、なにかをしたい、自分もなにかの力になりたいと思って、頑張って家を出て、頑張って電車に乗って、冷や汗を流しながら、頭もクラクラしてくるなか、頑張って「これをどうしても坂爪さんに贈りたい!」と気持ちを強くもって、大好きなコーヒー豆を購買して、それをわざわざ郵便で送ってくれたのよ。手紙と一緒に。本と一緒に。お菓子と一緒に。なんかね、もう、グッとくるって言葉だけじゃ足りないくらい、あたしは感激をした。そして「俺は、こういう方々の力によって生かされているのだ」って、思ったの。

うまく説明できないけど、色々な思いを抱えながら、それでも「前を向きたい」と思って生きている人間は、決して、少なくない。なかなか表面に出てこないだけで、みんな、色々な思いを抱えながら生きている。あたしに力を貸してくれるひとは、自分が豊かだから、自分に余裕があるから、私に力を貸してくれるわけじゃない。真逆で、自分も大変な状況に置かれているのに、それでもなお「自分もなにかをしたい」と思って、受ける側にいるのではなく、与える側にまわってくれる。そういう力によって、あたしは、生かされている。そのことを思うと、へたな生き方はできないなって、すっごい良い意味で身が引き締まることを、感じます。絶対に調子に乗ったらいけないな、って。絶対に、いまの気持ちを忘れたらいけないなって、思うのよ。

神の愛とか、大袈裟な言葉かもしれないけど、でも、自分がやりたいと思うことをすごい表現してくれている、素晴らしい言葉だと思う。あたしは、決して「自分はすごい存在だ!」ってことを、言いたいわけじゃない。ただ、あたしを含めた人類全体、生命全体をまるごとひっくるめて「人間はすごい存在だ!」ってことは、声を大にして、言いたい。言いたいどころか、叫びたい。あたしがすごいんじゃなくて、あたしを含めた、人類全体はすげえものをもっているんだぞって、なんだか、誰にと言わず、叫びたくなるのよ。

自分をなめたらあかん。他人をなめたらあかん。人間をなめたらあかん。人間には、生命には、まだまだ発揮されていないものすごい部分が、半端ない量で眠っている。それを、音楽を通じて、言葉を通じて、引き出すことができたら、呼び覚ますことができたら、目覚めさせることができたら、それを最高にうれしいことだと思う。湧き上がる感情は、うれしい、とか、たのしい、とか、そういうものだけではないかもしれない。苦しかった記憶とか、悲しかった記憶とか、そういうものも一緒に引き出されることも、ある。でも、どのような記憶であれ、強く残っているものが『生きた証』に、なるのだと思う。旅行とか、そうよね。楽しかった記憶もそうだけど、大変だった記憶、死ぬほど恥ずかしかった記憶が、いつまでも胸に残ったりする。あたし、高校時代に神社で女子に告って振られたことがあるんだけど、あの神社を通るたびに、そのことを思い出して苦しいのよ。でも、じゃあ、告らなければよかったのかというと、そんなことはない。失敗した記憶も、自分が生きてきた記憶として、愛しいものとして、いつまでも胸の中に残り続ける。

生きた記憶、愛した記憶、愛された記憶、笑った記憶、汗を流した記憶、涙を流した記憶、血を流した記憶。これは、永遠に残る。忘れても、思い出す度に、鮮明に蘇る。涙を流しても、いいのよ。血だらけになっても、いいのよ。涙を流すから、いいのよ。血を流すから、いいのよ。少なくとも「自分は、涙が出るまで、血だらけになるまで、なにかに挑むことができたのだ」という、清々しさや、爽やかさは、残るのよ。涙を流さないで済むように生きるより、血を流さないで済むように生きるより、涙を流しながらでも笑えるように。血を流しながらでも笑えるように。あたしは、人間全体に向かって「もっと生きろ」ということを、静かに、そして、強く、祈っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

アガペー名義では、最初のライブ出演になります!きゃー!うれしい!見てー!来てー!さわってー!きゃー!当日は、竹谷さん(バンドリーダー)も参加できることになったので、あたしと、保科さんの、三人で出演します。動画で見るだけのあたしとは、一味も、二味も、違う魅力を楽しんでいただけるよう、日々、鍛錬。一生懸命、やります。一生懸命にやる人間の、あの、独特の「生々しい感じ」を喰らいに、何卒、遊びに来てちょんまげ!!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!