切なすぎる。

以下の記事をYahoo Japanで読みました。

乳がん発症前の麻央さんや子どもたちと一戸建てに住んでいた海老蔵さん。2017年2月に家族でマンションに引っ越した後も、戸建ての方に荷物を残し続けており、2020年5月のブログでは「ここ3年やっぱりなかなか来れなくて」「少しずつ整理します」とコメントし、忙しい合間を縫って整理を進めようとしていることを明かしていました。

この記事には海老蔵さんの長女がお母さんの思い出,タオル/ブランケットのようなものを使っている写真が載せられていました。人を愛するとはこういう事なんですね。急に胸がギュッとなりました。

そして両者の思いが私の頭を駆け巡りました。(勝手な憶測ですが)

親の立場:4年前,家族は幸せだった事だろう。2人の子供に囲まれ,これから2人の成長を楽しく見守っていく所。家族旅行,2人の子供の成人式や結婚式,そして孫とまだまだたくさん見たい事,したい事があっただろうな…

子供の立場:もう大好きなお母さんさんと会えない。辛い時に母親に話をする事ができない。お母さんとの記憶がある分,どこにいったんだろう?死んじゃった?ハグしたい,でもできない。この今の世界では2度と会う事ができない。お母さんの匂い,雰囲気,一緒の物理的空間にいる事ができない。

色々と考えてしまい,胸が更にギュッと切なくなりました。

私自身も一歳の息子の父親として,もし今なくなり,もう会えなくなったりするとどんなに悲しいか。妻にも当てはまる事。今彼女が亡くなったら,間違いなく悲しすぎる。果たしてどうやって生きていくのか,想像ができない。もっと息子と時間を過ごしたい。旅行したい。

”愛する”という言葉は日本にいた頃はあまり使ったことがありませんでした。頻繁に使うと,なんか価値が下がるというか。なんというか。とにかく嫌でした。

でも今は自分の息子と妻には仕事に行く前に毎日 “I love you”という言葉をかけてから家を出ます。

色々な意味があって,一つは,もし自分が今死んでしまったら,愛してるって言葉を言っておけば良かったという後悔をしたくないという事。もしこれが最後の言葉となるのでは,喧嘩ではなく,愛してるという大切な言葉である事。

この記事を通して毎日できる限り自分のできる愛情表現を恥ずかしく思わずにしていくともっと心がけようと再確認する機会をくれた記事でした。

昔は“愛する”という事がどういう事なのかハッキリわからなかったけど,結婚して子供ができ,”自分が犠牲になってでも家族を支えよう”と思うことは,愛するという事なのかなぁと思いました。

海老蔵さん記事をありがとう。応援してます。

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