「ソーシャルビジネス」の矛盾。ビジネスにとって社会の課題は、無くすべき対象か、存続のためになくてはならないアセット(資産)か。
社会課題を解決することを目的とした事業のことを「ソーシャルビジネス」と言ったりします。私がイギリスのMBAに在学していた2016~2017年あたりには、世界的にも結構盛り上がっていた印象があります。
私が営むスタートアップも「農業×IT×AI」という分野で地方の小さの畑を活かすことが目的の一つなので、ソーシャルビジネスの枠組みで計画を練ったり、プレゼンしたりした時もありました。
さて、「ソーシャルビジネス」には分かりやすい矛盾があります。対象とする社会課題を解決してしまったら、そこでビジネスとしては存続できずに終了して稼げなくなってしまう、ということです。
具体的には、「耕作放棄地を無くす」という社会課題解決を行うマッチングサービスのようなソーシャルビジネスがあったとして、念願かなって耕作放棄地がなくなれば、そこでビジネスは終わり、従業員は別の仕事を探さなくてはなりません。
投資家としては、耕作放棄地がなくなるまでのビジネスで投資を回収できるかどうかを考えることになりますが、課題解決に有能であればあるほどサクッと終わってしまうのですから、悩ましいところです。
一方事業を創る側は、ビジネスとして継続的に稼ぐための仕組みとしてマッチングサービスの課金の仕方などを探ることになりますが、そういったことを考え出すと、「ソーシャル面」の大義からはどんどん遠ざかります。
ここにいたって、本質的な矛盾が表面化します。つまりこういうことです。
この事業は、課題を解決したいのか?存続させたいのか?
さて、ソーシャルビジネスに限定せずに、あらゆるビジネスに範囲を広げても同じような矛盾が見て取れるのではないでしょうか?
・一回でその後の治療が一生不要となる歯科治療 → 歯科ビジネスは?
・1,000年壊れない車 → 新車メーカーは?
・1,000年灯り続ける照明 → 照明機器メーカーは?
社会や人の何らかの課題を解決する対価として金銭を受け取るということがビジネスの大まかの流れだとすると、
「問題」がある、ということがビジネスの存在条件である
「問題」は、ビジネスが稼ぐための「資産」である
↓
「問題」という資産ををなくさぬよう、もしくは増やすよう努力する必要があるのでは (^ ^?)
しかし、過去に経済的に成長しても成長しても、新しい解決手段が無尽蔵に出てきても、なぜか安心できる社会には到達しない、「問題」が途切れないのは、この矛盾にヒントがあるのではないか?
ビジネスこそが、新たな「問題」を必要としているからではないか?
MBAで学んでいた時にここに思い至って、わりとハッとしました。
なにせMBAで新規事業の創出をテーマにした時には、「社会のどこに課題があるか」というアイデア出しが始まり、みんなが血眼になって世界中の「あれが問題!これは問題!それが不満!あれがイヤ!」を無理やり!?といった感じで挙げていくわけです。
そんなに問題ばかりに目を向けては「安心」できないよな~ (^ ^?)
今日はこのあたりまで。
この次のステップとして考えるのは、課題が解決されてビジネスがなくなった時に困るのは、なぜか?
パッと思いつくのは、「仕事」がなくなり、投資家も含めて「お金」を稼げなくなり、「生活」できなくなるからだ、といったところでしょうか。
課題を解決しないで存続させたり増やしたりした方が、「仕事」ができ「お金」を稼げる、逆に課題を解決したら、なぜ「生活」できなくなってしまうのか。
ここに至って、「仕事」「お金」また「生活」といった内容を、改めて問い直す必要が出てくるのではないかと思います。
終わり。
更なる議論のポイント
・仕事とは?
・お金とは?
・生活とは?(特に、「豊かな生活」とは?)
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