星と人の間に ニューヨークで絵描きとして生きる (11)
ニューヨークで、絵描きとして活動してきている啓茶(ケイティ)、ことKeico Watanabeです。
私がアメリカに来てから、27年。
これは私がニューヨークに渡って、絵描きとして生きてきた日々の物語です。
ドライバーライセンスと、ある親子との出会い
次の目標は「運転免許」だった。
国際免許でアメリカの各地でも運転もしていたし、日本で車やオートバイを乗り回していた。
運転には自信があったので、ペーパー試験だけ暗記して合格すれば大丈夫だろうと、気楽に実技の試験に挑んだ。
実技の試験は、ニューヨーク郊外で受けた。一般の人は自分の家や友人の車を持込み、試験を受けるのだが、私のように車を持っていない人たちは、車を貸し出してくれるサービスがある。
試験の朝、水のボトルをどこかで入手できるだろうと思いなながら家を飛び出したのだが、グランドセントラル駅でも、その郊外の駅でもボトルを入手できず、喉がカラカラのままに試験が始まった。
前日深夜まで友人とお酒を飲んでしまったことを反省しながら、試験に臨んだ。
ところが試験中にバックシートにある私の携帯電話が何度も鳴り、教官がかなりイライラして怒りはじめ、ついに声が大きくなると、私の膝は震えてしまった。
運悪く救急車両も出てくるし、子供達の集団が車道に出てくるし、私は焦りまくって、技能試験の結果は不合格になった。
そういえば、しばらく運転もしていなかった。左ハンドルの車も、赤信号での右折ができる一方通行だらけの住宅街の環境も、初めての体験だった。
もっと運転に慣れて、カンを取り戻さなくては。
1ヶ月後に予定した再試験までに何とか練習できないかと考えたが、車を持っている友人はひとりもいなかった。
その日も母からの電話があったが、話題は中庭にやってくるネコという、ごく平和なものだった。
「母猫はミケなのに子猫は黒のぶちと茶色の縞でね、毎日餌をねだられるのよ」
その話を聞きながら、ふと最近スタジオに遊びに来た日本人の親子のことを思い出した。
穏やかな雰囲気で、痩せぎすなお父さんと、ダボっとしたシャツを着ている10代の娘さんだ。
「私のとこにも、ちょっと顔に痣のある人がね、女の子連れて遊びに来たりしているのよ」
仕事で出会って名刺交換した人が、絵を見に私のスタジオを訪問するということは時々あることだ。
トムラと名乗る、その親子はニューヨークから車で40分ほどの郊外、ニュージャージーの住宅街に暮らしていて、そして車を持っていた。
「僕の車使って練習してみてはいかがですか?」
トムラが親切にそう申し出てくれた。
「絵の運搬も手伝いますよ」
運転試験に費やすお金や時間をこれ以上かけたくないので、ラッキーとばかりにトムラの車を借りて練習をさせてもらい、縦列駐車のコツを思いだし、次の試験は簡単に合格できた。
トムラの痣は右目の上の眉毛にかかるようにあり、赤茶色をしている。
仕事は薬の開発をしていると言っていたので、何か薬品でも事故でかぶったのか、生まれつきで子供の頃にからかわれたのかなとか、治療も試みたのかなとか、色々想像していた。
彼にどうしたのかと聞いてみたのは、その後何度か食事をしてからのことだった。
「生まれつきですよ」
そう彼はさらりと言った。彼の目には見えていないぐらいの感覚での返答だったので、少し拍子抜けした。
メガネもかけているし、確かに気にしなければ、だんだんと気にならなくなるのも不思議だった。
そしてトムラが数年前に奥さんと死別したことも、それから父子で生きてきて、毎日娘さんのお弁当を作っていることも徐々に知っていった。
アメリカの学校で8年生、日本で言えば中学1年生にあたるという彼の娘は、いつもイアフォンを耳にしていつも音楽を聞いていた。
「日本語もわかるから、日本語でしゃべっていいよ」
と私に言ってくれた。
その時は、その親子が将来、自分の家族になるだろうとは、まったく想像もしていなかった。
* * * * *
脚本は書き替えられる
主役は歌わないと言い
照明係も旅に出た
右の手で描いていること
左の手に知らせるな
御国がきますように
天に行われるとおり
地にも行われますように
自分で決めているような
誰かの指令で動いているような
異邦人から報いを受ける
そのままで大丈夫
空の鳥は風に乗って
地に咲く花はそのままだから
そのままで大丈夫
スイッチ切っても物語は進む
ちょうど良いっていいかげん
* * * * *
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