003.憂鬱もそれはそれでよい

ひどい憂鬱に襲われていた時期がある。パートナーを失い、お金を失い、職を失ったときだ。自分のこれまで積み重ねてきた価値をすべてなくしてしまった。食欲もなく、睡眠不足が続き、なんの価値もない明日が来るのが怖い毎日。恐怖は一人の夜に襲ってきて、その時だけは誰かに助けを求めたくてしょうがなかった。そんなタイミングで優しくしてくれる人がいると、涙が出た。それは症状を変えながら1年ほど付き合ったと思う。

憂鬱と聞くと、なりたくないもの、と思う人が多いかもしれない。特に、生活自体が荒れるほど落ち込んだ経験がある場合。それを一般的には鬱病と呼ぶ。鬱病にならないために、という言葉はよく見かける。ただ、そもそもそんなことが可能なのだろうか。

憂鬱と無縁な一生という人もいるかもしれないが、人は人生のどこかで何かを失い、落ち込むことがある。日本のサブカル界には40歳を超えると鬱になる、という話が盛んだった。それを題材に、サブカル界の大御所ばかりをインタビューした『サブカル・スーパースター鬱伝』という本を読んだことがある。その本で、リリー・フランキーは「鬱は大人のたしなみですよ。それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくないから。」と語っていた。現代社会において、物事をセンシティブに感じられる人間は、鬱になるものだし、それぐらいの人格者のほうが素敵である、という。

40歳というと、いわゆる、ミッドライフクライシス(中年の危機)だろう。若いときにできていた事が少しずつ出来なくなったり、人生がこのままで良いのかと自問自答を始める。突如、筋トレを始めたり、若い女性に性欲を向けたり、起業したり、若さを求めた行動を始めてしまう。

発達心理学の分野では、その時期を経て、人は成熟をなすという。様々な経験を積んだ上で、再度、アイデンティティを見直すことで人はより人生に深くなる。そう考えると、憂鬱とは人生における一つの深みである。憂鬱にならない人生ではなく、憂鬱もそれはそれでよいものである。

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