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365日、noteを書いてはきたけれど

昨日で365日連続noteを書いた。アカウントは5年も前から持っていたけれど、1年前の今日から継続的に書いてみようと思い立ち実行した。365日連続で書こうと具体的に目標を持っていたか、当時の気持ちは覚えていない。と思って昨年の5/12の記事を振り返ってみたら、岸田奈美さんが開催した『キナリ杯』のために書いたものだった。
これがきっかけになったことは確かだったし、しっかりと気持ちを持って継続しようとスタートしたのは間違いないようだ。

では365日連続でnoteを書いた結果どうなったか。一番自分のプラスになったのは、書く習慣がついたことだ。毎日大体同じ時間にパソコンの前に座り、今日あったことを思い出したり、読んだ本や食べたものや観た映画・イベントのことを振り返る。1年前までは、それまでの過去4年間で全然書く習慣がなかったのに、本当によくもまぁ1年間続けられたと思っている。ひとつ「あ、できるんだな」と思えたことが、自分にとって小さな一歩になった。

そして今後どうしていくのか。別に自分の中で思っていればいいだけなのだけれど、書くペースを落とそうと思う。その代わり書いていた時間を、少しでも積読になっている本を読んだり勉強をしたりという経験やインプットに充てる。
365日連続で書いて・・・・・・というか365日目を迎える結構前の段階から気づいてはいたけれど、自分にそこまで毎日しっかりと書くネタは無い。この1年の中でも新しい経験や読んだ本などがあれば、その感想などを書くことができた。でも大半はそうではない。毎日変わらない生活の中で出てきた同じような思いを、なんとか文字数を引き延ばしてなんとか自分の行動と結びつけて書いただけだ。書いた、というよりもむしろメモに近いようなものすら、探してみたらあるのかもしれない。

この1年の中で自分の中で最大と言ってもいいトピック、最高と言える経験だったライティング講座、『ぶんしょう舎』。ぶんしょう舎のことについてはまた改めて書こうと思うけれど、講座の中で田中泰延さんが言われたことが頭の中に浮かんでくる。

ブログ始めてみた note始めてみた
何か書かなきゃと思うけど書くことがない
何か書かなきゃ
書かなきゃいいじゃないですか
感動した時だけ書けばいいんです
感動したなら、どうしても書きたいことができたなら
長くてもいい、書けばいいんです

泰延さんが言われたときにはすでに半年ほどnoteを継続して書いていて、そもそもこれを痛感していた。365日継続した現在もやっぱり痛感している、その部分に関しては全く成長していない。
だけど365日書いてみたのは、書いたら何かあるのかなという好奇心もあったからだ。ぶんしょう舎の主宰である5歳さんはこの講義を挙げて、「書く練習をきちんとするという目的なら毎日書く意味はある」と言われていた。365日必要だったのかは分からないけれど、書く習慣をつけるという練習の意味は、明確な数字とともに自分のなかに残ったと思っている。もちろん技術や書いたものの質は、全く別の話なのだけど。

その上で今後の話だ。もっと自分の感動したことや紹介したいものを、しっかり書けるようにしたい。もちろん日々の些細なことをつらつらと書く日もあるはずだ。けれどこの1年間は書く習慣を優先しすぎて、自分の感動した経験について調べたりまとめたりする時間も奪っていた気がする。そのくせ、感動したことはきちんと書きたいという思いだけは一人前にある。だから、毎日変わらない生活の中で出てきた同じような思いを書く日が大半で、書きたい経験ほど書くのは後回し。これからは、それを逆転させられたらと思う。

書く技術を向上させたい、ぶんしょう舎で学んだものを自分に定着させたい、書くことを仕事にしていきたい。書く習慣をつけられたなと思う今、次は目標をそこに据えてやっていく。特にぶんしょう舎の受講を経て、周りの魅力的な文章を書く方たちに対してのすごさと、羨ましさみたいなものを感じてばかりなのだけれど。

大丈夫、できると思う。書けると思う。
小さな一歩を進められた自分の刃を、まだまだしっかりと研ぎ続けよう。

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