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無性愛者の私という生きもの

時代は変わったな、と思う。

私が子供の頃、世の中はバブル景気に沸き、その恩恵を受けていたのは主に親世代だった。少なくとも、そんな好景気であると知る由もないほど、私はまだ子供だった。
テレビの中でぼんやりと、奇抜な色のピッチピチの服に身を包んだお姉さんや、何だかいかついスーツでお酒を飲むお兄さんを見ていた。
そして、彼らが繰り広げるトレンディドラマなんかも、共感出来ないながらも何となく見ていた。

あれから30年ほど経って、私はあの頃のお兄さんやお姉さんの親とも言えそうな年齢になった。
しかし、やはり彼らのきらびやかな世界は幻想のような気がしているし、当時の男と女の見せ方は、相変わらず好きになれない。

女性がクリスマスケーキに例えられた頃があった。
24歳がピーク、25歳がギリギリ。それを過ぎると価値が下がる。端的にはそういう事。何の事かって結婚である。
例に漏れず、私も25歳頃、取引先の男性からこのクソつまらんクリスマス理論を聞かされたことがある。
その頃は、私もまだ自分が無性愛者だなんて考えもしなかった。
誰の事も好きになれずに、それは過去の性被害によるものだろうと結論付けていたし、それについて少し焦りもあった。その一方、二次元の世界にどっぷり浸かって非常に楽しい頃だった。

自分が何者なのか、まだ闇の中だった頃。
年上の(考えたらあの人がっつりバブル世代だった)、取引先の男性ということで、私は反論も出来ず「あー、そうですねー、いい出会いないかなあ、あはははは(棒)」と返していた。微塵もそんな事は望んでいなかったけれど。

この令和の時代、LGBTQ+なんて言葉も広がって、セクシュアルマイノリティについても随分と周知されてきたと思う。

心身共に女性であることに違和感はない。だけれど、男性に恋愛感情を抱くどころか女性に対しても全く何も感じない。私は異性愛者でも同性愛者でもない。

まだレズビアンやゲイが非常に衝撃的なセクシュアリティだと捉えられていた頃、私は自分がヘテロでもなく、レズビアンでもない事に『どうしよう』という気持ちがあった。
周りは皆、彼氏彼女を作っている。そうでなくても、好きだの嫌いだの、毎度のように相談される。
いや、学生時代からこんな場面は度々あった。
中学1年の時、やたらと女子生徒から人気の高い数学の先生がいた。顔は全く覚えていないが、飄々とした雰囲気で感情の起伏に乏しい、そんな印象だったのは覚えている。
ある時、クラスメイトの一人が「数学の〇〇先生好きな人!」と言うと、女子生徒達が「キャー!」「はいはい!」と争うように挙手した。私を除いて。
皆、私を信じられないという目で見ていた。
私は数学が大嫌いで、その先生の事も実は好きではなかった。人間的にどうというのではなく、単に『嫌いな科目の先生だから』という理由。

そうか、女の子は皆、ああいう整った顔立ちのクールな大人の男の人に惹かれるものなのか。
冷ややかな視線を浴びながら、ごまかすことも出来なくて、私はただ黙り込む他なかった。

そうか。
皆、こうやって誰かの事で騒いだり照れたりするものなのか。

その頃既に私は性被害に遭っていた。
直後という事もあり、男性に対して敵意のようなものは持っていたかも知れない。それでも、もっと私にコミュニケーション能力があったら、もう少し上手く立ち回れたのかも知れない。そんなことを思っても詮無いことだけれど。

ごく若い頃からこうやって自分が『どっか変なんじゃないか』という気持ちが拭えないまま生きてきた。
無理にお見合いしたり、付き合ったりもした。秒で別れたけれど。
自分らしくない事に時間を使ったし、相手の人にも申し訳ない事をしてきた。
沢山間違えて迷走して、ようやく見つけた答えが『無性愛者』だった。

だけれども、世の中は『人を愛さない』ということに対してまだ冷たい。
私が独り身でいる事を話す時、相手には少なからず同情の念がある。
「大丈夫よ、まだ出会えてないだけだから」
「一人なんて寂しいよ。出会い探していこ!」
「本当は誰かに頼りたいんだよね」
うるせえ、何も分からないなら黙ってろよ。である。

誰もが皆、「人は誰でも、他人を愛し愛されるものだ」という前提で話をする。そこに、「恋い慕う、愛する感情が無い」という可能性は存在しない。
そう、多くの人にとって、私のセクシュアリティは『あり得ない』のだ。
肉親ですらも、これを理解してはもらえないのは分かっている。だから他人にも理解されないのは織り込み済みだ。

とは言え、セクシュアリティとは流動的とも聞く。
だから、私は今の自分はアセクシュアルだけれど、5年後10年後は分からない。もしかしたら、うっかり誰かに老いらくの恋をしてしまうことだってあるかも知れない。もしくは、単なる親愛の情だけで書類上の婚姻関係を結ぶことがあるかも知れない。
この年齢までアセクシュアルをやってきたのだ、ここから劇的に変わるだなんて思わないが、自分で枠を作ってしまうのも何だか面倒くさいな、という気がしている。

こんな私でも、かつては恋愛模様を文章に綴ってはうきうきサイトにアップしていた時があった。
恋愛感情が分からなくとも、憶測や想像だけでも結構人は読んでくれるのだなあと感動したのを覚えている。
あの頃の読者さんが、私がこんな人間だと知っていたら、はたして書いたものをあそこまで楽しんで読んでくれたのかは、自信がないが。

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