第50弾「永遠にそのままで行け(FOREVER GO)」
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第50弾「永遠にそのままで行け(FOREVER GO)」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

50曲目はこれ。永遠にそのままで行け(FOREVER GO)。平成最後に、50曲、間に合った。ラストを締めくくるのは、この曲。なんだか、この曲を作り終えて、自分で聞いて、ああ、俺は死ぬのかなとか、思った。なにかが終わろうとしている。それは『生まれ変わる』ってことなのかもしれないけれど、確実に、なにかが終わるのを感じました。清々しい、終焉。デス。

「永遠にそのままで行け(FOREVER GO)」

勝ち組も 負け組も 金持ちも 貧乏人も
よろこびも 醜さも 悲しみも 美も

クソガキも 孤児も 凡人も 劣等生も
おろかさも 汚さも 間違えた 日も

永遠に 永遠に そのままで 行け

FOREVER GO かっこいい
FOREVER GO かっこ悪い
FOREVER GO おとこなら
FOREVER GO やってやれ

勝ち組も 負け組も 金持ちも 貧乏人も
よろこびも 醜さも 悲しみも 美も

クソガキも 孤児も 凡人も 劣等生も
おろかさも 汚さも 間違えた 日も

永遠に 永遠に そのままで 行け

FOREVER GO かっこいい
FOREVER GO かっこ悪い
FOREVER GO おんななら
FOREVER GO やってやれ

永遠に 永遠に そのままで 行け

FOREVER GO かっこいい
FOREVER GO かっこ悪い
FOREVER GO 永遠に
FOREVER GO やってやれ

三月頭にこの試み(1日1曲)をはじめたから、実質、二ヶ月も経っていない。でも、まるで、最初の曲を作ったのが、何年も前に感じる。昔の曲を聞き直すと、作った場所、作ったときの心境、いろいろなものが蘇ってきて、自分が愛しくなる。へたくそでも、自分なりに、一生懸命やってきた光の粒子が、50個ある。そんな感じ。平成最後だからってわけじゃないけど、自分に「お疲れ様」って言ってあげたいような、そんな気持ちになりました。

これまで、あたしにとって、音楽は「聞くもの」だった。だから、好きだとか、嫌いだとか、好き勝手なことを散々言えた。でも、いま、あたしにとって音楽は「作るもの」になった。やる側になって、わかったこと。誰のことも、バカに、できない。周囲の評価がどうであれ、誰かが作ったものは、少なくとも、その時点で「彼らにとっては最高のもの」だったのだって、作り手に対するリスペクトのようなものが、生まれました。これは、決して、外野から眺めているだけでは絶対に得られなかった、尊い体験になりました。そして、もうひとつ。自分は、二度とリスナーには戻れない、ということ。

死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。そう言ったのはチャップリンだけど、ホント、その通りだなあって思う。音楽をはじめたあたしは、もう、音楽をはじめていないあたしに、戻ることはできない。過ぎたものは帰らないし、二度と戻ることはない。一度、別の人間になってしまったら、もう、前の自分に戻ることはできない。考えてみたら当たり前の話なんだけれど、なかなか、そのことを強く実感する機会って、少ない。

いちばん大事なものがなんだかわかって、これからすべてが変わること、そのよろこびと、もう戻れないさみしさ。音楽の手応えは、ずっと、これだった。平成が終わり、明日から令和がはじまります。終わりとはじまりはセットで、希望と不安も、同じようにセットよね。ってことは、終わりだけってことは絶対にないし、不安だけってことも絶対にない。そういうことに、なるわよね。だから、不安があるということは「必ず希望がある」ってことだし、終わりがあるということは「必ずはじまりがある」って、ことになる。

あたしたちは、多分、自分を責めることに慣れ過ぎている。そして、自分を認めてあげることに、馴染めないまま年齢を重ねている。本当は、もっと、自分を認めてあげてもいいのだと思う。自分が、自分に注ぐ、あたたかなまなざし。それは「ああ、この人も、この人なりに、一生懸命に生きてきたのだ」と、自分自身を労う気持ち。「不甲斐ないことばかりをやってきたけど、それでも、自分が思う最善を、精一杯に懸命に選んで、自分なりに必死に生きてきたんだ」と、自分自身を慈しむような、あたたかな、まなざし。

音楽をはじめて、実感したことがある。それは「あたしには、この声しかないのだ」ということ。どれだけ下手でも、どれだけ気に入らなくても、あたしには、この声しか、ない。それならば、この声を、生かすしかない。この声を、愛していくしかない。『しかない』って表現は固いけど、でもね、そう思えたことは、とても幸せなことなのよ。自己受容に、似ているのかもしれない。自分には、この声と、この体しか、ない。だったら、もう、これを愛していくしかない。他の誰かになろうとするのではなく、自分を最大限に生かしていくしかない。そういう気持ちに、いままで以上に、なりました。

自分の中の全部を、引き連れて生きる。この曲は、そういう気持ちを、音楽に残しました。自分の中にある清濁、明暗、善悪、強弱、正否、美醜、そういったものの全部を引き連れて生きる。まるごとひっくるめての自分を、愛して、愛して、愛して、他の誰かになろうとするんじゃなくて「永遠にそのままで行け」って、自分が、自分に言ってあげているような、そういう曲。

とにかくがむしゃらに音楽を作り続けて、取り急ぎ、50曲ができました。明日からまた毎日投稿をするのか、それとも、まったく別のやり方で音楽を続けるのか、それは、誰にもわからない。だから、一回、ここで『これまでのあたし』は、死ぬことになります。明日、まったくの別人になって生まれ変わるのか、それとも、生まれ変わることなく過ぎ去っていくのか。それは、まだ、誰もわからない。だから、一回、ここでお別れを告げさせてください。ここまで読んでくださったみなさま、ほんとうに、ありがとう。あなたがいてくれたおかげで、あたしは、次の作品を作る意欲を、得ることができました。出演予定のライブは、当たり前だけど全部出るから、もしもリアルで会えるかたがいたら、是非、生のけいごちゃんを眺めに来てください。

あたしが言いたいことなんて、ホントは、たかが知れている。それは『永遠にそのままで行け』の一言に、全部、集約できる。他の誰かになろうとか、思わなくていいよ。そのままでいいよ。生きててもいいよ。好きなようにやりなよ。それ以外、言いたいことなんて、あたしはなんにも持ち合わせていない。生まれてきたことを、一緒に、喜びあっていけたらいいね。生まれてきたことを、一緒に、祝いあっていけたらいいね。そういう気持ちで、あたしは、音楽を作り続けてきたし、これからも、生きていくのだと思います。

何かをはじめるとき、自分の中から、ふたつの声が聞こえてくると思います。ひとつは「やめときな」っていう、声。自分にストップをかける、声。安全な道を、無難な道を選ばせようとする、声。そして、もうひとつは「行こうぜ」っていう、声。自分を、新しい世界に連れ出してくれる声。前向きで、冒険が大好きで、ワクワクすることが楽しみで、胸が踊るような声。あたしは、できることなら、行こうぜの声に従って、生きていきたいと思う。そして、その先で、また、あなたに出会えることを、楽しみにしています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月4日(土)15時~17時@三重県志摩市「around.HANA」

5月5日(日)19時~21時@愛知県名古屋市「夜空と月のピアス」

非常にありがたいことにライブ出演のオファーをいただいたわ。うれしい。とってもうれしい。内容としては、みなさまとお話を楽しみながら、途中、四、五曲をお披露目させていただく感じになります。生けいごちゃんから放たれているエネルギーはそれなりのものがあるから、それに触れるだけでも参加の価値があると思うわ。あと、もし、こんなあたしと「イベントを開催したい!」なんて思ってくださる方がいたら、是非、お気軽にお声をかけてちょーだい。交通手段さえどうにかなれば、あたし、何処までも行くわよ。
西日本(および日本国民)のみなさま、kozotte、遊びに来てちょんまげ!!


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